琥珀色の戯言

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【読書感想】スポーツ・インテリジェンス―オリンピックの勝敗は情報戦で決まる ☆☆☆


内容紹介
華々しい舞台の裏側で何が起きているのか! ?


スポーツ・インテリジェンスとは何か。それはオリンピックをはじめとする国際競技で勝ち抜くための「情報戦略」である。コンマ数秒の差を争う決勝戦。最後にその明暗をわけるものこそ「情報」にほかならない。相手選手やチーム、試合環境、使用器具等を徹底的に調べ上げ、国家を動かし中・長期スポーツ戦略を策定する。その最前線で長年活躍してきた著者が、知られざる実態を明らかにするとともに、さまざまなレベルでの「競争」が熾烈化する現代社会における情報との向き合い方を記す。


現代社会での「情報戦」の激しさは「知っているつもり」だったのですが、この新書で「スポーツ・インテリジェンス」の最前線について読んでみると、「すごいな……」というか「いまの時代のスポーツ、とくにオリンピックレベルとなると、選手の力というのは、『勝つためのひとつの要素』でしかないのだな、と思い知らされました。
冷戦時代の東側諸国が、国威発揚のために国家的プロジェクトでオリンピック選手を育成していたことは知られていますが、冷戦時代の終わりは、国家によるメダリスト育成の終わり、と同じではなかったのです。
むしろ、「いまの国家というのは、こんなにメダリストを欲しがっているのか……」と驚かされます。

 2012年、ロンドンオリンピック時の日本代表選手団は、総勢518人。そのうち、選手は283人である。選手以外には、監督、コーチ、チームマネージャー、トレーナーなどの競技団体スタッフをはじめ、日本代表選手団の団長、総監督、本部役員、メディカルスタッフ(ドクターやトレーナー)、輸送担当の本部員などが加わっている。また、日本代表選手団の後方には、各競技団体の選手村の外にいるスタッフ(パーソナルコーチ、トレーナーなど)もいる。
 さらに、こうした現地に赴いているスタッフのほか、東京ではナショナルトレーニングセンターに「東京Jプロジェクト」という、オリンピック期間限定のバックアップオフィスが設置され、そこで二十人ほどのスタッフが選手団をサポートするため、刻々と現地から送られてくる戦況の情報を収集し、分析することに奔走している。それだけではない。選手が着ているウェアや用具一つをとっても、それらは最新のスポーツ医・科学の研究を応用して作られたものであり、その研究、開発を手がける人間がいる。また、選手たちの日常を支える企業や大学などの存在があり、そうした多くの人々の支えのもとに、現代のオリンピックでの戦いは成り立っているのである。


著者は、「スポーツ・インテリジェンス」が生みだした成果のひとつとして、2010年のバンクーバー冬季オリンピックの女子スケルトンで金メダルを獲得した、イギリスのエイミー・ウィリアムズ選手を紹介しています。
(イギリスが冬季オリンピックで金メダルを獲得したのは、30年ぶりのことだったそうです)

 エイミーの快挙は、トップスポーツにおけるベストプラクティスの一つということができる。エイミーが勝利を手にした理由は、もちろん「レース準備戦略」だけではない。あのウォーマーは、彼女の勝因のほんの一端にすぎない。
 ベストプラクティスである理由には、二つの側面がある。
 第一は、競技に関わるあらゆる分野でイノベーションを起こしたということ。
 第二は、そのために複数の異なる組織が連携したということ。
 ようするに、イギリスはアスリートを金メダルまで導くための新しいシステムを創出したのである。
 まず注目すべきは、エイミーはもともと陸上競技の選手であったという点である。イギリスの国際競技力の向上を統括・推進する組織であるUKスポーツは、2006年から「ガールズ 4 ゴールド」という女子選手に特化したタレント発掘プロジェクトを始めた。
 タレント発掘プロジェクトとは、陸上競技やバスケットボールなど比較的競技人口が多いスポーツのなかから、スケルトンやボート、カヌー、自転車などの素質がある人材を科学的な手法を用いてシステマティックに識別し、競技転向を図らせる試みである。エイミーはこれに応募し、スケルトン選手としての素質を見出され、競技転向からわずか5年でオリンピックの頂点に立った。つまり、エイミーは体系化された競技転向プログラムによって発掘され、育成された人材だったのである。


(後略)

引用部以降にも、エイミー・ウィリアムズ選手に金メダルを獲得させるためのさまざまな周囲のバックアップが説明されています。
体を冷やさないための新素材のウォーマーや、新しいコーチングの技術、競技に専念するための、金銭的バックアップ……


また、この新書のなかでは、こんな話もでてきます。

 選手やコーチ、競技団体の努力に依存しているだけでは、今やオリンピックで勝てないということである。こうした傾向は近年、さらに強まってきている。
 次頁の写真は、オーストラリアが北京オリンピックに向けて開発した自転車ロードレースのシミュレーションシステムである。
 自転車のまわりを覆っているビニールのテントの内側は、ヒーターによって常にオリンピック開催時期の北京と同じ気温と湿度に保たれている。さらに自転車のペダルと目の前のモニターに映し出される映像が同期していて、ペダルを速くこげば、映像も速く流れるようになっている。しかも、その映像は北京オリンピックの実際のコースと同じである。
 なぜこういうことが可能かというと、オリンピックの前年に競技会運営のテストとして行われる、プレ大会と呼ばれる競技会に秘密がある。アスリートたちは、そこで本番と同じレースコースを一度だけ走る機会がある。この時に小型カメラやGPS、パワー測定器などをつけてレースコースを試走すれば、コースの高低差に対して自分がどのくらいのパワーを出したか、どのようなスピードで走行したかなど、さまざまな測定値と映像を手に入れることができる。このデータをもとに、システムを設計するのである。


オリンピックでメダルを獲得するために、『電車でGO!』の自転車競技版のような、精巧な「シミュレーター」をつくってしまうのです。


すべての国がここまでのことをやっているわけではないのでしょうが、いまのオリンピックというのは「ある競技のなかからすぐれた選手を見出して、メダルをとれるようにサポートする」というよりは、「ある競技でメダルをとるには、どんな選手が必要か」というところから出発して、その条件に合う選手を発掘し、環境を整えて「メダルを獲らせる」ところまできているのです。
もちろん、そうやってつくりあげられた選手が、すべて成功しているわけではないでしょうし(そもそも、「あなたにはこれが向いている」と誰かに言われたところで、その競技へのモチベーションは本人しだい、という面もありますから)、エイミー・ウィリアムズ選手はあくまでも「成功例」なのかもしれません。
しかしこれって突き詰めていれば、旧東側諸国がやってきた「スポーツエリート育成」を科学的な裏付けとともにやっている、とも言えますよね。
日本でも一部の県などで、こういう「向いている競技(あるいは、選手層が薄くて、メダルに近づきやすい競技)への転向をすすめる」プロジェクトがすでに行われています。


まあでも、「本物そっくりのシミュレーター」を使った選手も、必ずしも良い結果を出せるとは限らないのもまた、オリンピックという舞台ではあります。
著者は、実際にインテリジェンス担当者としてオリンピックを視察しに行った際に、こんなふうに感じたそうです。

 結果的に、私が強く感じたのは、オリンピックというのは「極めて特殊な環境だ」ということである。
 たとえば、選手村には、いつどこへ行っても人がいる。一人になる時間と場所が極端に少ない。試合が近づき、一人になって集中したいと思ったとしてもほぼ不可能である。選手たちはこうした特殊な環境で最終調整をして、ベストコンディションを作っていかなければならないのである。

どんなにコースを正確にシミュレートしても、オリンピック本番での自分自身の内面は、シミュレートできないんですよね。
そこがまた、オリンピックの難しさであり、観客にとっての「面白さ」なのでしょう。


この本、最近けっこうよく耳にする言葉、「インテリジェンス」について、スポーツを題材にした入門としても役立つのではないかと思います。
これを読んでいて意外だったのは、各国のトレーニング内容や調整法について、忍び込んだりするような「スパイ活動」が行われるようなことは滅多になく(まあ、あっても書けないでしょうけど)、それぞれの国の担当者が、情報をある程度公開しあって、レベルアップしていくのが大事なのだそうです。
もちろん、機密事項はあるのですが、「うちの国はあの情報を教えるから、そちらの有益な情報を教えてほしい」と、インテリジェンスを重視している国どうしである程度連携しているのです。
そのほうが「孤立主義、秘密主義」よりも、進歩が早くなる。
オリンピックには、さまざまな競技があるので、お互いに「棲み分け」を行っている面もあるのです。
このインターネット時代では「隠す」というのは、かなり難しいことでもありますし、国のお金が使われていたりすると、ある程度は「情報公開」を余儀なくされます。


著者たちは「情報収集」というのを、「みんなに公開されている情報」つまり、各国の協会のホームページや、選手の個人ブログから行っている、ということでした。
ある選手がブログで、「今日はどこそこでこんなトレーニングをやって……」というような日記を書いていたとしたら、それは貴重な「情報源」になるのです。
情報というのは、案外、公開されているものなのですね。


また、北京オリンピックで、日本選手団が日本の旗だけでなく、中国の旗を一緒に持って入場行進をしたのも「現地での反日ムードを緩和するための戦略だった」と仰っておられます。
そして、日本のその入場行進は、たしかに、現地で好感を持って迎えられたようです。
スポーツ界も「善意」だけで動いているわけじゃないんだなあ、と、苦笑してしまうような話ではありますが、それで不幸になる人は、誰もいないのだしね。

 インテリジェンスには、もともと「知性、知識」といった意味合いがあり、重要な事柄を認識し、理解するための能力を指す。日本では「情報」と訳されることもあるが、単なるデータや生情報(インフォメーション)とは異なると考えられている。
 一般にインテリジェンスはインフォメーションと区別して、以下のように定義されている。


 インテリジェンス=収集されたインフォメーションを加工、統合、分析、評価、及び解釈して生産されるプロダクト
 インフォメーション=報告、画像、録音された会話等のマテリアルで、未だ加工、統合、分析、評価、及び解釈のプロセスを経ていないもの


 わかりやすく言えば、インフォメーションが生情報あるいは素材としての情報であるのに対し、インテリジェンスとはそうしたバラバラの生情報に手を加えて、次に取るべき行動の判断材料として作り出されたものである。

 2020年の東京オリンピックに向けて、こういう「インテリジェンス」の観点から、日本のスポーツ界をみるのも面白いのではないでしょうか。
 こういうのを読むと、オリンピックというのは、個々の人間の力くらべだけではなく、F1のようなチーム単位のモータースポーツのようになってきているのだな、と寂しくも感じるのですけどね。

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