琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】ルールを変える思考法 ☆☆☆☆


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内容紹介
自他ともに認めるゲームオタクの川上氏は、「日本でも数百人程度しか遊んでいなかったというボードゲームを手始めに、ゲーム機やPCの“シミュレーションゲーム”によって思考力や発想が鍛えられた」と語る。そんな同氏がビジネスを考えるときに重視するポイントは、「勝てないなら“ルール”を変えればいい」ということ。実際、その発想から、投稿動画サイトの巨人「YouTube」を後発の「ニコニコ動画」で迎え撃ち、成功させている。
 異色の経営者として名を馳せる一方、スタジオジブリに「見習い」として入社し、鈴木敏夫プロデューサーの鞄持ちになるなど、独自の発想で知られる川上氏の思考法・経営戦略・コンテンツ戦略をまとめた一冊。


ネットなどでみる川上量生さんには「ポジティブで、行動力のある人」という印象を受けます。
ひとつの企業の経営者でありながら、スタジオジブリに「見習い入社」なんて、これはいったい何の売名行為なんだ?と思ったのですが、その後の様子をみていると、川上さんというのは「それが必要だと判断したら、地位とかイメージなんてことはあまり考えずに、とりあえずやってみる人」なのだということがわかりました。


この本、そんな川上さんが、どうやって『ニコニコ動画』をここまでの大きな潮流にしてきたか、が語られているのですが、昔の川上さんの話を読んでいると、自分との共通点が少なからずあって、けっこう嬉しくなってしまいました。

 僕がボードゲームを始めたのは、小学生のころ。最初のうちはそれこそ、誰もがやるような、タカラの『日本特急旅行ゲーム』や『億万長者ゲーム』をやっていました。しかし、そのうちそうしたゲームでは物足りなくなって、もっと戦略性の高いゲームをやりたいなと思うようになっていったのです。
 知らない人にとっては馴染みのないタイトルでしょうが、比較的有名なところでは、エポック社の『戦国大名』、アバロンヒル社の『マキャベリ』や『第三帝国』などをよくやりました。
 ホビージャパンが出していた「タクテクス」(というシミュレーションゲーム専門誌がありますが、これも中学校くらいのころから愛読するようになっていました。

おお、僕以外にも『タクテクス』を読んでいた人がいたのか!(あたりまえのこと、なんですけどね)
タクテクス』って、ボードゲームの話だけではなくて、歴史上の有名な戦いを採り上げた記事が毎号載っていて、僕はそれを読んで、『ポエニ戦争』でローマに立ち向かったハンニバルに憧れたものでした。
川上さんは、当時対戦相手を探すのに苦労していたボードゲーマーたちのための「郵便による対戦システム」を発表していたそうです。
とにかく「ゲームマスター志向」なんだよなあ、川上さんって。


それにしても、川上さんのゲーマーっぷりはすごい。
そして、「ゲームをするための行動力」にも驚かされます。
「自分がそのゲームをしたいがために、勤めていた会社に海外のネットゲームを扱う部署をつくってしまった」なんでエピソードも紹介されています。
そういうのって、公私混同ではないのか、などと思ってしまうのですが、そのくらい突き抜けた「好き」があるからこそ、ゲーマーたちのかゆいところに手がとどくようなサービスができた、というのも事実なのでしょう。


川上さんは、この本のなかで「テレビゲームの欠点」について、こんな話をされています。

 結論を先に書いてしまうと、テレビゲームの致命的な欠点は以下の3つです。

(1)人間が、コンピューターの決めたルールに従ってゲームをプレイする
(2)反射的な思考能力の早さを競うゲームがほとんどである
(3)コンピューター相手にゲームをやっても人間との付き合い方は学べない


ちなみに、この(1)については、

 現実社会で行われている競争の勝者は、「ルールを決めた人間」である確率が高いからです。人間の社会での競争とは、もともとそういうものです。

と仰っておられます。


最近読んだ、世界一のプロゲーマー、梅原大吾さんの著書には「ゲームのルールは、新しいソフトが出れば『変わっていくのが当然』だから、ルールが変わることを『ずるい』と言うよりも、それに対応できる準備をしておかなければならない」と書いてありました。
梅原さんもすごい人なのですが、この川上さんの言葉を読んで、僕は「ああ、だから川上さんは『起業家』という生き方を選び、梅原さんは『プロゲーマー』になったのだな」と思ったんですよね。
どちらがすぐれている、とかそういう話じゃなくて、目の前にルールがあったとき、どうするのか?
川上さんの人生というのは、つねに「新しい遊びのルール、新しい世界の枠組みを自分でつくりだす」ことを目指しているようにみえます。
目の前に「ルール」があったとき、それに文句を言ったり、そのギリギリのところをくぐろうとする人は多いけれど、「じゃあ、このルールを取っ払ってしまおう」という人は、ごくごく稀なはずです。
そもそも、「ゲーマー」という人種、とくにコンピューターゲームの愛好者は、基本的に「ルールの中での戦い」を好む人が多くて、「そのルールに従って、自分もプログラムの一部になるような感覚」に魅力を感じる人が少なくないと思います(僕がそうなので……)。


川上さんが「融通のきかないコンピューターゲーム」からではなく、「人間相手のボードゲーム」から、ゲームの世界にのめりこみ、比較的自由度が高いオンラインゲームにハマっていったというのは、ごく自然なことだったのでしょうね。


この本のなかでいちばん面白かったのは、川上さんとゲーマー仲間たちが、『Ultima Online』にハマっていた時代の思い出話をしている対談でした。
ちなみに、『Ultima Online』、川上さんは3日間徹夜で遊んで、このままではハマり過ぎて廃人になってしまうから、と泣く泣くアンインストールされたそうです。
対談相手は、ドワンゴ黎明期の「ゲーマー社員」である、中野真さんと佐野将基さん。

中野:さっきの話にも出たように、初期のUltima Onlineって妙に生々しいゲームだったんですね。Ultima Onlineでは、死んだプレイヤーは、街のなかの教会などで復活もできたんで、平和そうに狩りをしている人とか木こりとかを襲って殺したりすると、あとから追いかけてきて「それだけは返してくれ!」って必死に訴えられたりして。それをされると、ものすごい罪悪感を覚えたものなんです。


佐野:そう。さすがの僕でも心が痛んだので、次に考えたのが「強そうなヤツを殺そう」ってことでした。高そうな鎧を着ているプレイヤーを狙って、片っぱしから殺してたんです。それだったら罪悪感を感じないで済みますから。


川上:やっぱり悪者じゃん。


中野:でも、そうしていたら、しばらくして、鎧を着ている人がゲームの世界からいなくなったんですよね。


佐野:そうそうそう! そうなんです。それで、鎧は着ていなくても怪しそうなヤツを殺して鞄をかを覗いてみると、しっかりと高そうな鎧とか剣とかを持っていて。


川上:擁するに、極悪な犯罪者集団に狙われないように、わざとみすぼらしい格好をしていたわけだ。それもまたリアリティのある話だね。


(中略)


佐野:初期のUltima Onlineは、道を歩いていてはいけないゲームだったというか、道を歩いていると襲われたんですよ。だから、ひと気のない森を抜けたり山道を抜けたりして移動しなければいけなかった。


川上:ああ。でも、現実世界でも、昔の街道は本当にそんな感じだったみたいだよ。個人的に興味があって、ルネサンス以前の中世ヨーロッパの歴史を調べてみたことがあるんだけど、街道は盗賊がいるから危険で、十字路や街道の合流地点はとくに危なかったとか。街道を避けてわざわざ森を抜けたりするっていうのは、普通にやっていたらしい。


これを読んでいると、「昔のUltima Onlineをやってみたかったなあ!」って、残念な気持ちでいっぱいになります。
なんて面白そうなゲームなんだろう。
対談のなかには、佐野さんや川上さんの「悪事」もいろいろ出てくるんですけどね。


ゲームのなかで「自由度」をあげていくと、歴史上実際に起こっていたのと、同じようなことがゲーム上で再現される、というのは興味深い話です。
まあ、中世の人たちは、「復活の呪文」も無い状態で、街道もオチオチ歩いていられなかったのですから、「面白い」どころじゃなかったでしょうけど。


川上さんは「海外の事業者と日本のコンテンツホルダー(権利者)とは、最終的にわかり合えないのではないか」という前提に立って、こんな戦略を打ち出しました。

 このころ、通報があった削除することは、どこのサイトでもやっていたことですが、ニコニコ動画では「自主パトロール」をして、問題がある動画を削除していくことを決定します。それはかなりの覚悟が求められる決断でした。
 それをすれば、他のサイトでは見られる動画がニコニコ動画では見られなくなることになり、大きなハンディを背負うことになるからです。
 しかし、ニコニコ動画では、サービスを開始する以前から「コンテンツホルダーとは良好な関係を築いていこう」と決めていたので、このことは外せない決断でした。それをためらっていては、YouTubeに勝てる可能性はゼロになります。
 そうして著作権の問題を孕んだ動画を削除していった結果として、ユーザー間での創作の連鎖など、独自の文化も生まれていきました。
 それはある意味、嬉しい誤算でした。ただ、いまから考えると、危うい賭けだったともいえます。

「違法アップロードされた動画」を観ることができないというのは、短期的にみせば、ユーザー獲得にマイナスになるはずです。
正しくないこととはいえ(いや、正しくないからこそ、なのか)一定の需要があることは間違いありませんから。
通報されれば削除する、というのが大部分の動画サービスの姿勢だったなかで、ニコニコ動画は「自発的に削除する」ことによって、コンテンツホルダーの信頼を得ていったのです。
いまでは、アニメ作品のプロモーションとしての『ニコニコ動画』での無料放送なども多数行われるようになっており、ユーザーのなかには、クリエイターとして新たにコンテンツの提供者になる人も出てきました。


 川上さんは、基本的に「性善説の人」であり、お金や名誉というより、自分にとって面白い世界のルールをつくるために仕事をしている人、なんですよね。
 この本を読んでいると、そのことがよくわかります。
 だからこそ、僕のような俗人には理解しがたいところもあるのでしょう。

 先ほど、「ネット民とリアル民の戦いの場」を可視化するのが超会議の役割だとお話しましたが、これはどういうことか。僕は、ネット民とリアル民の衝突が起こる原因は、ネット民の間に”誤解”があるからではないかと考えています。
 たとえば、「超会議1」をやると発表したとき、ネット民であるニコニコ動画のユーザーたちは、「ニコ動はあくまでネット民向けのサービスであって、そんなリアルイベントに来るヤツなんていない」と言っていました。
 でも、フタを開けてみると、超会議に来る人たちは何万人もいた。ネットのコアな人たちは、このことにかなりショックを受けたのではないでしょうか。実際、ニコニコ動画などのネットサービスは、いまやネット民だけのものではなく、「リア充」を含めた多様な人たちが共存する場所になっています。
 一方で、そうした”誤解”や”思い込み”を増幅させる拡声器として、ネットの力が使われることも多いのです。ネット上での「炎上」の様子を見ていても、どうでもいいことを騒ぎ立てて、みんなで寄ってたかって対象者をたたくという事例が少なくありません。
 ネットは本体、もっとポジティブな意見を増幅させるツールとして使うべきだと個人的には思っています。そうすれば、ネットにはもっと明るい未来が待っている。ニコニコ超会議が証明したように、もうネットの力がリアルを突き動かす時代になってきています。でも、いまの状態のまま、ネットがリアルを動かすというのが、果たしてよいことなのか。そんな問題意識が僕のなかにあります。

「いまの状態のまま、ネットがリアルを動かすというのが、果たしてよいことなのか?」
善悪に関係なく、もう「そういう時代」になってしまっていることは認識したうえで、川上さんも迷いを口にされています。


これからの世界のことを考えると、「ネットの未来」は、「人類の未来」とシンクロしているのではないか、と僕には思えてなりません。
さまざまな有益な情報が「共有」され、ウソが無償で検証される一方で、いつでも、誰でも、ちょっとしたミスを咎められ、炎上してしまう世界。
はたして、それをみんな、望んでいるのでしょうか?


川上さんは、もしかしたら、「リア充」たちも巻き込むことで、「あまり極端になりすぎない、平凡だけどおおらかなネット社会」をつくりたい、と考えているのかな、と僕は感じました。

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