琥珀色の戯言

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【読書感想】韓国 反日感情の正体 ☆☆☆☆


内容紹介
激化するように見える韓国の対日行動。だが韓国内では「昼は反日、夜は親日」という。なぜなのか? 経済大国となった韓国で国民におとずれた変化、反日をあおるメディアや政府の真意を明らかにする。

 1971年にはじめて韓国を訪れ、共同通信産経新聞のソウル支局長をつとめてこられた著者による「韓国の反日感情」についての本。
 30年以上韓国で生活されていて、韓国では「極右」扱いされることもあるそうです。
 この新書を読むかぎりでは、「これで極右だったら、日本で『嫌韓』のヘイトスピーチをしている人たちはどういう位置づけになるんだろう?」というくらい、「中道〜やや右より」に思われるのですが。

 ここで人びとをとりあえず「大衆と知識人」に分けて考えてみる。「大衆」とは感情に忠実かつ正直な普通の人びとであり、「知識人」はモノ事をあるがままに語るより、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」といって、いわゆる「べき論」で語ったり書いたりする人びとである。
 日本と韓国ではこの「大衆と知識人」という両者の相手国に対する見方が、これまでは対照的だった。端的に言って、韓国について日本ではこれまで知識人は親韓だったのに対し、大衆は反韓だったといっていう。だから日本では知識人(メディア)は大衆に対ししきりに「韓国に偏見や差別感を持ってはならない、ちゃんと理解すべき」と言ってきた。
 ところが逆に韓国では、日本について知識人は反日で大衆は親日だった。だから知識人(メディア)は大衆に対し「過去を忘れてはならない、日本は警戒すべき」とお説教し続けてきた。多くの大衆が本当に反日であれば、あらためてそんなことを繰り返し言う必要はないではないか。

 著者は「反日という名目であれば、どんなムチャクチャでも許される」という韓国の状況に、半ばあきれています。
 いまの韓国は「親日派」と名指しされることが大きなデメリットになる社会になってしまっているんですよね。
 なんというか、理性で訴えても、通用しないだろうな、これは……と痛感させられます。
 竹島問題などは、韓国にとっては「国としてのアイデンティティ」が投影されていて、日本側がどんなに証拠を積み上げても、どうしようもなさそうな感じです。
 日本の言い分を聞こうとするだけで、自分の国の人たちからは「売国奴」だと言われるような状況ですから、これはもう突っぱねるしかない。
 韓国には「独島記念館」なんていうのまで作られていて、「独島ツアー」に多くの人が参加しているのです。
 

 著者は「韓国人の歴史観」について、こんなふうに述べています。

 筆者の見立てによると、韓国人の歴史観というのは歴史を「あった歴史」よりも「あるべき歴史」で考えるということだ。民族あるいは国家として「こうあるべき歴史」を前提に歴史を考え、記録しようとする。
 たとえば金泳三政権(1993‐98年)は政権のスローガンとして「歴史立て直し」を主張しそれを国策として推進した。その言葉をより正確に表現すれば「歴史の正しい立て直し」なのだが1995年「光復(解放)五十周年」を機に行われた旧朝鮮総督府庁撤去はその象徴だった。旧朝鮮総督府ビルは故宮・景福宮の敷地にあって、解放後は中央政府庁舎や国立中央博物館として長く使われていたのだが、この年八月十五日の「光復節」記念祝賀行事の一環として爆破・撤去されている。
 「あるべき歴史」としては朝鮮総督府の建物などあってはならないのだ。歴史の立て直しは朝鮮総督府という「あった歴史」を消してしまうことである。
 元慰安婦たち日本統治時代の協力者・被害者は抵抗者として復権、変身し今、反日運動の先頭に立たされている。彼女たちのいわば「独立有功者」へのドラマチック(?)ともいうべき変身は、韓国人の「あった歴史」より「あるべき歴史」が重要という特異な歴史観の典型的な産物である。

 2010年が日韓併合から百年ということでこの年、双方で日韓関係の過去回顧と未来展望などについて多くの議論や行事などがあり、その一つとして日本では国家次元で「菅直人首相談話」(8月10日)が発表された。
 しかしこの百年議論で韓国側が目論んだのは、百年前の日韓併合条約についての”無効宣言”だった。韓国では昔から官民挙げてこの問題に執念を燃やしてきた。それを百年を機に一気に実現させようとしたのだ。「今さらなぜ?」と首を傾げる向きも多いと思うが、韓国人の歴史観を探るうえでは貴重なテーマである。

 この「あった歴史より、あるべき歴史」という言葉に、なるほどなあ、と少しわかったような気がしたのです。
 僕を含む、大部分の日本人にとっては、「歴史」というのは「あったこと」ですよね。
 さまざまな解釈のしかたはあるけれど、起こったことはそのまま受け入れるしかない。
 ところが、韓国の人たち(あるいは、韓国のメディア)は、「起こったことに納得できなければ、『なかったこと』にしてしまうべきだ」と考えているのです。
 もちろん、つらい歴史に対して、そういう向き合いかたはあるのかもしれませんが……
 こういう「歴史観の違い」は、なかなか埋まらないですよね。
 日本人にとっては「そんなことして、意味があるの?」って感じだもの。
 

 東日本大震災の際には、韓国でも日本への支援の機運が高まり、アメリカ、台湾に次ぐ、世界で3番目の義捐金も寄せられました。
 日本の被災者たちの、極限状態でも秩序を守り、お互いに配慮した行動に称賛の声も寄せられていました。
 ところが、せっかくの「人道的見地からの、対日関係見直しのきっかけ」も、活かされることはなかったのです。

 そのころ日韓関連の双方の学者、外交官、ジャーナリストなどが集まったセミナーがあり、韓国での日本支援の盛り上がりに対して双方から「革命的変化だ」と評価する声が出された。と同時に予定されていた日本での教科書検定結果の発表と、その影響が話題になった。
 その際、韓国の知日派学者は「日本はこの機会に太っ腹な決断をすべきだ」という。震災支援をきっかけに韓国ではせっかく日本に対する親近感が広がっているのだから、日本はこれに応えて検定結果発表を延期するなり、教科書記述から竹島領有権の主張をはずすなり、韓国に対する配慮をすべきだというのだ。

 著者は「それでは韓国国民の人道支援という純粋な善意が疑われるかもしれない」と反論したそうです。
 震災への支援は、本当にありがたいことだと思います。
 おそらく、支援を申し出た時点では、「見返り」なんて考えてもいなかったはず。
 とはいえ、結果的に「援助してやったのだから、こっちの言うことを聞け」と言ってしまっては「弱みにつけこんで、自分たちの野心を満たそうとするなんて、とんでもない連中だ」と、あきれるしかないわけで。
 「人道支援」にも、国際社会の駆け引きみたいなものは当然あるのでしょうけど、それにしても、ここまであからさまだと、かえって「逆効果」ですよね……
 他人事ながら、「もうちょっとうまいやり方があるだろうよ」と。


 ただし、著者によると、韓国の「反日」は、中国の「反日暴動」などと比べると、実際の暴力行為や破壊活動としてあらわれることは少なく、日常レベルでのトラブルはほとんどない、とのことでした。
 30年も韓国に住んでいる、肝の据わった人だからなのかもしれませんが、今でもかなりの数の日本人観光客が韓国を訪問していますしね。
 
 
 まあ、なんというか、韓国とは「あたらずさわらず」みたいな距離感で、付き合っていくしかないのかな、という気がしてくる新書でした。
 それこそ、共に宇宙からの侵略者と戦うようなことでもなければ、仲良くなるのは難しいんじゃないかな……

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