琥珀色の戯言

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【読書感想】名作がくれた勇気 ☆☆☆☆


名作がくれた勇気 戦後読書ブームと日本人

名作がくれた勇気 戦後読書ブームと日本人

内容紹介
戦後から高度成長期に貪り読まれ、知恵や元気をもらった本とは? 『武器よさらば』『女の一生』『復活』『路傍の石』『宮本武蔵』……名作を探訪し直し、読書の力の再生へと誘う!


 僕がまだ子供だった30年くらい前から、「子供が本を読まなくなった」と叫ばれ続けているような気がするのですが、この本を読んで、「なぜ、(当時の)大人たちは、本を読むことにあんなにこだわっていたのか?」の一端が理解できたように思います。

 戦後日本の再出発が、戦前戦中への根底的な反省のもとに進められたことは当然だろう。なにしろ結果からみても、国は焦土と化し、多くの国民が戦死し傷つき、何よりも、アジアの国々や人々に与えた迷惑は大変なものだったのだから。
 いったい、なぜそのようなことになってしまったのか。何が悪くて、何処に問題があったのか。それらを究明・自覚し、それらを改めることから、再出発は図られなくてはならない。そうした時、まず第一に槍玉に挙げられたのは当然のことながら軍国主義だった。付随して、それを推進した男性中心社会、とりわけ封建的家父長制度。さらにはそれらを下支えした言論・思想統制を始めとするさまざまな統制や弾圧、ひと言で言えば、自由の抑圧だ。
 したがってそれらへの反省に基づく再出発は、単純には、その逆を目指せばいいということになる。軍国主義に対しては平和主義、男性中心社会に対しては、それまでの「婦女子」的偏見の撤廃、すなわち女性の地位向上や子供の尊重。何よりも、女性や子供は戦争に実質的に加担しておらず、手を汚していなかったという意味でも、戦後の重要な担い手として期待された。そうした男女や年齢による差別だけでなく、職業・階層などさまざまな不平等の撤廃も意識された。
 自由の抑圧からの解放も、戦後の大目標だった。恋愛・結婚から、思想や表現まで、その範囲は広大だ。逆に言えば、戦前戦中は広大な範囲の自由が抑圧されていたことになる。そのなかでは、カストリ雑誌やストリップ・性典映画などに代表される性風俗の解放・自由は一種の継子のようなものだが、何といっても、自由、と言った時にその象徴たりうるのは、やはり恋愛の自由だろう。これもまた戦後の大目標の一つだったのである。そうして以上のすべてをくくるのが民主主義という理念であった、と概括してもいい。
 こうした多くの目標を掲げた戦後日本の再出発であったわけだが、課題山積のなかにあって、人々が書物、とりわけとっつきやすい文学作品から、それらの難題に立ち向かうためのヒントやお手本、さらには励ましや勇気をもらおうとしたのは自然な成り行きだった。戦後の出版ブーム、読書ブームの動機・背景は単なる「文化に対する欲求」などといったのんきなものではなく、もっと切実なものであり、戦後日本が、あるいは日本人が、生き残れるかどうか、ちゃんとした方向に生まれ変わることができるかどうか、といった切実な願いに支えられたものだったのである。

 太平洋戦争、そして敗戦によって、それまでとは正反対の価値観で生きることを要求された人たちは、「反戦平和」とか「女性の自立・権利」のモデルケースを学ぶために、本に頼らざるをえなかったんですね。
 そんな生き方など考えたこともなく、周囲にそういう生き方をした人もいない時代では、「本から学ぶ」ことが、「これからの新しい時代を生き抜くための基礎知識」として必要不可欠だったのです。


 その一方で、この本のなかで著者が述べているように、本来は「戦争はあくまでも背景であって、その中で生きる人間を描写した大河小説」が、軒並み「反戦小説」というカテゴリーに入れられて、かなり強引に「反戦のメッセージ」として解釈される作品も出てきたのです。

 ところで、『武器よさらば』と並んで戦争と平和という問題について問題について考えさせるのに貢献したもう一つのメジャーな名作はいうまでもなくトルストイの『戦争と平和』だ。これまた、戦後日本の戦争否定と平和主義の理念にドンピシャのタイトルだが、中身のほうは、別に、戦争を否定し、平和を追求する、というようなものではない。1805年から1812年まで(「エピローグ」の部分も含めると1820年まで)のロシアに、戦争の時期と平和な時期とか交互にやってきた、という程度の意味に過ぎなかったのである。

 たしかに『戦争と平和』を読書感想文用になんとか読んで(長いですからね、かなり……)、いざ、感想を書こうとすると、「うーん、これはたぶん『やっぱり戦争はいけないと思います』っていうのを求められているんだろうけど、そんなに『反戦的』でもないよなあ、これ……」と悩んでしまったことがありました。
 僕の世代でいえば、『キャンディ・キャンディ』のほうが、はるかに「反戦的」というか『戦争と平和』っぽいんですよね。
 でも、まさかマンガで読書感想文も書けないしねえ(いまの時代だったら、けっこう許されるのかもしれませんが)。


 太平洋戦争後にブームとなった作品のなかには『武器よさらば』『風とともに去りぬ』など、ずっと読み継がれている作品もあれば、『女の一生』や『人間の条件』のように、最近ではあまり読まれなくなったものもあるのです。
 「反戦」や「女性の権利」のような、「当時みんなが切実に必要としていた新しい思想を描いた作品」は、時代とともに読まれなくなり、エンターテインメント性が強いものは、ずっと読まれ続けているという傾向はあるようです。


 昔の人は「名作を読みこなしていた」というよりは、昔の人にとっての「名作」は、いまの読者にとってのハウツー本であり、自己啓発本であったといえるのかもしれません。


 後世からみると「文学作品」というのは美化されがちなもので、村上春樹さんの「ノルウェイの森』も、出版当時高校生だった僕にとっては、「なんだかすごくエロくて心に引っかかる『純文学』だな」という印象で、売り文句にあるような「100%の純愛小説」ではありませんでした。
 そもそも、村上春樹さん自身も、あの作品は「リアリズムを追求した小説」と仰っていて、「純愛小説」だとは考えておられないようです。
 まあ、実際にそれで大ベストセラーにはなりましたし、村上さん自身も「そんな売り方はするな」と言っていたわけでもないようですけど。
 『ノルウェイの森』の背景となっている「学生運動の時代」への理解と印象も、それをリアルタイムで体験した人と、その子供世代の僕たち、そして、いま20歳くらいの若者とでは、全く違うはずです。


 後世の人間が、ある時代のことを語るというのは難しいことだよなあ、と、この本を読んであらためて考えさせられました。
 70年も経っていない「昔」のことなのに、当時の人がどんなふうに考え、どんなふうに生きていたのか、僕には「想像」することしかできない。
 そして、その「想像」は、どうしても「いまの常識」に影響を受けてしまって、当時の人々の「実感」とは、かけ離れたものになってしまうのです。
 そんななかでも「100年読み継がれる小説がある」というのは、すごいことです。
 そこには、ある種の「人間にとって、普遍的なもの」が含まれているのだろうなあ。

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