琥珀色の戯言

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【読書感想】流星ひとつ ☆☆☆☆


流星ひとつ

流星ひとつ

内容紹介
「何もなかった、あたしの頂上には何もなかった」――1979年秋。歌を捨てる決意をした美しき歌姫・藤圭子に、沢木耕太郎がインタヴューを試みた。その肉声は、聞き手と語り手の「会話」だけで紡がれる、まったく新しいノンフィクションに結実した。だが――。一度は封印された作品が、33年の時を隔てていま、新たによみがえる。


沢木耕太郎さんによる、藤圭子さんのロングインタビュー。
ふたりでお酒を飲みながら、藤さんの半生や価値観をざっくばらんに聞く、という形式です。
インタビュアーによってまとめられた形としてではなく、藤さんの肉声た喋りかたが伝わってくるように書かれているのですよね、これ。
沢木耕太郎さんは、当時、ノンフィクションの「新しい方法」を模索していて、それを試してみたのが、この作品だったそうです。
沢木さん自身も出来栄えに納得しており、藤圭子さんも出版に同意されていたそうですが、「個人への歯に衣着せぬ批判」なども語られていたため、沢木さんが出版をためらい、結果的に「お蔵入り」となりました。
藤圭子さんは1951年生まれですから、28歳くらいのときのインタビュー、ということになります。
読んでいると、藤圭子さんが20代後半で芸能界を引退した際に(のちに復帰)、この作品が世に出ていたら、どんな反応があっただろうか、というようなことも、考えてしまいます。

「あたし、嘘つくのいやだったんだ」
「えっ?」
「嘘をつきたくないから、いつでも本当のことを言ってきた。正直がいいことだと思って、自分のことをみんなさらけ出してきたけど、そんなことはなかったんだよね。タレントとか芸能人とかいうのは、隠しておけば隠しておくほどいいんだよね」
「そんなものなのかな」
「お母さんが眼が見えないということも、両親が旅芸人の浪曲師だったってことも、みんな本当のことだから恥ずかしがることはないと思ったし、貧乏だったということも、あたしが流しをしていたってことも、みんな本当のことなんだから、恥ずかしくないと思ってた。でも、隠しておくべきだったんだろうな……」
「そうだろうか」
「あたしこそ、もしかしたら芸能界に向いてないのかもしれないよ。冗談じゃなくて、ね」

 これを読んでいると、藤圭子さんという人は、どこまでも真実の人のような気がするし、その一方で、幻想のカタマリのような感じもしてくるんですよね。
 この本の中では、沢木さんが『深夜特急』の旅の途中で藤圭子さんに出会ったときの話や、藤さんが声帯のポリープを手術したことによって、自分の「声」が変わってしまったことに絶望したことなども紹介されています。
 そして、「本当のこと」へのこだわりは、たしかに、娘の宇多田ヒカルさんにも、受け継がれているように思われるのです。
 さまざまな報道では、藤圭子さんの人生の後半は、かなり問題が多くあり、ご家族は苦労もされたのではないかと思うのですが、少なくともこの時代には、率直な藤圭子さんの人柄に惹かれた人もまた、たくさんいたはずです。
 その一方で、「藤圭子を利用しようとした人」も大勢いたようなのですが……

「もしかしたら、あの人を駄目にしたには、あたしかもしれないから……」
「どういうこと?」
「デビューして、もう2、3年の頃からそうだったんだけど、あたしには収入があるわけ。並のお金じゃない収入があるわけ。あたしっていうのは、どういうんだろ、持っていると人にあげたくなっちゃうの。どんなものでも与えたくなっちゃうの。その人が欲しいというものなら、それがいま、自分のうちで使っているテーブルでもあげちゃう。人に何かしてあげたくなっちゃうんだよ。それが、相手が男の人でも、そうしちゃう。結果的にはそれが悪いんだって人に言われるんだけど。よくない言葉で言えば、貢いじゃうんだ。男の人に支えられるというより……なまじ生活力があるもんだから、逆にしてあげちゃうわけ。その人の場合にも、好きなものを買ったり、みんな自由にしてもらっていたの。でも、いま考えると、そういうこと……働かないでお金だけ自由になるなんていうことを、男の人にさせてしまったっていうのは、よくないことだったんだよね。それは、ほんとに、悪かったと思ってるんだ。あたしが、そんなふうにしなければ、もっと違ってたんだろうなあって思う」
「あなたの考えは、実に男っぽいね」
「いけないのかな?」

 これは、情に厚い性格からだったのか、それとも、幼少期に複雑な家庭環境で育ったこともあり、「他人に嫌われることへの恐怖」があったのか……

「うん。それに、あたしって、やっぱり、気が弱いんだよね。いつだってそうなんだ。電車で席が空いてると思って、知らないで坐ると、いつだって、前に疲れた人がいることに気がつくんだ。だから、慌てて立っちゃうんだ。気がつかなければ、そのまま坐っていられるのに。こっちだって疲れてないわけじゃないけど……でも、仕方ないんだ。坐り続けている方が、もっとつらいことだから、ね」
「そうか……」
「もしかしたら、あたしって、ほんとに幸せが薄いのかもしれないね。なんとなく、この頃、そんなこと思うんだ。駄目なんだよね。知らないふりして生きていけないんだ、あたし、駄目なんだよね、きっと、そう……」
「いや……」
「ものわかりのいい、いまふうの、いい女のふりをしてれば、幸せなときが長く続くかもしれないけど、でも、そんなわけには、いつもいかなかったんだ」

「でも、そんなわけには、いつもいかなかったんだ」
 晩年の藤圭子さんに、どの程度の「病識」があったのか、僕にはわかりません。
 なかなか病院に行こうとせず、家族が悩んでおられたという話もあります。
 ただ、僕のような外野からみると、結局のところ、藤圭子さんというのは「こういうふうにしか、生きられなかった人」なのかもしれないなあ、という気がしてくるんですよね、これを読んでいると。
 むしろ、こんなキツイ生きかたをして、よくあの年齢まで頑張ってこられたものだなあ、なんて考えてしまったりもするのです。
 藤圭子さんは、何かを怨んで歌っていたわけではなかった。
 そこに「怨み」みたいなものを投影していたのは、観客の側だったのです。
 そして、少なくともこのインタビューの時期、1979年の藤圭子さんは、いろんなもどかしさを抱えてはいるけれど、優しすぎるくらい優しく、人生に迷いながらも希望を捨ててはいない、魅力的な女性だったことがわかります。

 ニューヨークで結婚してからの藤圭子は知らない。しかし、私の知っている彼女が、それ以前のすべてを切り捨てられ、あまりにも簡単に理解されていくのを見るのは忍びなかった。
 私はあらためて手元に残った『流星ひとつ』のコピーを読み返した。そこには、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という一行で片付けることのできない、輝くような精神の持ち主が存在していた。

 ニュースでは、ひとりの人間の生き様が、あまりにも手軽にまとめられすぎているのです。
 そのことに、あらためて気づかされる一冊でもありました。
 
 

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