琥珀色の戯言

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【読書感想】現代中国悪女列伝 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
美人で頭もよくなければ悪女になれない。魅力ある女はカネと権力を呼び寄せる。藩煕来の妻・谷開来から、「公共情婦」、ネット上の露悪女まで、中国社会をウラで動かしている悪女たちの、恐ろしいけれど、どこか切ない物語。


この新書を読みながら、「うーむ、なんだか同じような内容のゴシップ記事の寄せ集めみたいだし、新書としてはボリュームもあるし、ちょっと疲れたな……」なんて思っていたのです。
「藩煕来事件」については、いろんなメディアで採り上げられたものを断片的に読んでも、いまひとつ全体像がつかめなかったのだけれど、これを読んで、ようやく理解できたような気がしたんですけどね。
ただ、この新書、「ディテールは異なっていても、同じような『上昇志向が強い女性」と『当たり前のように愛人をはべらせ、公職にありながら自分の利益を優先する男性』の話ばかり」だなあ、と思いながら読んでいるうちに、なんだかその「同じようなことが、中国の歴史では繰り返されていること」の意味みたいなものを考えさせられてくるんですよね。
最近では、中国にも奇矯な行為でウォッチャーを喜ばせる「ネットアイドル」みたいな、これまでとは違ったタイプの「悪女」も登場してきており、なんだかパリス・ヒルトンとかチャーリー・シーンみたいだなあ、とも思いました。
中国には、確実に「アメリカナイズ」されてきている部分もあるような。


著者は「中国の悪女」について、「はじめに」でこう述べています。

 悪女・悪女というが中国においてはそう呼ばれるためには、およそ四つの条件があるそうだ。


1.美女である。
2.才媛である。
3.世間を驚愕させる事件を起こす。
4.政治権力とかかわりがある。


 つまり美人で、頭もよくなければ悪女にはなれない。魅力のない女は悪女とは呼ばれない。魅力のある女は金と権力を呼び寄せる。だからこそ、世の中を驚愕させ、ゆすぶり、時代を変えるきっかけとなる事件をひき起こすのだ。時代の変わり目に、悪女たちは活躍する。

この新書でも、最後のほうで「中国史上最大級の悪女」として、文化大革命を引き起こした、毛沢東夫人・江青さんが採り上げられているのですが、この人も確かに1〜4にあてはまる人でした。

「公共情婦」という言葉がある。
 単なる「娼婦」とも「情人」とも若干ニュアンスが違う。そこに権力、金、色欲の駆け引き、政治が介在する含意がある。過去、中国の政治家・官僚が公共情婦を持たなかった例はほとんどない。
 社会科学文献出版社の『形象危機応対研究報告 2012』によれば、高級官僚の95%が愛人を持っているという。つまり、それは一種の中国政治文化だといっていいだろう。権力をもてば、金を持つようになり、その証として愛人を囲う。現代中国のように権力と金と愛欲が熾烈な駆け引き道具となっている場合、一人の官僚が数十人もの愛人を囲っていた、というニュースが当たり前のように流れる。そして同時に一人の愛人が数十もの高官を虜にしていた、という例も少なくないのだ。

日本でも、会社とかの偉い人は銀座のホステスなどの愛人を囲っている、というイメージがあるのですが(すみません、僕には未知の世界なので、ソースは『課長・島耕作』です)、さすがに95%、ということはないだろうな、と。「公共情婦」なんて、偉い人たちが、みんなで集まって乱交しているようなものなのに。


この新書のなかでは、「悪女」の側のさまざまな手練手管も紹介されています。

 この失恋を境に、湯燦の魅力は一層妖艶なものへと変わってゆく。陸川が自分より6歳年下の秦嵐に奪われたのは、陸川が自分の性技に満足していなかったのだと考えた。陸川はよく、ヨガをやれ、と彼女に勧めていた。ヨガをやると性技が上達すのだ、と。彼女はそのとき、週二度、ヨガのクラスに通ったが、一カ月でやめてしまった。それは主に痩身目的のクラスだったので、すでにスタイル抜群の彼女にさほど必要なものとは思えなかったのだ。だが、その後、ヨガの本質が「気のめぐり」の調整にある気功とよく似たものだと知り、専門家について真剣にその原理を勉強した。そして自分なりに、性能力を最大限に引き出すためのヨガを研究して、毎日必ず一時間するようになったという。

いやほんと、誰がこんな話、聞いたんだ……というようなエピソードなのですが、ヨガって、そういうメリットもあるのですね。
一つ間違えば、アダルトビデオかコントみたいな世界だよなあ、これって。


著者は、中国で権力者と公私ともに結び付いて、私利私欲を貪り、権力を駆使するタイプの「悪女」が出現してくる理由を、このように考察しています。

 重要なことは、悪女は単体では存在しえないということだ。悪女は権力を持つ男を軸にして初めて存在が成立するのだ。悪女は生まれながらに悪女ではなく、権力を持つ男との出会いによって女の中に潜む毒からの悪の華を咲かせる、そういう存在ではないだろうか。乱暴に一言で言えば、もとは男が悪い。
 ちなみに中国で「悪い男」というのは、必ずしもネガティブな意味ではない。「男人不壊、女人不愛(ワルじゃなきゃ、女は惚れない)」とは巷でチョイワル男をほめる言葉だが、悪くなければ生き残れない、出世しない、金持ちになれない、というのは中国では世間の常識でもあるのだ。「好い人(老好人)」という言葉を人に投げるときは、若干の侮蔑のニュアンスがある。凡人、お人よし、普通の人、といった小馬鹿にした感じだ。だから、あなたはいい人ね、なんて男性にはあまり言うものではない。

まあ、日本でもこういう「成功した人間は、愛人のひとりやふたりいるのが『甲斐性』」などと考えている人も少なくないようなのですが、中国ではさらにそれが正当化されているというか、「でも、無能な善人よりは良いんじゃない?」という文化なんですね。
もっとも、そこには日本に比べて貧富の差が激しいことも影響しているのかもしれません。
食べていくためには、のし上がっていくしかない。
そして、油断したらすぐに蹴落とされる中国。
清廉にしていても、そんなに贅沢しようと思わなければ、それなりに食べていける(ことが多い)日本。

 私自身は、中国などと比較すると、日本は、男であろうが、女であろうが、比較的公平に努力が報われる社会であると感じている。それは日本に移り住んでいる中国人からもよく聞く話だ。仕事をしながら結婚し子供を産むというのは確かに大変だが、幼児を老親や親戚のもとに預けたままで両親が半年や一年も出稼ぎに出たきりなのが当たり前のような社会と比べると、まだ普通の苦労ではないかと思う。もちろん日本の女性をめぐる環境が良くなるにこしたことはないので、改善の余地のある部分については、要求はどんどん言えばいいのだが、日本人女性は実は非常に恵まれているのだという自覚はあった方がいい。自分でどのような人生を歩むか、自分で取捨選択できるとうのは、とても幸福なことである。
 でも中国の場合、たとえ高収入の夫に嫁いでも、専業主婦になりたいという人は少ない。できればビジネスをしたい。高収入の夫はたいてい何らかの権力を持っていたりするので、そういう権力・利権をフルに生かしてビジネスをしたい、と考える。

中国の女性が結婚後もビジネスをしたいと考えるのは、いざというときに、自分で自由に使えるお金を確保しておきたい、という理由もあるそうです。
相手の男が飽きたら捨てられるし、中国では夫婦が別姓であるように、女性は婚家とのつながりが薄い(そのかわり、実家との繋がりが結婚後も強い)社会でもあります。
なぜ、同じような「悪女」が、繰り返し出現してきたのか、という問いへの答えは、「こういう形でしか、女性の社会参加が難しい時代が長く続いているから」なのです。
そういう意味では、この「悪女」たちも、「もっと選択の幅が広ければ、もっとクリーンな形で才能を発揮できていたのではないか」と、気の毒になってしまうところもあるんですよね。
日本人である僕の感覚としては、「こんな公私混同が許されてもいいのか?」なのですが、中国では「そういうものだよね」と、みんな諦めているか、ちょっと憧れている。
文化的背景の違いを受け入れていくというのは難しいことだなあ、とあらためて考えさせられる新書でした。

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