琥珀色の戯言

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【読書感想】当マイクロフォン ☆☆☆☆


当マイクロフォン (角川文庫)

当マイクロフォン (角川文庫)


こちらがKIndle版。2014年1月3日の時点では、330円です。

当マイクロフォン 角川文庫

当マイクロフォン 角川文庫

内容紹介
昭和28年NHK入局、のちにラジオ界屈指の語り手となった男、中西龍。若い頃から風狂で型破り、仕事の鬼となるいっぽうで、遊郭に入り浸り、地回りと揉め、地方局を転々とした。語りに生きた男の波瀾の一生涯を描く


内容(「BOOK」データベースより)
業と因果に翻弄されて、地方局を流転した。熊本、鹿児島、旭川、富山、名古屋、東京、大阪。その声と語りは、全国の聴衆を魅了した。母を恋い、激情に身を明け渡し、芸の鬼となった男、中西龍の魂に安住の地はあるのか―。伝説のアナウンサー中西龍の生涯。俳風評伝小説。


中西龍(なかにし・りょう)という「伝説のアナウンサー」を、知っていますか?
僕にとっては「名前くらいは聞いたことがある」くらいで、正直、あまり思い入れはありませんでした。

 『にっぽんのメロディー』――それではまた明晩。
 お休みなさい。



 マッチの火が消えるかのような口調の挨拶で番組が終わると、すぐに初老の運転手はカーラジオを切った。
「お客さん、NHKのひと?」
 先ほど二村はNHKの内玄関沿いの道でタクシーを停めたので、そのように訊かれ手も不思議はない。
「ええ」
「いいですねえ、中西龍さんの同僚だなんて」
 二村は苦笑する。
「でも一緒に仕事したことないんですよ。会ったこともない」
「そりゃダメですよ、お客さん。NHKに入ったからには一生懸命精進して、<当マイクロフォン>と仕事しなくちゃ」
<当マイクロフォン>とは、中西龍がみずから出演する番組で用いる一人称代名詞、すなわち<わたくし>と同じ意味の言葉だ。
「……そうですね。中西さんと仕事しなくちゃね」


 実は、僕がこの本を知ったのは、某所で読んだ、あるエピソードからでした。
 『怒り新党』で、マツコさんや有吉さんをうまく仕切っている(?)夏目三久というアナウンサーは、多くの人に知られていると思います。
 その夏目さん、以前、某局のアナウンサーだった際に、男性と仲良くしているプライベート写真が流出し、担当番組を降ろされ、干されていた時代があったのです。
 そんな失意の時代の夏目さんに知りあいが薦めたのが、この『当マイクロフォン』だったのだとか。
 読んでみると、なんというか、「ひょっとして、嫌がらせ?」というのと、「いや、中西龍さんは、いろんなこだわり、そして暗部が『話芸』の源になっているとも考えられるから、スキャンダルにめげずに頑張れ、って意味だったのか?」というのが入り混じってしまいました。
 スキャンダルで「謹慎」している人に薦める本としては、かなり微妙な気もしますけど、中西さんの数奇な人生というのは、たしかに面白かった。


 この中西龍さん、けっこうな遊び人で、政治家の父親のコネでNHKに入社します。
 そして、NHKの新人の決まり事として、さまざまな地方局を異動していくことになるのですが、行く先々で、上司や周囲の人と衝突したり、女性問題を起こしたり。
 本当に、モテる人であり、独特のアナウンスの技術と美しい声は、各地にたくさんのファンをつくっていくのですが、とにかくプライベートでは問題児だったんですよね。
 その一方で、リスナーには優しく語りかけるし、とにかくマメな人でもあったそうです(だからモテたんでしょうね)。

「……凄いんだよ、聴取者からの葉書が。もう、群を抜いた反響だった」
 二村の頭のなかに、昨夜タクシーのカーラジオで聴いた『にっぽんのメロディー』の音声がよみがえった。聴取者からのきわめて私信に近い便り。そして、中西の過剰なまでに丁寧な語り口調。ラジオに聴き入るファンのこころを蕩けさす技は、二十代のときから芽ばえていたのだ。
「みんなに語りかけるDJじゃない。あなたひとりに丁寧な口調でかたりかける番組なんだ。それに、いつも背中のポケットに官製葉書を十枚くらい入れておいてね、ちょっと時間ができると番組宛にきた便りの返事を書く。ちょうだいしたお手紙ではこのごろ風邪をお召しとか、ご快癒をこころよりお祈り申し上げます――なんてことを書いてね。ニュースの取材で世話になったひとにも名刺を整理するときに必ず葉書を書く。とにかくマメなんだ、あいつは」
「いまでもラジオ番組に来るお便りには必ず返事を出すらしいですね、中西さんは」
「おれにはとても真似できないよ、そんなこと」
「女性にもマメだったんでしょうね。だから、齢上の芸者さんもすっかり中西さんに惚れた」
 長濱は大真面目な表情でうなすく。
「うん、そういうことだ」

 情の深さと、酷薄さ。
 こだわりやマメさと、いいかげんさ。


 本当に、この中西龍という人は、不思議な人だなあ、と思います。
 

 ただし、中西さんは「情」だけの人ではありませんでした。
 アナウンサーとしての高度な技術を持った「職人」でもあったのです。

 正午のニュースの下読みをしている中西龍を、向かいのデスクから、今年入局、つまり中西より一年後輩の佐藤喜徳郎が好奇の目で見つめている。それはふつうのニュースの読みと違い、独特のアクセントと抑揚のついた、いわば中西節の読みだった。
「中西さんが読むと、ニュースも現代の事件じゃないみたいですね。なんだか古代の伝記を語り部が朗々と詠唱しているように聞こえます」
 学究肌の佐藤が感じ入った表情でいう。龍は後輩をじろりと一瞥した。
「佐藤君、アナウンスの要諦は、他人様と違うところで切ることですよ」
 句読点の場所で単純に切るのでは、ひとのこころに情感を醸すアナウンスにならない――それは学生時代、歌舞伎、新劇、アチャラカ喜劇などあらゆる芝居を見たすえに得た確信だった。あまたいる役者たちのなかで、龍が私淑してやまないのはそのころムーラン・ルージュの舞台に立っていた森繁久彌文学座芥川比呂志だった。ふたりとも、句読点どおりには台詞を切らない。だからこそ、観客はえもいわれぬ緊張感と不思議な心地よさを味わうのだ。

 
 これを読んでいて、もう10年以上前、古館伊知郎さんのトークライブで、古館さんがNHK松平定知アナウンサーを「あの人は、肝心なところになると、わざと声を小さくして、視聴者に耳を傾けさせるというテクニックを使っている」と評していたのを思いだしました。


「アナウンサー」にもいろんな考えの人がいて、「自分の色を出さずに、とにかく原稿をわかりやすく、伝わりやすく読む」ことを信条としている人もいれば、「自分にしかできない『話芸』を聴かせたい」という人もいます。
 中西龍さんは、後者だったのです。
 ただし、この本におさめられている証言によると、他のアナウンサーのモノマネもすごくうまかったのだとか。
 圧倒的な基礎をつくっていたからこそ、それを崩すこともできたのでしょう。


 中西さんの「個性を前面に出すアナウンス」は、NHKの内部的には評価が分かれたようですが(NHKの視聴者にとっても、かなり好き嫌いが分かれるものだったと思われます)、「好きな人にとっては、たまらない」魅力があったんですね。


 あまりにも「人情的」で、湿っぽくて、なんだか自己陶酔しきった葬儀屋さんの「泣かせようとしてかえってしらけてしまう、葬式のアナウンス」みたいなイメージを僕は中西龍さんという人に持っていました。
 涙もろくなった、お年寄り向けの人だったのではないか、とも。


 この本を読んで、中西龍さんの人生を辿ってみると、「人間の魅力って、何なのだろう」と考え込んでしまうのですよね。
 中西さんは、僕からみれば、だらしないし、女性をたくさん傷つけているし、コネ入社だし、自分に酔っている。
 でも、「惹かれる」のですよね、やっぱり。
 人間って、不思議なものだと思います。
 

 夏目三久さんは、この本を実際に読んで、どう感じたのだろうか。
 ただ、いまの夏目さんをみていると、あのスキャンダルは、長い目でみれば、けっしてマイナスではなかったのでは、と思うのですよね。

 
 

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