琥珀色の戯言

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【読書感想】本の逆襲 ☆☆☆☆


本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)


Kindle版もあります。

本の逆襲 ideaink 〈アイデアインク〉

本の逆襲 ideaink 〈アイデアインク〉

内容(「BOOK」データベースより)
出版業界の未来は暗いかもしれないが、本の未来は明るい。本はインターネットもスマホSNSもイベントも、すべてのコンテンツとコミュニケーションを飲み込んで、その形を拡張していく。「本と人との出会い」を作る型破りなプロジェクトを次々と立ち上げ、話題の新刊書店、下北沢「B&B」でメディアとしての本屋を実験する若きブック・コーディネイターが、新しい本の可能性を指し示す。形が見えないからこそ、明日の本も本屋も面白い。


 本、とくに「紙の本」に関しては、本が売れなくなり、新刊書店がどんどん減ってきていることなど、ほとんど明るい話題がありません。
「本の未来は明るい!」
 そういう言説を耳にすることはほとんどなく、「いかにして、出版文化を保全していくか?」みたいな話ばかりです。


 この『本の逆襲』の著者は、そんな「風潮」に風穴をあけようと、奮闘しているのです。
 冒頭で、著者は、こう宣言しています。

 この10年現場で経験したことからも、決して未来が明るくはないということがよく分かりました。しかし一方で、たとえば「飲食業界の未来」と「食の未来」、「アパレル業界の未来」と「ファッションの未来」とが別であるように、「出版業界の未来」と「本の未来」とは、別のものだと考えるようになりました。「出版業界の未来」ははっきり言って暗いけれども、生き残る方法はたくさんあるし、「本の未来」に至ってはむしろ明るく、可能性の海が広がっているとぼくは考えています。
 いま、本は出版業界の外側に広く拡散していて、その周辺まで含めて様々なことが起こっています。これは今まで散々ネガティブな言葉を投げつけられてきた、本による、本のための「逆襲」ではないかと考え、このタイトルを付けました。


 しかし、そんなこと言っても、「本が売れない」という現実に、どう立ち向かっていくんだ?
 僕はそう思いました。
 それに対して、著者は「これまでの本の概念にとらわれすぎないこと」を、出発点として「本の逆襲」を企んでいるのです。

 手書きのものが冊子になり、やがて印刷され、そしてデジタルになったこれらすべてを、広義の本であると考えてみます。するとたとえば、企業が作る商品のカタログやパンフレットも、本だと言えるでしょう。それをデジタル化した、商品のウェブサイトさえ、iPadで見たら一緒ですから、本でないとは言えません。博物館に収蔵されている写本が本であるならば、現代に生きるぼくたちが文庫本サイズのノートに手書きで書いた小説も、本だということになります。Evernote上にある書きかけの論文でさえ、本ということになる。電子書籍だけでなく、電子辞書も本です。
『タウンページ』が本なら、携帯電話に登録した電話帳さえも本です。スマートフォン版の写真集が本なら、撮った写真をプレビューしているデジタルカメラの画面だって本でしょう。
 『弟切草』や『かまいたちの夜』といったサウンドノベル・ゲームがきっかけで、本好きになったという人がたくさんいますから、スーパーファミコンだけでなくすべてのゲームソフトは、きっと本です。青空文庫のラインナップが読める『DS文学全集』があるニンテンドーDSは、見開きの形からしてもまさしく本でしょう。ブログも「2ちゃんねる」のスレッドも誰かのTwitterのつぶやきも、そのまま書籍化されることがあるくらいですから、もちろん本です。トークショーやニコ生の中継はもちろん、文字起こしされるその前から、その時点で本でないとは言えません。そう考えるともはや、ただぼくたちが飲み会を企画して居酒屋で友達としゃべっているだけでも、その時点で本を出版していることになるのかもしれない……?


 後半のほうは、やや暴走気味ではありますが、紙の本や雑誌の売上が落ちてきている一方で、日頃目にする「文字による情報」すなわち「本のようなもの」は、以前に比べて、増えこそすれ、減ってはいないのですよね。
 とくに、ネット関連では、毎日、膨大な分量の文字を目にしている人も多いはず。
 「活字嫌い」のはずの学生だって、SNSで文字のやりとりを続けています。
 「紙の本の時代」は揺らいできているけれども、「文字を使っての情報のやりとり=本」とするならば、本の世界は、どんどん広がっているのです。
 まあ、だからこそ「紙の本が売れなくなった」とも言えるのでしょうけど。


 著者たちは、この状況の変化を逆手にとって、「書き込みがある本は、かえって『世界にそれしかない』一点ものになる」と発想したり、「昼間からビールを飲みつつ本を読める書店」をつくったり、「作中の印象的な一文が付けられているだけで、本のタイトルや著者名がわからない文庫本のフェア」を仕掛けたりしているのです。
 本を売り、本の内容を伝えること、だけではなく、一冊の本をきっかけにした人と人とのコミュニケーションこそが、これからの時代の本の役割なのではないか、と。

 ぼくたちが「新刊書店をやりたい」と取次に相談に行ったとき、異業種からの新規参入は数年ぶりだと言われました。もちろん新しい書店は毎年オープンしていますが、基本的には大手書店チェーンの支店であったり、その別ブランドであったりします。まったくの新規参入がないというのは、残念ながらこのままでは、業界として終わりが近づいていると言ってよいでしょう。
 さびれた商店街の小さな新刊書店で、あまりお客さんが入っていないのにずっと続いている、というようなところは、家族で経営していて土地も物件も自分のもの、という場合がほとんどです。そして前述のとおり、日本全国どこでも買えるものを、どこでも同じ値段で売らなければならないため、普通の小売店と比べて努力をする余地が少ない。経営が厳しくなってくるとたいてい、選書と陳列に手間をかけて集客を増やすという余裕は残っておらず、むしろ人件費を下げて返品を増やして当座をしのぎ、結果的にどんどん品揃えが貧しくなっていく、という悪循環に陥ってしまいます。今や新刊書店というビジネスは、大手チェーンの規模か、よほどの好条件が揃わない限り、単体ではとてもやっていけないのです。
 そうした前提から考えて、仮に今よほど条件が揃ってうまくいっていたとしても、これからもずっと紙の本だけを売ってやっていこうと考えるのは、得策ではないように思います。これからの新刊書店が生き残っていくためには、本と相乗効果のあるいくつかのビジネスを組み合わせて、収益源を確保するという「掛け算型」が、最良にしてほとんど唯一の方法ではないか、とぼくは考えています。

 これはたしかに、そういうことになっていくのだろうな、というか、もう、そうなっているのでしょうね。
 僕自身は、クラシックな「本屋」が好きなので、みんな「ヴィレッジヴァンガード」みたいになってしまったら悲しいのですけど、「書店」がなくなってしまうよりはマシです。
 僕が以前住んでいた、人口5万人くらいの地方都市だと、TSUTAYAがいちばん大きな新刊書店だったりするんですよね。
 「なんで普通の『書店』よりも、TSUTAYAのほうが、本が(少しは)揃っているんだ?」と嘆きたくもなるのですが、それは逆の話で「本以外でも稼げるTSUTAYAだからこそ、それなりの種類・数の新刊書を並べる余裕がある」のだなあ、と。


 あと、この本を読んでいて感じたのは、「書店の多様性」は、やはり東京のような大都市でないと、成り立たないのではないか、ということだったんですよね。
 ターゲットとしている人口が多いほど、専門的な書店でも、固定客はつきやすいでしょうから。
 そういう意味では、Amazonがあればおんなじ、なんて考えていたけれど、やはり「文化の格差」というか「多様性の差」みたいなものは、まだまだ存在しているのかな、と思います。


 著者は「本」について、次のように述べています。

 大きな書店に行けば、そこにはたくさんの本が並んでいます。インターネット上を探せば、さらにたくさんの本があります。およそ、人がこれまで関心を抱いてきたすべてのことについての本が存在します。逆に言えば、本には世界のすべてがある。
 そして本は、そこに書いてあることだけで完結しているものではありません。言葉の意味をみんながすべて同じように理解し、同じような考えを持って生きるということはありませんから、100人いれば100通りの「読み」があります。本は書かれたところで止まっているのではなく、読まれて初めて本として完成する、書き手と読み手のコミュニケーションなのです。

 「本」には、ずっと前から、コミュニケーションツールとしての働きがありました。
 僕も子どもの頃、友達と「あの本が面白かった!」などと情報交換をしたり、「書評」を読んで、自分の感想と比べたりしていました。
 いまは、インターネットのおかげで、もっとカジュアルに「本を通じてつながる」ことができているし、著者の定義でいえば、「本について語ることそのものも、本である」ということなのでしょう。
 

 僕自身は、まだまだ紙の本や、電子書籍での「紙の本のフォーマット」に思い入れはあるのですが、それでも、本が生き残るためには、こういう「意識改革」が必要なのだろうな、と感じます。
 というか、どういう形であれ、「本」というのは、これからもしばらく、少なくとも僕が生きているあいだくらいは、生き残っていくはずです。
 「本好き」というのは「書店好き」と混同されすぎていたのかもしれないな、と考えさせられる一冊でした。

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