琥珀色の戯言

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【読書感想】里山資本主義 ☆☆☆☆



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里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

内容紹介
「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている! 原価0円からの経済再生、コミュニティ復活を果たし、安全保障と地域経済の自立をもたらす究極のバックアップシステムを、日本経済の新しい原理として示す!!

『デフレの正体』の著者とNHK広島取材班によってつくられた番組(中国地方限定放送だったそうです)をもとに「これまでの『マネー資本主義』一辺倒から、脱却しようとしている人と地域」を紹介した新書です。


僕はずっと前に、小林よしのりさんの本で、「マクドナルドは、世界中に張り巡らされたネットワークを駆使して、リアルタイムに『世界でいちばん安い牛肉』を仕入れている」という話を読んで驚いた記憶があります。
いまとなっては、そういう「グローバル化」は、コストダウンにとっては至極当然のこととなっているのですけど。
ちなみに、そのことについて、小林さんは「世界でいちばん安い牛肉というのは、どんな肉なのか、想像してみてほしい」と警鐘を鳴らしています。
まあ、マクドナルドのハンバーガーを食べて即死した、というような話も聞かないのは事実ですけど。


この新書を読んでいると、資本主義が突き詰めていっている「グローバル経済」は、そろそろ限界に近づいてきているのではないか、という気がしてくるんですよね。
「世界でいちばん安い野菜を手に入れるには、どうすればいいのか?」
「マネー資本主義」では、「その野菜をつくっている、物価の安い国から、大量に輸入する」というのが「正解」なのでしょう。


その先入観に、著者たちは疑念を呈しているのです。
「都会では無理でも、田舎に住んでいる人なら、自分でつくる、あるいは、知り合いの農家から分けてもらえばいいじゃないか」
なんだそれは、と怒る人もいるでしょう。そんなことは、自分たち都会に住む人間には無理だ、と。
それはもちろん、その通り。
著者たちがここで述べているのは「それが可能な環境にいる人たちだけでも、身近なところで、エネルギーをつくったり、農産物を『地産地消』していくようにすれば、人の生き方も多様になり、グローバル経済が行き詰まったときのバックアップにもなるのではないか」ということなんですよね。


この新書のなかでは、岡山県真庭市の『銘建工業』の中島浩一郎さんが紹介されています。

 中島さんは、住宅などの建築材を作るメーカー、銘建工業の代表取締役社長だ。従業員は200名ほど。年間25万立方メートルの木材を加工。真庭市内の製材所で最大、西日本でも最大規模を誇る製材業者の一つである。
 そんな中島さんが、1997年末、建築材だけではじり貧だと感じ、日本で先駆けて導入、完成した秘密兵器が、広大な敷地内の真ん中に鎮座する銀色の巨大な施設だ。高さは10メートルほど。どっしりとした円錐形のシルエット。てっぺんからは絶えず、水蒸気が空へと上がっている。
 これが今や銘建工業の経営に書かす事ができない、発電施設である。
 製材所で発電? エネルギー源は何? この問いにピンとくる方は、かなり自然エネルギーへの関心が高い方といえる。答えは、製材の過程ででる、木くずである。専門用語では「木質バイオマス発電」と呼ばれている。
 山の木は、切り倒されると、丸太の状態で工場まで運ばれてくる。工場で樹皮を剥ぎ、四辺をカットした上で、かんなをかけて板材にする。その際に出るのが、樹皮や木片、かんなくずといった木くずである。その量、年間4万トン。これまでゴミとして扱われていたその木くずが、ベルトコンベアで工事中からかき集められ、炉に流し込まれる。炉の重い鉄の扉を開けてもらう。灼熱の炎が見え、火の粉が勢いよく噴き出す。むわっと熱気で顔がひりつく。
 発電所は24時間フルタイムで働く。その仕事量、つまり出力は1時間に2000キロワット。一般家庭でいうと、2000世帯分。
 それでも1000万キロワットというとんでもない出力を誇る原子力発電所と比べると、微々たる発電量である。
 こうした話になると、とりわけ震災後は「それで原子力発電所がいらなくなるのか?」といった議論ばかりされるが、問題はそこではないのだ、と中島さんは語気を強める。
原発一基が1時間でする仕事を、この工場では1ヶ月かかってやっています。しかし、大事なのは、発電量が大きいか小さいかではなくて、目の前にあるものを燃料として発電ができている、ということなんです」
 会社や地域にとってどれだけ経済効果が出るかが大事、なのだ。

 中島さんが「発電量の大小は大事なことではない」と仰っておられますが、実際には「原発にはとうてい適わないけれども、会社や地域に大きくプラスになるくらいの発電はできている」のです。
 この中島さんの工場では、バイオマス発電により使用する電気のほぼ100%をまかなっており、それで1億円の電気代が浮いています。さらに、余った電気を電力会社に5000万円で売っているそうです。
 そして、この木くずを産業廃棄物として処理するためには、年間2億4000万円が必要だったとのことです。
 つまり、このバイオマス発電だけで、年間4億円近くのプラスになっています。
 1997年末に完成したこの発電施設には10億円かかったそうですが、維持費などを含めても、大幅な利益をあげていることになります。


 この発電所の建設を銀行に持ちかけたとき、銀行の担当者は、こういう反応だったそうです。

「銀行からは、電気ではなくて、たとえば生産規模を上げるための設備とか、加工度を上げる設備とか、投資先は他にいくらでもあるだろうと言われました。エネルギーなんていうものは、最優先ではないでしょう。そういう言い方でした。

 結果的に、中島さんには先見の明があった、ということなのですが、現在、2013年でも、日本の多くの銀行は、同じような反応を示すのではないでしょうか。
 それとも、福島原発の事故をきっかけに「自然エネルギー」への投資を積極的に行うようになっているのかなあ。


 それまで、この会社も「目の前に、エネルギーを生むための材料」が揃っているにもかかわらず、電力会社から電気を買っていたのです。
 そのほうが「効率的」だと信じて。


 オーストリアでは、森林資源が見直され、自然エネルギーの利用が推進されています。

 いよいよ肝心の質問を、ヨハン・ツェッシャーさんに投げかけてみる。
「森林が1年間に生長する量の100%を利用することを目指しているのですよね? しかし、100%を超えてしまったら。つまり、伐採しすぎてしまったら、どうするのですか?」
 答えは明快だった。
「そのような事態が起きてはならない。これを防ぐ最善の方法が、教育なのです。
 扱ってもよい資源量がわかっていれば、資源を獲得しようと努力しますから。私たちは現在の森林の全体量が減ってしまうような伐採は行いません。どうするかというと、森が生長した分だけを切るのです」

 オーストリアでは、徹底した森林調査を行い、毎年どのくらいの木を切るのか決めているそうです。
 この項には「林業の哲学は『利子で生活する』ということ」というタイトルがつけられていて、なるほどなあ、と感じました。
 もちろん、日本の場合、現時点ではオーストリアと全く同じことはできないでしょうが、一部だけでも「取り入れていく」ことは可能なはずです。


 そして、この本を読んでいて考えさせられたのは、「世の中には『無償でもいいから、あるいは、儲からなくてもいいから、誰かの役に立ちたい』という人が、少なからずいるのだ」ということでした。
 この本のなかでは、年金生活をしているおばあちゃんが、家庭菜園でつくっている「自分では食べきれないし、売り物にするほど獲れるわけでもない野菜」を、地域の老人保健施設に寄贈する、という話が紹介されていました。
 まったくの無償というわけにもいかないので、結果的には地域でつかえる商品券のようなものと引き替えになったそうなのですが、おばあちゃんは「どうせ捨てることになるのだから、タダでも誰かに食べてもらえるほうがありがたい」と仰っていたとのことです。
 そういった作物を集めてくるだけでも、施設の食費はかなり浮き、地域の高齢者たちは「誰かの役に立っていること」に喜びを感じるのです。
 まさに、WIN-WINの関係、ですよね。

 里山資本主義はいい話なので、政府の補助金を使ってどんどん推進して欲しい」という人もいるかもしれない。筆者はそうは思わない。
 日本でもインターネットの利用が、ある時点から爆発的に増えて、何かの事業者であればホームページを持つのが当たり前になり、ブログを持つ個人が増え、さらにフェイスブックだ、ツイッターだとハードルの低い仕組みが登場してきた。これは、補助金を配ったから利用時間が増えたのではない。参加することが面白いから、何かの満足を与えるから、多くの人が時間と労力を割くようになったのだ。使わない人は使わない。それどことろか気付いていない人は気付いてもいないが、強制される必要もない。本当の変化というのはそのようにして起きるものだ。そして筆者は、里山資本主義の普及も、ネット初期のような段階にまで達してきているのではないかと感じている。面白そうだから、実際にやってみて満足を感じるから。そうした実感を持つ個人が一定の数まで増えることで、社会の底の方から、静かに変革のうねりが上がってくると思っている。
 というのも、里山資本主義を一足先に実践している人は、本当に面白そう、満足そうなのだ。なぜなのか。要は人というものの存在の根幹に触れる問題が、マネー資本主義対里山資本主義の対立軸の根底にあるからだ。マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう。違う、人はお金では買えない。あなただけではない。親も子どもも兄弟も買うことはできない。本当にお互いに寄り添えるような人生の伴侶も、買って来るものではない。あなたの親や子どもや伴侶にとっても、あなたはお金に換えられるものではないはずなのだ。

 もちろん、今の世の中で、いきなり「グローバル経済」=「マネー資本主義」をやめてしまうことなど不可能でしょう。
 人間がここまで増えることができたのは、「マネー資本主義による効率化、均質化」の力が大きいのです。
 でも、「できるところから、地産地消をすすめていく」だけでも、多くの人の生き方を変えることができるのも、また事実。
 これからは、『マネー資本主義』と『里山資本主義』をうまく組み合わせていくのが、最良の道なのかもしれません。
 都会で世界を相手に自分の力を試したい人はそうすればいいし、田舎で自分の手の届く範囲で暮らしたい人は、それもまた良し。
 たぶん、そんな世の中のほうが、多くの人にとって、生きやすい。


 実際に「里山で暮らす」ためには、地域の人々とのコミュニケーション能力が求められたりして、そんなに簡単なものではないとも思うのですが(「つながり」は「セーフティネット」であるのと同時に「煩わしいもの」だと僕も思います)、これからの時代を生きるうえで、知っておいて損はしないことが書いてある本だと思います。

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