琥珀色の戯言

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【読書感想】女子と愛国 ☆☆☆☆


女子と愛国

女子と愛国


Kindle版もあります。

女子と愛国

女子と愛国

内容紹介
かつての保守とは一線を画す、「愛国女子」の真実
最近、一般の若い女子たちが「右傾化」する傾向がみられる。この傾向をとりあげるメディアも目につくようになった。
これまで愛国活動といえば黒塗りの街宣車に乗って日の丸を掲げた男たちのイメージが強かった。ところが彼女たちは普通におしゃれやショッピング、趣味を楽しんだりする、20~30代の女性。OL、学生、主婦たちだ。
彼女たちはネットで愛国的な発言をしたり、デモや集会に参加する。
いつから、どうして彼女たちはこのような活動をはじめたのだろうか。
本書は、保守化し愛国活動に走る若い女性が増え続けているその実態と心理に迫った、新進ジャーナリストによる入魂のルポである。


<目次>
プロローグ
第1章 女子が声を上げはじめた
第2章 私が「愛国」に目覚めた日
第3章 ネットの普及が女子の保守化を後押しした
第4章 私たちの愛国活動はできる範囲でやる
第5章 愛国活動の落とし穴
第6章 私たちが導く正しい日本の国づくり
エピローグ


そうか、「愛国側」から見た世界は、こうなっているのか……
そんなことを考えながら、読みました。
僕自身は、1970年代前半生まれの「反戦教育、自虐史観(と呼ばれているもの)直撃世代」です。


「日本は欲望にまかせて、他国を侵略したから、世界を敵にまわし、戦争に負けたのだ」
「あの頃の日本人は間違っており、世界中に迷惑をかけた」
「原爆を落とされたおかげで、戦争を早く終わらせることができた」


 子どもの頃、広島に住んでいたこともあって、原爆のことは、他の地域よりも繰り返し教えられたと思います。
 毎年8月6日になると、被爆者の体験談なども聞いていましたし。
 どんな理由があっても「戦争」はよくないし、日本が核兵器を所有するなんて、考えるだけでもおぞましい、という気持ちで、子ども時代を過ごしてきました。
 「お国のため」という合い言葉で、多くの若者たちが、戦場に送られ、命を落としていったのだから、「愛国心」なんて言葉に脅されてはいけない、と。


 この本のなかでは、僕より10年、20年若い女性たちが「愛国心」を語っています。
 著者は冒頭で、こう述べています。

 本来、愛国の定義はとても単純なことだ。それは自分が生まれ育った場所を好きだと思うこと。両親に感謝して祖父母を大切にし、先祖を慕う。その気持ちを子供たちに受け継ぐことによって、自分自身も孫たちに大切にされ、子孫に慕われる。そうして連綿と日本人は長い歴史を紡いできた。
 日本だけではない。全ての国の人々がそうであるはずだ。若い人がその当たり前の気持ちに気付き始めたことが、いつしか日本では右傾化と呼ばれるようになったのではないだろうか。
 そして最近愛国活動に走る若い女性たちが増えてきた。もちろん国のため、地域のために力を尽くしてきた女性は古今多くいるが、現在の「愛国的な女子」は、それとは一線を画すような気がする。
 私も愛国活動を始めて12年経つが、女性が増えてきたと感じている。それも20代、30代の若い女性だ。活動を始めた頃女性は一割ほどしかいなかったように記憶している。それが今や半分近くを女性が占める活動の場も珍しくない。彼女たちはどんな人間なのだろう。なぜ、いつから愛国活動に勤しむようになったのか。本書はそんな彼女たちの声を拾い集めることで、現代に生きる愛国女子たちの姿を描き出すものである。


 僕の子どもの頃、30年くらい前のイメージでは「愛国」というと、街宣車でスピーカーから軍歌を大音量で流し続けている、怖い人たちがやっていること、という感じでした。
 ところが、この本を読んでいると、本当に「ごく普通の人たち」が、ネットなどをきっかけに「愛国活動」に身を投じているのです。
 2002年に『2ちゃんねる』の「おまえら、8月15日に靖国神社に参拝しませんか?」というスレッドがきっかけで、実際に参拝をした人への取材が、この本のなかで紹介されています。

 大村益次郎像の付近に行くが、人の多さは変わらない。だが、そこには普通の人たちの中でも、さらに「普通」の集団がいた。いや、普通過ぎるからこそ、ここでは違和感というのだろうか。濃い色の服や喪服を着た年配の参拝者が多い中で、まるで東京渋谷の雑踏をそのまま切り取ったような光景。そこには、通勤電車に乗り合わせた一車両の人たちをそのまま連れてきたような、年齢層も服装もバラバラの集団がいた。
「もしかして、これがボアマロの募った会?」信じられなかった。ざっと見て100人以上の大集団だったからだ。しかし「青楓会 2ちゃんねる有志 英霊に誠を捧げるために皆で参拝しましょう!」と書いたボードを持っている者もいる。間違いない。これがボアマロの集めた有志だ。

 『在特会』を取材した本のなかでも、彼らが少なくとも外見上は「ごく普通に街を歩いているような若者たち」であることが描かれていました。
 安倍総理靖国神社参拝について、さまざまなアンケートで「賛成」の割合が高いことも伝えられています。


 この本で、実際に「愛国女子」となった人たちの話を聞いてみると、みんなそれぞれの「理由」があるんですよね。
 そして、いまの時代でさえも「愛国心」をあからさまにすることで、周囲から敬遠されている人も少なくない。

 少女は「おじいちゃんが、怖かったんです」と言った。
 おじいちゃん? あの社会の発表に何か関係があったのだろうか。戸惑っていると少女は泣きながら続けた。
 あの社会の発表で、日本の軍人がどれだけ酷いことをしたかを知ってしまったこと。先生と図書館で調べた本の中には日本の侵略戦争についての写真集があり、たくさんの中国人の死体が載っていたこと。現地の女の人はみな強姦されたこと。日本が中国で行った残虐なことに吐き気がしていたこと。
 その後夏休みになり大好きな祖父母の家に行った。戦争の話になった時、少女は祖父が戦争に行っていたことを思い出した。行った先が中国であってほしくない。少女はすがるように聞いた。
「おじいちゃんが戦争に行ったのは、中国じゃないよね?」
「そうだよ、中国だよ」
 大きなショックを受けた。学校で習った残虐行為が頭に浮かんできて、祖父の目が、見られなくなってしまった。見ようとしても、見られない。図書館で見た本には、「日本軍は皆女性に乱暴し男性を殺した」と書いてあった。祖父もその一人なのか。顔もあげられない。祖母の目は見られるし話もできる。でも祖父とだけは話せない。
 異変はすぐに皆が気付いた。「あんたどうしたの、おかしいよ」
 祖父だけが、思春期なんだよと庇ってくれた。その優しさがよけい悲しくて。でも滞在の最後の日まで、彼女は祖父の目を見ることができなかった。「今になって、すごく悪いことしたって、悪かったって……」
 よほど辛かったのだろう。嗚咽が治まるまで、一時間かかった。

 いまの日本でこういう体験をした人は、けっして「少数派」ではないはずです。
 実際に戦場を体験した人たちも、多くを語ろうとしなかった。
 あるいは、「日本が悪かった」「あの戦争を美化するのか」という人たちによって、語ることを許されなかった。
「生き残ってしまったこと」そのものへの負い目もあるでしょうし、そもそも「戦場」というのは、きれいごとだけで済まされるようなところではなかったはずですし……


 僕は思うのです。
 彼女らの「愛国心」というのは、「いきすぎた自虐史観」への反動からきているのかもしれないな、と。
 自分のおじいちゃんたちが、戦争でアジアの国々の人たちに、酷いことをした、という歴史を教えられ、嫌悪感を抱かずにはいられなかった子どもたち。
 その「残虐行為」が、誇張されていたり、相手国の「政略」によってつくられた嘘だったりしたことを知ったとき、彼女たちは、「愛国心」を抱くようになったのだろうな、と。
 自分たちが大事な人を憎んでいたという「悲しみ」にも、後押しされて。
 

 ただ、「歴史」というものを、さらにさかのぼってみると、あの「自虐史観」とか「平和教育」をすすめてきた人たちは、日中戦争〜太平洋戦争にかけて、「お国のために死ぬのが正しいこと」という教育を受け、多くの大切な人を、その価値観のなかで失ってきたのです。
 彼らが、太平洋戦争後に「行き過ぎているようにみえる平和教育」にこだわったのは、彼らもまた「『愛国心』という価値観に、裏切られたから」なのではないかと。
 その反動が「もう絶対に、戦争そのものを起こしてはいけない」という思想となり、彼らは「戦争につながるかもしれないものは、すべて否定していく」ようになったのです。
 もちろん、「アメリカをはじめとする、連合国の圧力」もあったのでしょうが、「多くの犠牲の末の敗戦」というのは、いまの僕には想像できないような、大きな「喪失」だったのではないでしょうか。


 あの「平和教育」にも、ちゃんと理由とか、背景があるのです。
 それは、考えなければいけないことだと思います。
 

 戦争で亡くなった人たちを悼むために、8月15日に一個人として靖国神社に参拝することは、いまの時代に生きている人間の良心の、ひとつの表現なのでしょう。


 ただ、この本は、在特会の「ヘイトスピーチ」などについては触れられていませんし、「日韓スワップ協定」にしても、「日本が韓国に5兆円無償で寄付する話」のように書かれています。著者はヘイトスピーチも、スワップ協定とはどんなものであるかも知っているはずなのに。

「ゴキブリ朝鮮人を日本から叩き出せ!」

「シナ人を東京湾に叩き込め!」

「おい、コラ、そこの不逞朝鮮人! 日本から出て行け!」

「死ね!」


(この引用部は『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一著)からのものです)

 こういう在特会の「ヘイトスピーチ」が、「愛国心」に基づくものだとは、僕にはどうしても思えません。
 アメリカ人が、日本人に対して「ヘイ!ジャップ!」とか「イエローモンキー!」とかいう罵声を浴びせてきて、「アメリカへの愛国心から出た言葉です」って主張したら、納得できますか?


 著者が「チャンネル桜」のキャスターという立場上、いたしかたないところがあるのはわかります。
 でも、「反・反原発」の人まで持ち上げているのをみると、「自虐史観も酷いけど、この人の『愛国史観』っていうのも、偏ったものだよなあ」と思わずにはいられませんでした。
 

 特攻隊として亡くなった若者たちを悼むのは、人として自然な感情だと思います。
 でも、それと「特攻という作戦や、それを立案し、実行してしまった国策を賛美すること」は、違う、まったく違う。


 著者は、遺骨収集に加わり、ミャンマーに行った際、旧日本軍で戦っていた方に、こんな話を伺ったそうです。

 私はずっと聞きたかったことを口にした。
「あの、たくさんの隊の方が亡くなっていく中、死ぬことは怖くなかったんですか。戦闘ではどのようなお気持ちだったんですか」
 本当に酷いことをしたんですか、とまでは口に出せなかった。中田氏はゆっくりと顔を上げて私を見て答えてくれた。
「私は、戦争に行く前は楽しいことばかりを追求していた若者でね、戦争に行くのも死ぬのも嫌だったんだよ。今でいう自己中心的な若者だった。戦場に着いても生きて帰ることばかり考えていたよ。でも敵は目前に迫り、ある日とうとう銃撃戦となってしまった。怖かったよ」
 そこでジャングルの中から、敵軍の弾丸が飛んできて中田氏の左頬をかすめたのだという。熱いような冷たいような風圧だったそうだ。
「その時急に、私の背中の後ろに両親や故郷の祖父母たちがいることを実感したんだ。本当にいたわけではないよ。でもあの時、親父やお袋をはじめとする全ての日本人が自分の背中の後ろにいるように感じたんだ。ここで自分が敵を食い止めなければいつか、この人たちに弾が当たることになる。ならば自分が楯になろうやと。みんなを護るためにここで命を落とすのであれば、それはとても幸せな死に方だと思ったんだ。不思議だなあ、あんなに死ぬのが怖かったんになあ」そういって中田氏は再び前を向き、川を眺めた。
「ほんまやったなあ」隣で聞いていた今西氏が続けた。「わしらは、みんなそんな気持ちで戦っとったなあ。日本人を護れるちゅうことが、あんときのわしらの希望だったし、喜びになっとったなあ」そういうと今西氏も川面を眺めた。


愛国心」とは何かについて考えさせられる、とても貴重な言葉だと思います。
 あの時代、戦場に送られた人たちは、みんな「洗脳」されていたわけではなくて、いろんな葛藤を抱えながら、死の恐怖と向き合っていたのです。
 そして、いまの「自己中心的な若者」だって、時代の趨勢が変われば、戦場に送られないとはかぎらない。
 

 僕は、最近、よく考えるのです。
 自分が親になり、年をとってきたこともあるのでしょうね。
「あの戦争(太平洋戦争)で、『将来の日本のために』と命を投げ出した人たちは、こんな日本になることを望んでいたのだろうか?」って。
 昔は、「こんな利己主義や無気力が蔓延している世の中は、違うんじゃないか」と思っていたんですよ。
 でもね、自分がひとりの子どもの親になってみると、そんなにお金持ちでもなければ、未来に輝かしい希望もなく、世界のなかでの地位が下がっているかもしれないけれど、「『お国のために』と戦争に駆り出されずにすんで、それぞれが自分の趣味をエンジョイしながら、飢えることもなく、だらだらとでも生きていける国」って、そんなに悪くないんじゃないか、と思うようになりました。
 あの頃、戦争に駆り出されていった「普通の人」たちが「常在戦場の国」を求めていたとは想像できないから。
 自分の子どもを戦場に行かせたくはないから。

 

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

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