琥珀色の戯言

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【読書感想】原発ホワイトアウト ☆☆☆☆


原発ホワイトアウト

原発ホワイトアウト

内容紹介
キャリア官僚による、リアル告発ノベル! 『三本の矢』を超える問題作、現る!!
再稼働が着々と進む原発……しかし日本の原発には、国民が知らされていない致命的な欠陥があった!
この事実を知らせようと動き始めた著者に迫り来る、尾行、嫌がらせ、脅迫……包囲網をかいくぐって国民に原発の危険性を知らせるには、ノンフィクション・ノベルを書くしかなかった!


「現役キャリア官僚による、フィクションの体裁をとった告発本!」
いや、率直なところ、それが「事実」かどうかは、検証のしようがないところはあるんですよ。
もしかしたら、リアリティにあふれるウソ、なのかもしれないし。
ただ、ものすごく「本物っぽい」のはたしかです。
この本、「小説」としての大筋のストーリーは、全然面白くありません。
原発派が、官僚組織に食い込むための手段が「ハニートラップ」だったり、原発に破壊工作を行おうとするのが、某国工作員だったりと、「『ゴルゴ31』の読みすぎなのでは……」と言いたくなるくらいです(というか、『ゴルゴ』のほうが面白いです)。


しかしながら、この作品のディテール、電力会社の「活動資金づくり」や、官僚や政治家との関係、メディアとの癒着の構造などを描いたところは、すごく面白い。いや、面白いというか、おそろしい。


ここに書かれていることが、大筋、事実であるとするならば、日本のエネルギー政策、原発政策を動かしているのは「国民の生活への配慮」ではなく「電力会社が持つ利権」なのです。
電力会社側も、官僚も、政治家たちも「原発がエネルギー政策上、必要不可欠」だから、原発を維持していこうとしているわけではなくて、「原発が稼働しなくなったら、電力会社が大損をして、自分たちが甘い汁をすえなくなる」から、原発を維持し、再稼働させようとしている。


正直、読んでいて唖然としました。


原発は安全か危険か?」
原発は日本のエネルギー政策上、必要か不要か?」


それを「議論」するべきだし、そうされているはず、だと思うじゃないですか。
ところが、この本によると、そんなことは問題じゃなくて、「原発がなくなると困る人たちがいて、その人たちが、自分の利権のために原発を維持しようとしている」だけなのです。
原発を再稼働させようとしている人たちも、「原発は安全」「日本に絶対必要」だと信じているわけではない。
ただ、「自分たちにとっては必要」なだけで。


この「小説」のなかでは、電力業界が、影響力を維持するための「錬金術」が、このように説明されています。

 電力会社は地域独占が認められている代わりに政府の料金規制を受けているが、その料金規制の内容は、総括原価方式といって、事業にかかる経費に一定の報酬率を乗じた額を消費者から自動的に回収できる仕組みとなっている。
 ただ、事業にかかる経費自体、電力ビジネスの実態を知らない政府によって非常に甘く設定されているし、経費を浪費したら浪費しただけ報酬が増えるため、電力会社としても、より多くの経費を使うインセンティブが内在している。そのため、結果として、電力会社から発注される資材の調達、燃料の購入、工事の発注、検診・集金業務の委託、施設の整備や清掃業務等は、世間の相場と比較して、二割程割高になっているのだ。
 ――この二割に小島は目をつけた。
 購入する金額が常に二割高であるため、取引先にとってみれば、電力会社は非常にありがたい「お得意様」となる。電力会社が取引先から「大名扱い」される謂れでもあった。
 現在の激震する経済社会のなかで、それぞれの企業がグローバルな競争にさらされている状況の下、電力会社は、取引先にとって二割増しの単価で仕事をくれる非常においしい存在であり、多少の利幅を減らしてでも確実に維持したいお得意様であった。
 しかも、電力会社の調達先を調達分野ごとにランキングしてみると、子会社・関連会社、そして人的資本的な関係のある関連会社といった電力のファミリー企業はもちろんのこと、人的資本的関係がない会社であっても、なぜか受注の順番や比率が固定化されている。
 小島は、この超過利潤でもある二割のうち、一割五分を引き続き発注先の取り分とする一方、残り五分については、電力会社を頂点とする取引先の繁栄を維持するための預託金としてリザーブすることを、取引先に提案した。取引先のうち気心の知れた仲間の企業を「東栄会」という名前で組織化し、各社受注額の約4パーセント程度を東栄会に預託するのである。
 燃料購入を除いても、関東電力の外部への発注額は年間で二兆円もあるので、約800億円が、形式的には受注会社が東栄会に預託したカネ、実質的には関東電力が自由に使えるカネ、となる。
 それ以外に、燃料購入でも、商社を通じてカネがプールされた。産油国の王家への接待や政治工作のための裏金が、スイスやケイマン諸島の銀行口座にプールされていった。


 結局は、「電気代が高く設定されていて、そのおかげで余ったお金を、自分たちの勢力を維持するために、さまざまな形で有効利用している」ということなのです。
 それにしても、800億円か……
 この本には、その実際の「使い道」や電力会社の「人心掌握術」がいくつも紹介されているのですが、あまりの巧妙さに驚かされます。
 「電力会社マネー」「原発マネー」は、あまりにも深く、じわじわと日本の至る所を侵蝕していて、権力と一体化してしまっているのです。

 これからしばらく、週末は落選議員回りだ。失意の落選議員を訪問することは、決して気乗りがする仕事ではない。
「このたびは誠にご愁傷様で……」といった口上で始まる落選議員への訪問は、通夜や葬儀に参列する感覚にある意味似ている。生じてしまった落選という結果自体をどうこうするわけにもいかない。おとなしく伏し目がちに、済まなそうな表情を浮かべるのだ。
 しかし、落選議員にも生活があり、これからも生きていかなければならない。これまで落選中だった元議員に当てがっていた市立大学の客員教授のポスト、非上場会社の顧問のポスト……これらを適当にシャッフルしたうえで、再チャレンジの意思がある落選議員にのみ、くれてやるのだ。
 これまでに十分な実績があり国政復帰の可能性が高い有力議員に対しては、議員本人のみならず、秘書の再就職先の面倒も見てやる。
 こうしたポストは、もともと関東電力を頂点とする関係企業で組織する「東栄会」の資金で維持されていて、単に割り当てていた人材が入れ替わるだけだから、誰の懐も露ほども痛まない。電気料金の形で大衆から広く薄く回収されたカネが原資だ。

 もう一つのルートは、原発立地県出身のコネ採用者の活用だ。
 関東電力は、年間、大学卒業者を約300人採用してきた。建て前は300名全員、横一線でスタートということではあるが、どの企業も多かれ少なかれそうであるように、幹部登用の見込みがある集団とそうでない集団とは、だいたい目星がつけてある。
 新卒社員はそれぞれ自分の実力や運で入社したと思っているが、そんなはずはない。提出されたエントリー・シートの記載を基に実家を特定し、管轄の支店が検針員を使ってさりげなく聞き込みをする。10電力会社間で入手した情報も融通し合う。
 こうして、共産党員や過激派といった反体制分子が組織内に入り込むことを防御する。それと同時に、地元の名士や豪農の倅たちの情報も入ってくる。
 正直、コネとは関係ない、実力で採用される幹部候補予定の自由競争採用枠は、全体の一割程度、約30名に過ぎない。女性枠、政治家斡旋案件枠、経産省を始めとする官庁斡旋枠、内部の幹部斡旋枠とならんで、この地域対策枠が用意されているのだ。
 かつて蔵田会長の秘書をしていたときに、「理由がなく、ただの運で関東電力に採用される社員は一人もいないぞ」と言われたことがある。
 総括原価方式で経営の安定が保障されており、それでいて給料が国家公務員の1.2倍……最高に歩留まりのいいのが電力会社の仕事である。このおいしい蜜を理由なくむさぼれる幸運など、この世で許されるはずはないのだ。
 蔵田が政界工作をする際にもらってくる政治家の支持者からの入社斡旋案件、それを秘書部長につなぐのが、小島の日課であった。

 三つ目のルートは、関東電力が飼っている自称「フリージャーナリスト」の活用だ。
 毎年、大手新聞社や放送局に採用される記者は、合計すると1000人程度。採用試験において、知力に関してはスクリーニングされているが、情緒や性癖といったことはスクリーニングされていない。なかには、セクハラ、パワハラ、痴漢といった不祥事で退職する者や、組織の論理と衝突して辞めていく者、親の介護で田舎に戻らなければならない者もいる。
 ただ、一時の気の迷いや憤激でマスコミの正社員の職を離れたとしても、それから長いあいだ、「生活」という現実が押し寄せてくる。チビチビと旧知のコネで出版社から仕事をもらったとしても、売文だけで一定の生活レベルと維持するのは大変なことだ。
 関東電力は、そういった連中から、記者として腕が立つうるさ型や、筆は立たなくてもフィクサー的な役割が果たせる者に、社内報の紀行文などを無記名で書かせ、多額の報酬を与えていた。
 しかも、こういうフリージャーナリストにもランク付けがなされており、関東電力からの報酬だけで年収1000万円を超えるAランクの丸抱えフリージャーナリストーーこれだけでも十数名に及んでいた。こうしたAランクのフリージャーナリストには、税金対策のため、会社組織までつくらせていた。


 この本には、こういう話が、まだまだたくさん紹介されているのです。
 彼らは、「いま権力を持っている人間を、カネの力で動かす」という短絡的な方法に頼っているわけではありません。
 落選して生活の不安を抱いている議員や、子どもに「良い就職先」を探してやりたい地域の有力者、そして、マスコミ内にも、こうやって日頃から「恩を売っている」のです。
 権力やお金を持っている人間であれば、誘惑に対しても、拒絶できることが多いと思うんですよ。
 それに乗ってしまう危険も意識するでしょうし。


 ところが、選挙に負けたり、職を失ったりして、生活に困っている人たちには、誰も目を向けてくれません。
 助けてくれる人も、少ないはずです。
 そこに、電力会社は、スッと入り込んでくるのです。
 これを拒絶するのは、すごく難しいことだと思います。
 だって、「生活がかかっている」のだから。
 そして、彼らの多くは、「困ってくれたときに、助けてくれた相手」のことを、ずっと忘れられないはずです。
 そもそも、こんなふうにして「援助」してもらっていることが明らかになれば、彼らの立場だって、危うくなるわけですし。


 こうやって、政治家、官僚、メディア、地元の人などが、「電力会社のシンパ、あるいは運命共同体の一員」になっていきます。
 ほんと、これはすごいシステムだ……
 こういう話を聴くと、「原発再稼働をすすめようとしている、あるいは極端すぎる反原発派の言動を槍玉にあげて、バカにしている言論人」のなかには、こうして飼いならされた「電力会社シンパ」が少なからずいるのではないか、と思えてきます。
 そういう言論人がいれば、その尻馬に乗って、「愚かな脱原発論者」を嘲笑してネットで快哉を叫ぶような人も、少なからず出てくるわけで。
 その一方で、脱原発論者にも、デマを検証もせずにまき散らして、かえって風評被害を広めている人が多いのは事実なんですけどね。
 この人って、自分の「反原発」のためなら、放射能で子どもがたくさん死んだほうが良いと思っているんじゃないか?と、背筋が冷たくなることだってあります。
 
 
 おそろしいのは、「原発の必要性を科学的に検証しよう」という人は少数派で、「自分にとって原発が必要か」という観点だけで動いている人が「大義名分」を振りかざして主張している、ということなのです。
 そして、ここまで広範かつ地道に電力会社による「餌付け」が行われている現状では、誰が「電力会社のシンパ」なのか、見当もつきません。


 また、この本のなかでは、反原発デモの参加者への締めつけについても書かれていました。

 政権と警察のねらいは、反原発のプロ活動家と一時の熱に浮かされた一般市民とを峻別し、後者を冷静に落ち着かせることにあった。
 具体的には、私服警官を毎週末、数十人単位で動員し、反原発デモの活動の様子をビデオ撮りして、参加者の面を割る作業を進めるとともに、運動の先頭で目立った動きをしている人間を尾行し、自宅の住所を特定した。デモ参加者が帰路に、自転車を無灯火で運転したり、立ち小便をしたりしている姿も、すべてこっそり記録された。
 自宅が特定された参加者の周辺では、それぞれ管轄の署の警察官による聞き込みが露骨に行われた。
「お隣の奥様が官邸前の反原発デモに参加されているようなのですが、誘われたことはありますか?」
「お隣、何か変わった様子はありませんか、ちょっと気になることがありまして……」
 白昼、こんな台詞とともに反原発デモの様子をビデオで見せて回られては、一般人はたまったものではない。熱に浮かされた一般市民たちは次々に冷水を浴びせかけられ、デモから離脱していった。

 たしかに「一般市民」にとって、これは効くでしょうね……
 そうなると、「プロ活動家」だけが残っていくことになり、どんどん運動も先鋭化し、一般人とは解離していく。
 そして、一般人にとっては「反原発って、なんか怖い」というイメージが植えつけられていく……


 また、この本には「原発の致命的な弱点」についても触れられています。
 自然災害だけが、原発の敵ではないのです。
 あれだけ周辺諸国の動静への危機感が訴えられているのに、テロや攻撃の標的としての原発の危険性に触れられることは、一部の「SF的な小説」を除けば、ほとんどありませんよね……


 この本を読むと、原発問題というのは、国のエネルギー政策についての問題であるのと同時に、日本という国が、普通に生きている市民の目には触れにくいところで、一部の人たちの都合で動かされていることの象徴なのだということがよくわかります。
 そして、それは巧みにカモフラージュされているのです。


 物語としては、「面白くない」のです、本当に。
 でも、それはきっと、いま、この日本という国の現実が「面白くない」からなのだと思います。
 この小説が、「全部フィクション」だったら、良いのだけどね……

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