琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

【目次】
プロローグ ツイッターで「人」を見抜く
第1章 [動かす]メディアはどこへ行く
第2章 [受ける]情報のチューニング
第3章 [発する]アウトプットの論点
第4章 [伝える]発信者として突き抜ける
第5章 [魅せる]メディア・アクティビストになる方法
第6章 [働く]あらためて仕事とは何かを考える
付録1 特別対談 アルゴリズムに支配されないために 川上量生×津田大介
付録2 特別解説 津田大介論、あるいはパーソナルメディアの誕生 島田裕巳


内容(「BOOK」データベースより)
テレビ、新聞を無条件に盲信したり揶揄したりしていないだろうか。ツイッターフェイスブックが内輪の掲示板と化していないだろうか。マスメディア、ネットニュース、ソーシャルネットワーク―無数に分岐したメディアの川からは、大量のゴミが情報の海へと流される。濁った水の底に沈む貴重な知や人脈をみごとに拾い出すには、成熟した受け手にして突出した発信者にならなければ…。テレビにラジオにネット放送にツイッター、7つの海を股にかける著者独自の方法。


 津田大介さんによる、「ソーシャルメディア時代の、情報との付き合いかた」。
 ネットには、あまりにも膨大な情報が溢れています。
 津田さんは、Twitterの日本での黎明期から、その浸透に大きくかかわってきた人なので、「ネット最高!なんでもネットで解決できる!」みたいな内容なのかな、と思っていたんですよね。
 でも、そうじゃありませんでした。
 津田さんという人は、ソーシャルメディアに長い間関わってきて、その「利点」と同時に「問題点」「短所」も痛感されているのです。

 2013年7月の第23回参議院議員選挙で、インターネットでの選挙活動が解禁されました。
 投票率が史上三番目の低さだったこともあり、ネット選挙が政治にどの程度の影響を与えたのかについては疑問の声もあがっています。そもそも、一回やっただけで何が変わったのかと論ずるのは性急でもあるでしょう。ネット選挙の真価が問われるのはこれからです。
 ぼくがこの選挙で興味深く感じたのは、ネット上の情報を投票の参考にしたという人が、具体的に何を見たのかについての調査でした。候補者のブログ、各党・各候補者が大あわてでつくったツイッターフェイスブックのアカウント、ユーチューブやニコニコ動画などの映像もありました。
 結論をいえば、そのなかで「動画」が投票の決め手となったと語る人が非常に多かったのです。とりわけ、街頭演説の模様を撮影した動画を見て決めた人の割合が高かった。
 この結果が物語るのは、ツイッターの140字の発言だけだと、やはりその人に投票するかどうかという直接的な判断にはいたらないということ。また、ネット選挙が解禁されたからこそ、じつは街頭演説の重要性が増したということだと思います。

 ソーシャルメディアを含む、ネットというツールは、有権者にとって、投票の「決め手」にはならなかったのです。
 その一方で、この街頭演説の動画のような、「既存の情報」と、ネットを使っている一般の人々を結びつけやすくなったのは間違いありません。
 気になる候補の街頭演説を聴くために、わざわざ出かけていくほど熱心な人はあまりいないでしょうが(そもそも、平日の昼間とかだと、仕事の都合で行けない人も多いはずです)、自分のツイッターのタイムラインに、その候補者の演説の動画へのリンクがあれば、あまり構えずにクリックする人は多そうです。
 ソーシャルメディアのいちばんの強みは、その場にある情報そのものというよりは、ある情報を発信している人と、それを求めている人、すなわち、人と人を繋がりやすくすること、なんですね。
 (これはこの新書だけでなく、これまでも津田さんが何度も仰っていることではあるのですが)
 ネット上で問題が解決されるわけではなくて、ネットによって、問題を解決してくれる人と、つながりやすくなる。
 最終的には、人と人とのコミュニケーションこそが、大事なのだ、と。

 よく言われるネット上の「リテラシー」の意味も変わってきています。もともとリテラシーとは「読み書き」という意味でしたが、だれとつながるかによって情報の見え方がまったく違ってくるという現実を踏まえて考えると、これからの情報リテラシーは「人を見る力」「人を選ぶ力」という要素が強くなるのではないでしょうか。

 ツイッターというのは、フォローしている人が多くなると「さまざまな意見を吸収できる」ような気がするのですが、実際は、あくまでも「自分がフォローしている人の呟き」が見えるだけなんですよね。
 自分が好きな人、賛成できる人ばかりをフォローしていると、世界が自分好みに染まっていきますが、それはあくまでも「自分からみた世界」でしかありません。
 でも、ネットにつながっている、というだけで、世界を幅広く見渡しているような錯覚に陥りがちになるのです。
 だからこそ、「人を選ぶ力」というのが、大事になってくるのです。

 これまではネットを仕事に活用するとか、ツイッターでキャリアを開拓するというと、「ソーシャルメディアでは多くの人とつながることができ、人脈を飛躍的に広げることができる」といった考え方が主流でした。
 もちろん、それも間違いではないと思いますが、人間関係を構築していくうえでのソーシャルメディアの最大のメリットは、人脈を「広げる」ことよりも「深める」ところにあるとぼくは考えています。

 この新書では、Q&A方式で、ソーシャルメディアとの関わり方についての津田さんの現時点での考えが語られています。
 津田さんは、ソーシャルメディアに期待し、重視しているけれども、その一方で、それが「万人にとってのバラ色の未来」につながるものではないことにも言及されているのです。

 ソーシャルメディアは結局、機会の不平等を平等に近づけるツールなのです。だから優れた能力をもっていて、もともと仕事がうまくまわっているような人には、べつに必要ないともいえる。
 ただし、ソーシャルメディアが発達すればするほど、機会の不平等が是正されればされるほど、より言い訳ができない世の中になっていくことは確かでしょう。いままでは他人や社会、環境のせいにできたことでも、「なんでソーシャルメディアを使ってそれをやらないの?」と言われてしまうようになるのですから。
 ソーシャルメディアによって機会が平等になる世界は、すべてがまわりのせいにできなくなるぶん、よりシビアな世界になっていくのかもしれません。

 政治家の政策云々にかかわらず、ネットワークの発達によって、よりいっそう「新自由主義的な競争社会」が加速していくのは間違いなさそうです。
 世界的に、カスタマーセンター業務などは、どんどん賃金の安い国で行われるようになっているようですし。
 処理しきれないほどの知識を得られる喜び、はあるかもしれないけれども、必ずしもこれまでの日本人にとって「生きやすい時代」になっていくとは限らないのです(むしろ、その逆になりそう)。


 また、「叩かれそうな意見でも言うべきか?」という質問に対して、津田さんはこう答えておられます。

 批判や炎上を引き受ける覚悟はジャーナリストだからできることでもあって、そうでない人はどうすればいいか。
 いろんな考え方があると思うのですが、ぼくは何かを発言するときに「叩かれない」ことを目的にすべきではないと思っています。まずは自分に、叩かれてでも言いたいことなのかどうかを問うてみる。そのうえで、どうしても言いたいなら言う。ソーシャルメディアでは、発信すればするほどリターンが多くなるので、ぼくは基本的にどんどん発言すべきだと思っています。
 自分の意見を表明しても命まで取られることは現在の日本であればめったにないし、ツイッターはタイムラインが流れていくので、長期にわたって粘着されることも少ないと思います。どうしても伝えたいことがあるなら、少数派であることは気にしないほうがいいんじゃないでしょうか。すべての人とはわかりあえないことを知るのも重要なのです。

 命まで取られることは「めったにない」という言葉の裏には「ただし、そういうリスクもゼロとは言い切れない」という覚悟もあるのだと思います。
 それでも言いたいことなら、言うべきなのだ、と。
 そして、発信しなければ、反応も得られない。
 ソーシャルメディアで発信を続けていくためには「覚悟」と「割りきり」が必要なのでしょう。
 津田さんくらいフォロワーが大勢いる人にとっては、それは、並大抵の「覚悟」ではないのだろうけど。


 ツイッターでのフォロワーの増やしかた、や「ツイッターでしつこく絡んでくる人への対処法」など、けっこう実践的な話も書かれていて、参考になりました。
 いやまあ、書かれているのは「裏技」的なものではなくて、「王道」なんですけどね、基本的には。


 ツイッターフェイスブックmixiなどを日常的に利用している人は、一度は目を通しておいたほうが良い本ではないかと思います。
 大部分の人が、無事にネット生活をおくっていられるのは「リテラシーがあるから」じゃなくて、「運が悪くなかっただけ」なんですよね、実際は。

 

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