琥珀色の戯言

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ラッシュ/プライドと友情 ☆☆☆☆☆



あらすじ: 性格もレーススタイルも相反するF1レーサー、ニキ・ラウダダニエル・ブリュール)とジェームス・ハントクリス・ヘムズワース)が激しい首位争いを繰り広げていた1976年。ランキング1位だったラウダはドイツ大会で大事故に遭遇し、深いけがを負う。復活は無理だと思われたがわずか6週間でレースに復帰し、日本の富士スピードウェイでのシリーズ最後のレースに臨む。

参考リンク:映画『ラッシュ/プライドと友情』公式サイト(注意:音が出ます!)


2014年5作目の映画館での鑑賞作品。字幕版を観ました。
小雨模様の金曜日のレイトショーで、観客は15人程度でした。


F1の1976年のシーズン、宿命のライバルだったニキ・ラウダジェームス・ハントの物語。
僕がF1マニアだった頃(1980年代後半から、セナが亡くなるくらいまで)、この2人の物語は、F1雑誌などで何度も「伝説」として紹介されていました。
アツい走りをする「本能のドライバー」ジェームス・ハントと、「コンピュータのように冷静で、マシン開発やセッティングにもこだわる」ニキ・ラウダ
「F1レーサーというのは、1年に2人が死んでいく世界で、こんな職業を選ぶやつは、まともじゃない」
そんなモノローグで、この映画ははじまります。
とにかく車が、レースが、走ることが好きなハント(でも、レース前には、プレッシャーで嘔吐したりもするのです)、公然と「もっと儲かることに才能があったら、レースなんてやらないよ」と言い放つ、ラウダ。
しかしながら、この2人には共通点もあるんですよね。
ともに恵まれた家の出身で、家族に反対されながら、レースを続けていたこと。
そして、やっぱりレースが好きなこと。


ゆきずりの女性とところかまわず情事を重ね、アスリートにもかかわらず、アルコールもタバコもやり放題のハント(この作品でのハントは、記者会見の最中もタバコを吸っているんですよね。まあ、タバコ・マネーがF1を支えていたのですから、当時はとやかく言う人もいなかったのかもしれませんが)。
真面目でハメを外すこともなく、人付き合いにも消極的で、「チャンピオンなのに人望がない」なんてライバルに言われてしまうラウダ。


個人的には、10日くらい前に『マイティ・ソー/ダークワールド』を観たばかりなので、はじまってしばらくは、「ソーさん、こんなところで、なんでレースなんてやってるんですか?」と、ハントさんを見るたびに思ったりもしていましたが、ジェームス・ハント役のクリス・ヘムズワースさんも、ニキ・ラウダ役のダニエル・ブリュールさんも素晴らしかった。
僕は彼らのレースをリアルタイムで観たことはありませんが、「たしかにこんな感じだったのだろうな」なんて、思い込んでしまう好演でした。


何もかも「正反対」のように見えたハントとラウダだけれど、ふたりは「レースが好き」というか「レースをやることでしか、生きていけない」という共通点があるのです。
そして、レースが好きで好きでしょうがないはずなのに、レース前にはプレッシャーで吐いてしまうハントと、「レースは稼ぐ手段だ。20%はしょうがないが、それ以上のリスクは負いたくない」と言いながら、大事故から、不死鳥のごとく復活したニキ・ラウダ
ラウダは「冷静」なようで、ものすごく矛盾した行動をとっているんですよね。
あの事故から、わずか42日間での復帰は、あまりにも「無謀」だったと僕は思います。
少なくとも、かなりリスクが高い行為だったはずです。
あれほど、「必要以上のリスクを負うこと」を嫌っていたはずの、ラウダなのに。


そして、僅差で迎えた最終戦、ワールドチャンピオンの行方は……


 しかし、こうして映画としてあの怪我の様子をみていると、よく1か月半でレースに復帰してきたものだよなあ、としか言いようがありません。
 F1レーサーは、単なるドライバーというより、極限状態で2時間戦うアスリートなのだから。
 観ながら、ああ、これはF1の最大の物語だったんだよなあ……セナのあの事故までは……などと何度も考えてしまいました。
 ラウダのようなドライバーの存在が、F1を「ものすごく安全性を高めた車」にしたのは事実です。
 まあ、「そんなに事故が怖いのなら、レースなんてやらなければいいのに」という言葉には、おそらく反論は難しいとは思うのですけど。

 
 彼らは、レースカーに乗りさえしなければ、そう簡単に死ぬことはないのです。
 でも、レースをやっているかぎり、ちょっとした不運で、命を落とすこともある。
 にもかかわらず、多くの才能が、レーサーを目指す。
 冒頭で、「レーサーがモテるのは、車の運転が上手いからじゃなくて、死と隣り合わせだから、人生の瞬間瞬間を楽しもうとして生きているからだ」という言葉が出てきます。

 
 たぶん、ハントとラウダの間には、レーサーじゃない僕のような人間にはうかがい知れないような「共通の世界」があったのでしょうね。
 外からは「正反対」にみえた二人だけれども、二人は、まぎれもなく「レーサー」だったのです。


 セナとプロスト、同じマクラーレン時代、そして、袂を分かってからもプロストの引退までは不仲とされていたこのふたりですが、1994年のセナの葬儀の際に、セナの棺を抱えているプロストの姿が、世界中に配信されました。
 そして、プロストは、「アイルトン・セナ財団」の管財人にも名を連ねています。
 彼らには、彼らにしかわからない「仲間意識」があったのでしょうね。
 ライバルではあるけれど、自分のことを本当に理解してくれるであろう人は、そのライバルしかいなかった。
「レーサーとして生まれた人」の孤独と矜持。
 
 
 いやほんと、F1好きにとっては、珠玉の映画だと思います。
 エンジン音も含めて、映画館で観ないと、レースシーンの迫力も伝わってこないだろうし。


 F1が好きな人、あるいは、以前、F1が好きだった人は、ぜひ観ていただきたい。
 何かの参考とか教訓にはならないかもしれません。
 だが、それがいい、だからこそいい、そんな映画です。

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