琥珀色の戯言

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【読書感想】大衆めし 激動の戦後史 ☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
戦後から高度成長へのシフト転換する70年代からこのかたの、食卓にならぶ料理と台所の激変。それは、食の現場への資本の流入や保存技術の発達、流通の変化などを無視しては語れない。その流れをたどる一方で、日本の誇る「日本料理」は、その変化になぜ対抗・対応できなかったのかを思考し、翻って日々を暮らすことと料理との関係を考える、戦後日本の「生活めし」論。


「日本人が本当に毎日食べているもの」と「日本料理」との違いについてを主に語っている新書です。
後半の章などは、それぞれ別の雑誌に掲載されたものを採録したものということで、全体の流れとして、ちょっとごちゃごちゃしていますし、著者の独断がけっこう気になるところはあるのですが、「戦後」という時代に日本人が本当に食べてきたものと、いわゆる「日本料理」というのは、確かに乖離してしまっているんですよね。
そして、「懐かしい家庭の味」とされているものの多くは、実は、そんなに古くからあるものではないのです。


この新書のなかで採り上げられている「さまざまな食べものの歴史」には、なかなか興味深いものがありました。
「魚肉ソーセージ」が普及した遠因は、1954年3月にビキニ環礁で行われた水爆実験にあるのだそうです。
 この実験で日本の第五福竜丸をはじめとするマグロ漁船が被曝し、その船から水揚げされたマグロの値段が大暴落したため、水産会社は、余剰マグロを処理するため、魚肉ソーセージに力を入れることになったのだとか。
 そして、「ククレカレー」の名前の由来が「クックレス(調理しなくていい)カレー」だったこともはじめて知りました。
 

 また、1950年代後半には「米を食べるとバカになる」というような言説が、広まったこともあったそうです。
 欧米に対するコンプレックスが、色濃くみられた時代でもあったのです。
 著者は、それに対して、こう述べています。

 なるほど、ずいぶん乱暴なリクツではある。
 だけど、ここには「米を食べるとバカになる」以前の認識不足がある。それは、日本人の主食は米と思い込んでいる人たちにも、ときどき見かけるのだが。つまり、大衆レベルでは、精米した白めしを日常食として不自由なく食べられるようになるのは、1955年以後つまり高度経済成長期になってからのことなのだ。

 言われてみれば、たしかにその通りなんですよね。
 1970年代のはじめに生まれた僕は、「米が不自由なく食べられなかった時代」を経験してはいませんが、大部分の日本人にとって、「主食といえるほど、白めしを食べられるようになった期間」は、そんなに長いものではないのです。
 日本料理は、フランス料理、中華料理と並んで、「世界三大料理」なんて言われますが、歴史上、多くの日本人が、いわゆる「日本料理」を食べることができるようになったのは、つい最近のことです。
 

 著者は「日本料理」に疑問を持ったきっかけについて、こんな話をされています。

 大衆食堂の料理とも縁遠く、わかったようでわからない「日本料理」がある。おれが、その問題の、しかも核心部分に直面したのは、1973年のオイルショックのころだった。
 A社が指定の料理の先生は、たいへん偉い日本料理の先生だった。売れっ子であり、もちろん著書も多い有名人だったが、伝統的な日本料理の奥深いところである「家元」の頂点に立つような人物とみなされ、都内の繁華なところに、いくつか料理学校を経営していた。この料理学校も有名だった。
 おれは直接には、先生のお弟子さんと仕事をしていた。主にはA社の製品を使ってのおかずになるレシピの開発だ。おれは、いつも家庭で簡単につくれるめしのおかずを求めていた。これ一品でめしのおかずになる料理だ。米の消費量は減っていても、米のめしを食うおかず食いが増えていた。そこへ向かって、缶詰や冷凍食品などの加工食品を使った料理の提案で、販売促進を図ろうということだった。
 ところが、お弟子先生のほうは、結婚式にでも出てきそうな料理になるのだった。何度かもめたのだが、よく覚えているのは冷凍エビの料理のときだった。お弟子先生はシュリンプカクテルをつくったのだ。カクテルグラスのふちに茹でた冷凍エビを並べて、真ん中にトマトケチャップと何かを混ぜたソースがある。つくり方は、そんなに面倒ではなかったし、見事な見栄えでパーティのテーブルに並べられそうだった。しかし、コレ、めしのおかずにならないことはないだろうが、ちょっとちがうなあという感じだった。そういうことが何度かあったのち、決定的だったのは、缶詰のサケを使っての料理をめぐって衝突したときだった。どれもこれもオードブルのようなもので、酒のつまみにはなるが、これ一品でめしのおかずになるというものがない。あれこれやりとりがあったすえに、おれが望むめしのおかずになるようなレシピは
「日本料理とちがうんですよ」といわれた。
「えっ、というと、めしのおかずは料理ではない、ということですか」
「そうです、おかずは日本料理とはちがいます」
 いや、たちまち逆上したので正確には思い出せないのだが、「おかずは日本料理ではありません」といわれたような気もする。
 身長172センチのおれより背が高く、鼻筋の通った、いまでいえばイケメンのお弟子先生は、いまさら何を、という感じで、胸を張りおれを見下すように、ご託宣を述べた。
 おれは、そのとき初めて、アレッ、日本料理ってなに? と思ったのだった。めしのおかずは日本料理じゃなくて、めしのおかずにもなりそうにないシュリンプカクテルが日本料理だっての、缶詰のサケをゼリーで固めたようなオードブルみたいなのが、日本料理になるの。

 著者は、長年の盟友である江原敬さんの著書などを中心に「日本料理」と実際に日本人が食べている、「家庭料理(生活料理)」があまりにもかけ離れていることについて、疑問を呈しておられます。
 「素材の味を生かした日本料理」というけれど、それって結局「良い食材選び(お金をかけること)がすべてになってしまうのではないか?」とも。
 まあ、著者はあまりにも江原さんの主張に肩入れしているようにみえて、「まあ、こういう意見の人もいるだろうけど、スタンダードなものかどうかは、眉唾物ではあるな」という感じでもあるんですけどね。


 実際、僕自身も「伝統的な日本料理」よりも「イタリア料理」「フランス料理」「中華料理」のほうが、はるかに高頻度に口にしていますし、多くの日本人が、そうなのではないかと。

 では、日常の食の豊かさは、どうすればもたらされ、手に入れることができるのだろうか。おれは、「ありふれたおのをおいしく食べる」ことの追求だと思う。それぞれの職業的立場で、それを追及することだろうし、また立場を離れれば人びとはおなじように日々食べることをするのだから、そこでの追求もある。生産や加工、食品や料理だけでなく、食事の時間やスタイル、家族や友人など、いろいろなことが関係する。
「ありふれたものをおいしく食べる」とは、普通のものを普通においしく食べるということである。そのために、想像し、執着し、工夫する。普通のことは惰性に陥って新鮮さを失いやすいから、新鮮に保つ努力もあるだろう。高いところだけみた競争や、派手な目先の話題性にふりまわされ、「普通」を粗雑におろそかにしていないだろうか。

 まず地球上の多くの人びとが飢餓に遭遇せずに生きていけることを第一に考えるなら、この狭い列島で大勢の人間が食べてきた日本には、けっこう役立つノウハウがありそうだ。
 なんといっても特筆すべきは、日本には古くからの救荒食の知恵や技術があって、現代の加工食品にまで生かされていることだ。日本の最大の貢献は、カップ麺などのインスタント食品だろう。すでにアメリカに永住して四十年の知人は、アメリカの下層労働者をやりながら生きてきて、どんなにインスタント麺のおかげで助かったかわからないという。現在、彼の周辺の若い下層アメリカ人労働者も、日常それを食べ、しかもそれはアメリカに昔からあったものと思い込んでいるそうだ。
 しかし、ともすると余裕がありそうな日本人のあいだでは、ジャンクフードを食べる人びとを軽蔑する風潮が広がっているようにもみえるが、それは飢餓の消滅と逆行する「豊かさ」の思い上がりではないだろうか。

 正直、僕が題名からイメージしていた「日本の戦後の家庭料理の歴史」とは、ちょっと違ってもいましたし、客観的な資料というよりは、著者の主張が勝ち過ぎているように思われたのですが、いろいろと考えされられるところもありました。
 思い返してみると、僕が子どもだった頃、30年前と比べても、かなり「家庭料理」も変わってきているんですよね。
 食べ物って、自分が食べてきたものが「標準」だと考えてしまいがちなんだよなあ。

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