琥珀色の戯言

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【読書感想】日本軍と日本兵 米軍報告書は語る ☆☆☆☆


日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
 私たちは、日本軍、とくに日本陸軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし、実際には、「玉砕」ばかりしていたわけではありません。孤島で追い詰められた場合はともかく、ニューギニア、フィリピンなどの大きな島では、徹底抗戦、持久戦がとられましたし、沖縄でも、最後に出された指令は、組織的抵抗を最後まで継続せよ、というものでした。
 もちろん、だからといって、日本軍が玉砕をしなかった、あるいは合理的な組織だったということではありません。ただ、日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えが見えづらくなってしまうのです。
 日本軍、とくに日本陸軍の実像をどうとらえるべきなのか、本書は、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌『Intelligence Bulletin』(『情報広報』)を用いて、彼らが、日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探ります。
 『情報広報』には、例えば、日本人はLとRの区別がつかないので、戦場で日本人か中国人か判別がつかない場合には、それらが入った文章を言わせることといったことが書かれています。また、日本兵個人の特徴として、規律は良好、準備された防御では死ぬまで戦う、とある一方で、予想していなかったことに直面するとパニックに陥る、自分で物を考えないといった分析がされています。
 さらに、日本の兵士らがじつはさまざまな不平不満を抱えていて、投降させることもできた、といったことが書かれているのです。
 本書は、気鋭の研究者が、米軍内部の資料をもとに、従来の日本軍イメージをとらえなおす一冊です。


 アメリカ軍からみた「敵」としての日本軍。
 映画『永遠の0』の大ヒットなどもあり、太平洋戦争で、日本はいかに戦ったのか?にあらためて興味を持つようになった人も少なくないようです。
 昭和40年代に生まれた僕は「平和教育世代」で、「日本軍の指導者たちは、経済力に圧倒的な差があるアメリカとの勝ち目のない戦争に『精神論』をふりかざして突入し、バンザイ突撃や特攻、住民を巻きぞえにしての自決などを繰り返して、多くの人びとが犠牲になった」と教えられてきました。
 

 そこで、第一章では、戦士としての「日本兵」とは何だったのかを、その身体に即して考えたい。第二章では日常生活に表れた兵士たちの心情を明らかにする。第三章では彼らが太平洋戦争の前半においてとった対米戦法の全体像と特徴を、第四章ではフィリピン、沖縄など戦争後半におけるそれを分析する。以上の作業から、日本陸軍とは何だったのかを考えてみたい。米軍という他者の視点を導入することで、日本人にはみえないものがみえてくるかもしれない。

 この新書は、太平洋戦争当時の「アメリカ陸軍軍事情報部が、部内に向けて発行していた広報誌」に紹介されていた「敵としての日本軍」についての考察をまとめたものです。
 ちなみにこの広報誌は「作戦地域にいる、もしくは行く予定の下級将校、下士官兵用に作られたA5判の月刊誌で、可能な限り最新の情報に基づき、主に敵の戦術や兵器を扱っている」ものだそうで、高度な機密指定はされていないものの、利用できるのは軍人だけだったそうです。
 こんな「情報誌」が発行されていたことだけでも、当時の日米の「情報力」の差がうかがえます。


 この新書を読んでいると、アメリカ側にとっても、日本との戦争には、さまざまな「具体的な問題点」があったのだな、ということがわかります。
 なかでも、「日本人と中国人の鑑別」というのは、難題だったようです。
「日本人は英語の”L”の発音が困難で、よく”R”に置き換える」ということで(中国人はその逆)、”L”を含む言葉をしゃべらせてみることで見分ける方法が紹介されていますが、「結局のところ、確実な鑑別方法はなかった」のです。
 欧米人からみたら、そうだったんだろうなあ、と。
 それでも、連合国側からすれば、日本人は敵、中国人は味方だったわけですから、慎重に対応せざるをえなかったんですよね。


 著者は、IB(Intelligence Bulletin(『情報広報』))に書かれていた「日本軍の長所と弱点」を次のようにまとめています。

 IB「日本兵の士気と特徴」は以上の考察を踏まえ、「日本兵に”超人”性は何もない。同じ人間としての弱点を持っている」と結論している。確かに勝っている時は勇敢だが追い込まれるとパニックに陥るというのは人間としてあり得ることだ。また、個人射撃は下手だが射撃規律、すなわち上官の命令による一斉射撃は良好というのは”集団戦法”が得意だという戦後の日本社会に流行した日本人論を先取りする。IBが提示したのは「日本兵超人(劣等人)伝説」とは異なる、等身大の日本人像だったのである。
 IBは時にビルマ(現ミャンマー)戦線の英軍から得た日本軍情報も報じている。IB1944年1月号「ビルマの戦いに対する観察者の論評」によると、同戦線の英軍将校たちも日本兵に対し、精神的に弱い、射撃が下手などと米軍と同じような評価を下していた。

 こういう話が出てくるのは、当時「日本兵超人伝説」みたいなものがあって、それを恐れているアメリカ人がいた、ということを示しています。
 しかしまあ、敵軍を過小評価しすぎることもなく、ただバカにするのでもなく、その長所と短所をかなり的確に分析していたんですね、アメリカ軍のほうは。

 
 そして、実際の日本兵が「狂信的な集団」ではないことも書かれています。
 IBの記述より。

 日本兵は降伏しようとしてもアメリカ軍に殺されると教えられているが、私のみるところ、それは降伏をためらう主要な理由ではない。恥(shame)が大きな影響を与えている。都会の日本兵は映画のおかげで親米である。皆お気に入りの映画スターがいて、クラーク・ゲーブルディアナ・ダービンの名前がよくあがった。私がアメリカで買える物を教えてやると彼らは驚いたものだ。むろん田舎者は信じようとしなかったが、都会の者は熱心に聞いていた。
 日本軍の最初の一団はアメリカへ行くものと確信していたが、1942年11月、南西太平洋に出発する前にはこの戦争は百年戦争だと言われ、そう信じていた。
 日本軍の最後の一団は戦争に勝てるかどうか疑っていた。日本の市民の何人かは、日本はもうだめだと言った。彼らは生命の危機を案じ、日本陸軍が撤退して置き去りにされたら占領地の住民に皆殺しにされるのではないかと怯えていた。


 実際は、開戦まで日本は「親米」であり、「鬼畜米英」が叫ばれるようになったのは1944年に入ってから、だったそうです。
 先日観た映画『小さいおうち』でも、けっこうギリギリのところまで、「アメリカとの戦争はないだろう」という雰囲気だったことがうかがえました。
 

 そして、IBでは、捕虜たちの次のような告白が紹介されています。

 捕虜の多くは、捕まったのは終生の恥であると語った。最近尋問されたある捕虜は、祖国に帰ったら全員殺される、父母さえも自分を受け入れないだろうと言った。しかし、なんらかの手心が加えられるかもしれないとも述べた。別の捕虜は、生まれ故郷でなければ、帰国して普通の生活ができると思っていた。(日本兵捕虜から得た情報)

 
 捕虜たちにとっては皮肉にも「生まれ故郷」の人びとこそが最大の足かせとなっていた。逆に言うと、「生まれ故郷」以外なら元捕虜の汚名を背負っても何とか生きていけるだろうという打算をはたらかせる者もいたのである。皆が皆、『戦陣訓』的な「恥」イデオロギーを内面化させ、その影響下で日々の生活を送っていたのではない。

 アメリカ軍は、日本兵たちにとっての最大の「足かせ」となっていたのは、故郷の人びとであったとみていたのです。
 出征中の兵士の家族は、故郷の周囲の人たちから、畑仕事を手伝ってもらったり、さまざまな生活のサポートをしてもらっていました。捕虜になったりすれば、残された家族は、故郷の人たちから、つらい仕打ちを受けることになるだろう、と彼らは考えていたのです。
 だから、逃げたり、捕虜になったりはできない。
 戦死すれば、家族は故郷の共同体からのサポートを受け続けられる。
 なんだかこういうのって、あの戦争が終わった後も、ずっと続いているような気がするのです。
 戦時中ほどでは、ないとしても。
 もちろん、家族や故郷は、兵士たちにとって「戦う理由」にもなっていたのでしょうけど……
 

 この新書を読んでいると、日本軍は、けっして「無謀な玉砕戦法」ばかりをとっていたのではなく、むしろ戦局が悪化し、アメリカ軍が本土に迫ってくるにつれ、水際防衛よりも、硫黄島で行われたような「地下の陣地に立てこもる戦法」などでの抵抗を続けていくようになります。
 「無謀な突撃を行う」ことは厳禁され、最後まで組織的に戦っていくように、という指令も出されていたのです。
 気づいたときには、すでに手遅れ、という状況ではありましたが、「負け続け、消耗していくにつれて、どんどん自暴自棄になっていった」わけではなかったのだと、著者は指摘しています。

 恒石元参謀は対米宣伝の要点は米軍の人的損害をあらゆる角度から衝き、厭戦気運を醸成することにあったとする。とにかく米兵の生命を奪っていればやがて米国内の輿論が停戦へと動いてくれるのではないか、という発想は、それはそれで一つの「戦略」と言えよう。もちろん結果から言えば希望的観測、空想以外の何ものでもないが、結果を知らぬ同時代の日本人はその達成のために「一人十殺」を唱え、必死に地下洞窟陣地を造り、米戦車隊に足止めを強いる戦法に打って出たのである。これを「非合理的」「ファナティック」とはなから決めつけるのは、正しい歴史の理解と言えるだろうか。ある組織とその行為に先入観に基づくレッテルを貼ることで見失われてしまうものは実に多い。
 むろん、日本陸軍の「非合理性」を否定することと、それを正当化、賛美することとは全く別の話である。戦争指導者たちが狭い意味での<合理性>を追求してこの戦争は「必勝」だと自分で自分に言い聞かせるために、本書でみてきた普通の日本兵たち、例えば樹上の狙撃兵や「蜘蛛の穴」陣地の穴のなかの肉攻兵たちの人命が惜しげもなく犠牲に供された事実は改めて強調しておかねばならない。


「特攻」とか「樹に縛り付けられていた狙撃兵」なんて、本当に非人道的な作戦だと思います。
 ただ、こういう「平時の感覚からすれば、目を覆いたくなるような作戦」も、劣勢であった当時の日本軍にとっては「敵軍に少しでもダメージを与えられる可能性がある、数少ない選択肢」であったのも事実なんですよね……
 ベトナム戦争で、アメリカ軍が「撤退」したのも、「米軍の犠牲者を増やし、厭戦気運を盛り上げた結果」だったのだよなあ。
 もちろん、太平洋戦争とベトナム戦争を単純に比較するわけにはいかないのでしょうけど。


 その方針は「あの状況下では、合理的だった」とも言えるのです。
 「非人道的」で「残酷」であることは変わりないとしても。
 戦争というのは、本質的に「非人道的」で「残酷」なのです。

 
 日本人が知らなかった、あるいは、知ろうとしなかった「敵からみた日本軍」。
 これを読んでいると、そこには、いまの日本人にも通じる問題点がたくさんあることを思い知らされます。
 僕たちは彼らの子どもや孫、なのですから。

 

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