琥珀色の戯言

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【読書感想】ニワトリ 愛を独り占めにした鳥 ☆☆☆☆


ニワトリ 愛を独り占めにした鳥 (光文社新書)

ニワトリ 愛を独り占めにした鳥 (光文社新書)


Kindle版もあります。僕はこちらで読みました。

内容(「BOOK」データベースより)
地球上に110億!食の神話を支える「家畜の最高傑作」の実力と素顔を公開。


紙の新書が上梓されたのが4年前。最近Kindle版が出ました。
動物の遺体に隠された進化の謎を追い、遺体を文化の礎として保存するべく「遺体科学」を提唱している、という著者らしく、いま世界で飼育されているニワトリたちのルーツである「セキショクヤケイ」の解剖写真が出てきて、ちょっと驚いてしまいました。
Kindle版をiPhoneで読んだので、詳細は視認できなかったのですが……)


それにしても、ニワトリの愛されっぷりというのは、たしかにすごいものがありますね。

 人口1億のこの島国で、普段飼われているニワトリの数は、およそ3億羽。人の数の3倍である。鶏肉の国内生産量と輸入量を合計すると、毎年200万トン。牛肉のおよそ1.5倍だ。これだけの量のニワトリが、絶えず日本人の胃袋に吸い込まれているのである。もちろん肉そのものが焼き鳥然として食されるのみならず、そこには卵も加わってくる。卵となれば、食材の原形をとどめないから、知らず知らずに口に突っ込まれていることになる。人が意識せずとも、メインの料理のみならず、菓子にも出汁にもつなぎにも姿を変えて、お忍びのように現代日本の食卓を占拠しているのが、ニワトリの凄まじいところだ。
 他方で、生きたニワトリを見る機会は、現代の日本人にとって決して多くはない。養鶏場も食鳥処理場も、もちろんそうした場を職業とするごく一部の人にとっては日常の光景だろうが、普通の消費者にとっては縁の遠い現場だ。

3億羽というのは驚かされますが、たしかに、生きたニワトリを見る機会って、ほとんどないですよね。
マンガ『美味しんぼ』などでは、田舎の自然のなかで飼われているニワトリが出てきますが、実際にそんな「故郷」を持っている人は、いまの日本では少数派だと思います。
ちなみに、日本国内で生産される鶏卵の量は、年間250万トン。
1羽あたり、平均60グラムの卵を年間300個の卵をうむのが「合格ライン」なのだそうです。


この新書の前半では、鶏卵、そして鶏肉の生産が、いかに厳密に人間によってコントロールされているかが、数字を挙げて紹介されています。

 今日日本国内だけで、実に毎年6億羽、重さにして170万トンのブロイラーが食肉として処理され、出荷されている。そして、輸入されるチキンも含めて、日本人1人当たりの年間の鶏肉消費量はおよそ11キログラムだ。老若男女まですべて平準化したとして、一週間に200グラムくらいの鶏肉を食べていることになる。高齢の老人や乳幼児の分まで若者や中年が食べていると考えれば、概ね納得できる統計上の数値だろう。
 日本人はアメリカ人やヨーロッパ人に比べて圧倒的に魚食志向の国民ではあるものの、年間30キロ以上の肉を各人が毎年食す。このうち牛肉がつねに7キロから8キロ。残りの20キロ超を、ブタと分け合う計算だ。量的には牛肉を完全に抑え、各人が摂る食肉のほぼ4割をニワトリが占めていることになる。日本人がもっとも世話になっている家畜由来の食肉が、鶏肉なのである。
 ついでに、産業統計的に家鶏の飼育数を採り上げてみたい。驚くかもしれないが、日本国内でのニワトリの飼育羽数は、現在おおよそ3億5000万羽。人口の3倍だ。大雑把には、採卵鶏が2億羽、肉用のいわゆるブロイラーが1億5000万羽と認識しておけばよい。先にブロイラーを毎年6億羽出荷する日本だと書いたが、それに対して、とある一瞬間で1億5000万羽を生かして飼っているという統計だ。一年待てば、その時に飼っているニワトリの総数の4倍を食べているという計算になる。

 
 僕は「ブロイラー」というのは、そういう名前の食用の品種なのだろうと思っていたのですが、実際は違うのです。

 ブロイラーとは、ニワトリの特定の品種・種類の名称ではない。正確には、鶏肉をとるためにだけ飼われるニワトリの、とくに若鶏たちを指す総称であって、品種を限定するための言葉ではない。実際にはもう少し幅を広げて、肉用鶏の、経営方針を含めた飼養体系全体を指して、ブロイラーという言葉で呼ぶこともある。つまり、一般に考えられているよりも、ブロイラーという言葉は、大雑把で広い範囲を指している。

 現代の肉用鶏は、孵化後恐ろしいスピードで成長を遂げる。生まれて8週目の体重が、なんと2.8キロだ。かくある8週目には出荷が開始され、遅くとも10週までにはすべてのニワトリが肉になる。
 ブロイラーの命は、この世に生を受けてから、わずか50日。

 ブロイラーの中にも、さまざまな品種があるのだけれども、その「運命」は同じ。
 なんだかこういう現実を聞くと、ちょっとしんみりしてしまいます(でもやっぱり食べるのですけど)。
 ところで、僕は今まで、「卵を生む鶏が、生めなくなってしまったら肉にされるのだと思いこんでいたのですが、この新書を読むと、採卵用のニワトリと肉用鶏は「分業」されていて、採卵用の鶏は、2年間くらいで卵を効率よくうめなくなると「処分」されてしまうのだそうです。
 50日で肉になるか、ひたすら卵をうみ続けた末に、処分されるか。
 いたたまれない話ではありますが、ここまで「効率化」されているからこそ、鶏肉が安い価格でふんだんに食べられるというのは、まぎれもない事実なのです。
 この新書を読んでいると、「食べる」「人口を支える食料を得る」ということの「重さ」みたいなものを思い知らされます。
 ニワトリというのは、人間にこれだけ愛されて(というか利用されて)いるからこそ繁栄している、といもいえますし、人によって、さまざまな品種が生みだされてもいるのですけど。


 この本の後半では、著者が追っている「セキショクヤケイ」から、現在飼育されている品種まで、どんなルートを辿って改良されてきたのか、というのが考察されています。
 ニワトリというのは、食用や採卵用といった「実用」目的だけではなく、闘鶏に使われたり、尾長鶏のように「愛玩用」として特化していったり、人間にさまざまな形で愛され、分化していったのです。
 たしかに、これほど人間にとって身近で、食用からペットまで、さまざまな用途を持った生き物というのは、他にありません。
 それがニワトリにとって幸せなことだったのかどうかは、なんとも言えないところはあるのですけど。

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