琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか ☆☆☆☆


内容紹介
コンビ間の軋轢や家族との衝突……
みんな下積み時代の苦悩を乗り越えたからこそ、脚光を浴びる現在がある。
ダウンタウンナインティナイン爆笑問題太田光マツコ・デラックス……、
浅草キッド水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン
水道橋博士のメルマ旬報』の人気連載「芸人ミステリーズ」配信分から 7篇を厳選の上、大幅に加筆修正して収録。
新書化にあたって『有吉弘行と猿岩石の地獄』『芸人・有吉弘行のウソ』の2篇を書き下ろし。
生い立ち、猿岩石時代、あだ名芸と毒舌、ダチョウ倶楽部・上島との関係など、
いま最も注目すべき芸人・有吉弘行の生き様や謎を多くの証言から解明し活写する。
最強のTVっ子が「実像」と「虚構」とのスキマを切り結ぶ。


「華やかな芸能界の深層に地獄の地下水脈は流れている。

    • てれびのスキマは、テレビの写さない、余白を解き続けることによって、芸人の棲む地獄の底に流れる河の水を見事に浄化している」

水道橋博士、推薦!!


「目次」
序章 有吉弘行と猿岩石の地獄
第一章 オードリーのズレ漫才と幸福論
第二章 オリエンタルラジオの証明
第三章 なぜダウンタウンはそんなにも客の出来を気にするのか?
第四章 なぜナイナイ・矢部浩之はいつもニヤニヤ笑っているのか?
第五章 爆笑問題太田光の偏愛、あるいは太田光を変えたもう一人のタケシ
第六章 ダイノジ大谷ノブ彦のどうかしている“熱"
第七章 マツコ・デラックスの贖罪
終章 芸人・有吉弘行のウソ


 同じ著者の『タモリ学』は名著だったのですが、こちらもすごく面白かった。
 そんなに厚くない、200ページにも満たない新書なのですが、読んでみると、ものすごく濃密な世界が広がっているのです。
 こんな文章が毎回載っているんだったら、水道橋博士のメルマガを購読してみようかな、と思いましたよ本当に。


 この新書では、オードリー、オリエンタルラジオダウンタウンなどの人気芸人を採り上げて、彼らが著書やインタビューで実際に残した痕跡から、その「笑いのルーツ」と「人となり」を辿っています。
 これを読んでいて痛感したのは、「芸人になるには才能も必要なのだろうけれど、才能だけで人気芸人になれた人はいないのだな」ということでした。
 彼らが語るエピソードを読んでいると、自分たちの「型」にたどり着くまでのあまりに壮絶な試行錯誤に、ただただ圧倒されてしまいます。
 努力すれば成功が約束されている世界ではないけれど、とにかく限界まで考えて、やれることをやり抜いた先に見えてくるもの。
 それしか、頼れるものはないのです。


 有吉弘行(ちなみに、有吉さんの名前って、「ひろゆき」じゃなくて「ひろいき」って読むのですね。僕はこの新書を読むまで知りませんでした……)さんの「猿岩石」結成当時の話。

 ようやく部屋を見つけた二人は「猿岩石」を名乗り、太田プロのネタ見せに。事務所はどこでも良かった、という。ネタ見せは最初から感触が良かった。すぐにライブに出してもらえるようになった。「意外とちょろいもんだな」有吉は最初そんなことを思っていたが、すぐに行き詰まった。人気が出る気がしないのだ。ナマコを口から出したり、ズブ濡れでネタをやったり、「とにかくパンチが必要」だと奇をてらったネタを繰り返していた。だが、「どうも笑いは取れず奇声が上がるだけ……」だった。


hon-nin・vol.01』(太田出版)で読んだ松尾スズキさんと爆笑問題太田光さんの対談(「『テレビ』と『本人』の距離」)に、こんなエピソードがありました。

松尾スズキ今って普通の新人お笑い芸人がバラエティ番組にぽんと出ても、わりといけるじゃない? あれはすごいなあと思いますね。


太田光そうですね。オレらも最初は差別ネタばっかりだったんです。で、当時はライブでウケる芸人って、テレビに出れないやつらばっかりでしたからね。テレビで何をやってはいけないかよく分かっていなかったし、それに加えて「テレビなんかに出てやるものか」というワケの分からない反抗意識もあったし(笑)。


松尾:それは今の芸人志望の人たちと真逆ですね。


太田:明らかに違います。僕らが最初に出たのは(コント赤信号が主宰する)La,mamaってライブなんですけど、当時トリをつとめていたのがウッチャンナンチャンで、彼らやピンクの電話ダチョウ倶楽部はテレビで成立するネタをやってましたけど、オレらはテレビでは流せないネタばっかり。オレらが最初にやったのは中国残留孤児もののコント。あとは全身カポジ肉腫だらけの原子力発電評論家とか、佐川一政くんがレストランを出しましたとか、どうしようもない。


松尾:ひどいですねえ(笑)。


太田:それでもオレらはまだ「テレビ用のネタも作らなきゃ」って気持ちがありましたけど、他のやつらはもう……気が狂ったやつらの巣窟でしたね。で、またみんなバカだから、そんなネタやってるくせにテレビのオーディションを受けに行くんですよ。障害者のモノマネやって「けっこうです」って言われたり(笑)。あとはトマトジュースを飲んで「今飲んだジュースを手首から出します」って言ってその場で手首を切ったり。


松尾:もう芸人でも何でもない(笑)。


太田:そもそも笑えないしね。あとはナイフを持ってきて振り回しながら客席に乱入するだけとか(笑)。で、オレらも一時期そっちの路線にいってたわけです。「そっちの方が偉い」「女コドモにウケる軟弱なネタよりも、ハードなネタのほうが上」みたいなノリがあって。


松尾:でも、田中さんの資質はそっち方向じゃないですよね?


太田:そう(笑)。で、そんなネタばっかりやってると、それを求めるファンしか来なくなるわけです。そのうちファンの方が危ないライブになっちゃって、自然と「これではダメだ」と思うようになりました。


松尾:そういう危ないネタをやりたくなる季節があるのかな? 今はあんまりないよね。


太田:新人のライブを見ても、面白いかつまんないかは別として、今はそのまんまテレビで流せるネタが多いしね。


松尾:思い出したけど、俺らもその頃、下北沢の駅前劇場とかで、ひどいギャグをやっていましたね。「黒人力発電」ってネタがあって、街で踊っている黒人をさらって原子力発電所に閉じ込めて、ヒップホップをかければやつらクルクル回るから電力が取れるんじゃないかとか。でも、あんまり回り過ぎると核融合を起こしちゃうから、そういうときは『アンクル・トムの小屋』を読んだら回転が収まるんじゃないかとか……。


太田:ひどい(笑)。でも、そういうネタって実際面白いんですよね。ただ、それを続けていくとエスカレートするしかなくなってきて、最終的にはチンコ出すとか放送禁止用語を言うとか、そういう単純なことになってきちゃうから、これじゃ全然面白くないなって。

 この太田さんが語られている「当時」というのは、今から20年くらい前の話です。
 でも、こういう「他人がやらないことをやる」=「自分らしさ」という迷宮みたいなものに入り込んでしまって苦悩する人間の姿というのは、いつの時代にもあるものでしょう。
 「それ同じようなやつを、ネットで観たよ」って言われてしまいますから、「新しいことをやりたい」芸人たちにとっては、現在はさらに厳しい時代になっているはずです。


 オードリーは、結成後、8年間も鳴かず飛ばずだったそうです。
 当時は、若林正恭さんがボケで、春日さんがツッコミ。
 若林さんは、売れなかった時代のことを、こんなふうに振り返っています。

「深夜、部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい」と現在の若林は言う。「そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年間調査した結果、それはただの穴だよ」

 これはまさに、20年間、その「ネガティブの穴」を覗き込み続けた若林さんだからこその言葉ではないでしょうか。
でも、そうやって、「ただの穴」の底を探し続けたからこそ、今のオードリーがあるような気がします。


 著者は、オードリーについて、こんなふうに述べています。

 二人が試行錯誤して様々に姿かたちを変えていった春日のキャラは、若林の理想像を具現化した「春日」として完成した。キャラとしての「春日」は結果的に普段の春日を誇張しただけで実は地続きだった。もっとも本来の春日との「ズレ」がなかったのだ。
 しばしば芸人は「辞めなかったらいつか売れる」と言われることがある。しかしちょっと違う、と若林は言う。「辞めないことによっていつもの自分がネタに出るときが来て、それが見つかったら必ず売れる」(『オードリーのANN(2012/9/8)』)のだ、と。
「賛否の否があるときに限って、その後ざくっと残ったりする」。だから「なるべく賛否両論があるような場所に身を置きたい」と。
 自分らしい「人(にん)」の出る漫才のスタイルを手に入れた今、それが中核にある限り、たとえ彼らしくない状況に立ったとしても、その違和感、ズレを含めてオードリーらしさがにじみ出ているはずだ。


 この新書は、この「若林正恭さんが20年間調査し続けた、ネガティブの穴」の一端を、読者に見せてくれるのです。
 いまの世の中では、「先の見えない努力」は、バカにされがちだけれども、芸人には、そういう「バカなこと」をやり尽くさないとたどり着けないような「世界」がある。
 別に「努力のすばらしさ」が書かれているわけではないのだけれども、「芸人として生きていくこと、いや、人間として試行錯誤していくことの厳しさと充実感」みたいなものが、伝わってくるんですよね。


 「武勇伝」での、史上最速といわれた大ブレイクから、一気に「転落」していったオリエンタルラジオ

 与えられたポジションに見合う実力がまだついていなかったオリエンタルラジオ。当然のように、次々と短期間で番組が打ち切られていった。
「そこはまだ、覚悟ができていなかった」と中田は述懐する。「(始まるのも)怖いけど、落ちるのもっと怖いって」
 この「現象」を中田は「吉本興業の中での実験」だったと自分のなかで整理しているという。
「テクニックもキャリアもなくても、それで成立するんだったらビジネスモデルとしては正解じゃないですか。コストがかかってなくてパフォーマンスが得れるわけですから。これが成立したらこれをどんどんやっていくつもりだったと思うんです。だけど、それが出来なかった! 促成栽培が出来るもんじゃない。それが芸人なんだ、っていうのを逆説的に証明したのがオリエンタルラジオなんです!」
 聞いているブラマヨの二人が呆然とし、無言になってしまうほどの冷静さ、客観性が逆に当時の深すぎる苦悩を物語る。


 この新書のなかで、僕がいちばん好きだったのは、書き下ろしの有吉弘行さんの章でした。
 僕も「自意識過剰な子供」だったので、有吉さんの子供時代に、自分の姿を少し重ねてみたりして。
 たぶん、この新書のなかに出てくる芸人の誰かに、自分を重ねて読む人は、多いのではないかと思うのです。
 彼らは人気者であり、超人である一方で、「どうしようもなく、人間」でもあります。

「(インドとかに行って)人生観変わったとか言うヤツは、日本でたいした人生送ってないんですよ」(『アナザースカイ(2010/4/16)』)
「自意識」が崩壊するような過酷な旅をしてきたからこそ説得力がある言葉だ。「自分」なんて本当はない。「他人から見た自分」こそが「本当の自分」なのだ。だとしたら自分が思っている「本音」だって、それが本当に「自分の本音」なのかは疑わしい。だから有吉は「自分」や「本音」を捨て、「リアクション芸」をするかのように、その場に応じて変わる「本音っぽい」毒舌や批評を相手にぶつけるのだ。


 新書という形態やページ数による見かけのイメージを遥かに超える「密度」のある本でした。
「芸人の感動話になんて、興味ないよ。舞台の上でいかに笑わせるかが勝負なんだから」
 そういう人にこそ、ぜひ、読んでみていただきたい一冊です。



タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

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ナインティナインの上京物語

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