琥珀色の戯言

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【読書感想】女のいない男たち ☆☆☆☆


女のいない男たち

女のいない男たち

内容紹介
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」から1年、
村上春樹、9年ぶりの短編小説集。
表題作は書下ろし作品。


 村上春樹さんの9年ぶりの短編小説集ということで、けっこう気合いを入れて読み始めたのですが、読んでいるうちに、肩の力が抜けてきました。
 ああそうか、村上さんの長編は、ちょっと身構えてストーリーや伏線っぽい描写を整理しながら追っていかなければならないところがあるけれども、短編は、リラックスして読んでもだいじょうぶなんだよな、って。
 9年ぶりともなると、読みかたを忘れてしまっていたみたいです。

 
 この『女のいない男たち』という短編集は、ひらたく言ってしまうと「愛する人に去られてしまった男たちの話を、その『別離』からしばらく経った時点で、聞き手が記録したもの」です。


 僕はこれを読みながら、村上さんの『東京奇譚集』という短編集を思い出していました。
 実際に有ったのか無かったのかわからない、事実と虚構の境界にあるような「打ち明け話」を、当事者とはそんなに長年の関係ではなかった(でも、ある時期に「すごく共鳴しうる存在」ではあった)語り部が聴き、その素材をそのまま活かしてサッと読者の前に出す。
 そんな「都市伝説的な書かれ方」が、すごく似ているのです、『東京奇譚集』に。
 もうほんと、なんとも微妙な「こんなことが実際に起こったのだろうか……と疑問ではあるのだけれども、フィクションだと言い切れるほどの人生経験は僕にないしな……」というさじ加減。


 そして、『神の子どもたちはみな踊る』という連作短編集のことも、思い出してしまいました。
 『神の子どもたちはみな踊る』は「阪神淡路大震災」を描いた短編集なのですが、「そのこと」が起こったときをリアルタイムに描くのではなく、それからしばらくの時間を経た時点で、人々が、その「喪失体験」について語るという形式でした。


 この『女のいない男たち』というのは、『東京奇譚集』+『神の子どもたちはみな踊る』つまり、「知人の、信じてはもらえないかもしれないけど話」+「大きな喪失体験を経てきた人にとっての、その体験の意味と、その後の生きざま」の合わせ技、とも言うべき、作品集なのです。


 最近「社会」のほうを向かざるをえなかった村上さんは、ここで今一度、もっと個人的なこと、内向きなことに目を向けてみたくなったのかな、とも感じました。
 いつのまにか、読むときに正座し、背筋を伸ばさなくてはならなくなったような「ノーベル賞候補村上春樹」であることに息が詰まっていたのは、読んでいる側だけじゃなかったのかもしれませんね。


 他人に対して、以前の恋愛についてのけっこう深刻な打ち明け話や、セックスの話をはじめてしまう人っていうのは、僕にとってはけっこう信じがたい存在ではあるんですよ。
 そんな人、本当にいるのか?と。
 昔からの友人とかならともかく。
 この短編集を読んでいると、世の中には「打ち明けたい人」と「打ち明け話を聞いて、その物語を成仏させてあげられる人」がいて、小説家というのは後者の特殊能力を持った人なのだと思われてきます。
 書いてあることがすべて事実だとは思えませんが、「奇妙な友人の打ち明け話を、そのまま文章にした」ようにもみえるこの短編集を読むと、個人的な「経験」から、普遍的な「物語」を取り出してみせる(あるいは、撮り出しているようにみせる)のが、村上春樹という小説家の底力なのでしょう。
 星新一さんの有名なエピソードに、バーでみんなで飲んでいて、出されたお題であっという間にショートショートを1本つくりあげてしまった、というのがあるのですが、村上春樹さんにも同じような才能があるのではないかなあ。
 僕は村上春樹さんの『東京奇譚集』を読んで、「ああ、こういう『他人の話をそのまま物語にしてしまうような作品もアリなんだな」と思い、自分でもときどき真似事をしてみました。
 やってみると、「他人の話を適切な長さにし、わかりにくいところは調整し、説明を加え、それでも、誰かがいま知り合いに話しているような躍動感も残しておく」というのが、いかに難しいかがわかります。
 他人の話って、「そのまま」テープ起こしのようにして文字にしても、なかなかうまく伝わらないのです。

 内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはいられない種類の人々がいる。それほど多くではないが、ふとした折りに見かけることがある。渡会医師もそんな一人だった。


 この小説には「変わった男」ばかりが出てきます。
 ところが、どの作品も、読んでいけばいくほど、「彼らのほうが正しいところ」を持っているのではないか、と思えてくるのです。
 恋愛は、人を、とくに男を「変」にしてしまう。
 なんらかの理由で、その関係が終わっても、そこに生じた痕跡みたいなものは消えないし、「ズレ」も、そう簡単には修正されません。
 だからといって、「女のいたことがない男たちの人生」も、それはそれで、単純なものにはならないのです。


 うーん、どうすればいいのだろう?
 もしかしたら、「ああ、他の人もみんな『どうすればいいんだろう?』って思っているものなんだな」ということを知るための短編集、なのだろうか。

 僕らは14歳のときに中学校の教室で出会った。たしか「生物」の授業だった。アンモナイトだか、シーラカンスだか、なにしろそんな話だ。彼女は僕の隣の席に座っていた。僕が「消しゴムを忘れたんだけど、余分があったら貸してくれないか」と言うと、彼女は自分の消しゴムを二つに割って、ひとつを僕にくれた。にっこりとして。そして僕は文字通り一瞬にして彼女と恋に落ちた。

 ああ、これは確かに、恋に落ちそうだ。
 僕の人生では、起こらなかったことだけれども。



東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

女のいない男たち ヘミングウェー短編集2

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