琥珀色の戯言

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【読書感想】誰も書かなかった 武豊 決断 ☆☆☆☆


内容紹介
20年来の“心友“作家が初めて明かす、天才・武豊「苦難の日々」の真実! 有名馬主との確執から悪夢の落馬事故、そしてどん底のスランプまで。天才は何を悩み、「決断」したのか?逆境から這い上がるまでの「心の軌跡」全記録! 「逆境に負けない」天才が明かした復活までの「葛藤」「苦悩」「心の声」がすべてわかる1冊。


第1章 宿命~なぜ「武豊」は美しくしなやかなのか?~
第2章 伝説~「心をあやつる技術」はこうして生まれた~
第3章 戦略~名馬が育てた「勝つ思考力」~
第4章 理論~試行錯誤でつかんだ「勝利のセオリー」~
第5章 野望~それでも「世界と戦う」理由とは何か?~
第6章 重圧~「究極の精神」はいかにして鍛えられたか~
第7章 逆境~あの「どん底」で何を思ったのか?~
第8章 決断~いま「武豊」が考えていること


著者の島田明宏さんは、武豊騎手がデビューした数年後からの長いつきあいで、海外遠征にも同行しておられます。
これまでも、友人であり、「スポークスマン」として、武豊騎手に関する本を何冊も上梓してこられました。

 時計をはめた左腕を軽くふったり、左手首を右手で握るだけで、武は自分の体重が200グラム単位でわかるという。170センチという、騎手としては長身であるがゆえに、デビュー当初から体重維持を含めた自己管理を徹底して会得した「技」である。

今回の本のなかでも紹介されているこんなエピソードを以前読んで、僕は「武豊って、騎手ってすごいな」と驚愕したものでした。


デビュー以来、競馬人気を牽引してきた武豊騎手ですが、ディープインパクト以後、とくに2010年3月の落馬事故による休養を境に、それまでのような圧倒的な存在ではなくなってしまいました。

 2010年8月1日、127日ぶりに実戦に復帰した武はしかし、なかなか以前のよに勝ち鞍をかさねることができなかった。
 その年は69勝、翌11年は64勝、12年はデビュー以来最低の56勝に終わった。
 勝ち鞍が減ると、急に年齢(2014年で45歳)のことを言われるようになり、一部には衰えを指摘する声もあった。
 だが、彼はそこで終わらなかった。
 2013年の春、史上初のダービー5勝という金字塔を打ち立て、秋には前人未到のG1通算100勝という偉業を達成。低迷していた数年感とは明らかに違う姿を見せるようになった。
 ここに至るまで、彼は何を思い、どのように自身と向き合ってきたのだろう。逆境のなか、いかにして再浮上のきっかけをつかんだのか。
 彼を「復活」へと導いたものを探るには、彼の力、彼だけの強さがどのようにして形成されたかを見つめなおす必要がある。
 キャリアに大きな山と谷ができた今、時間の流れとともに彼の足跡をたどりながら心の軌跡を追うことによってこそ、「武豊」の真実の姿に迫ることができるのではないか。
 そう考えることが、本書にとりかかる動機になった。


 著者は、冒頭でこんなふうに書いておられます。
 僕はこの本を読むまで、内容は「ディープインパクト以後の、武豊の長い雌伏の時代を描いたもの」だと思い込んでいました。
 実際は、もっと長いスパンで、デビュー以来の武豊の軌跡を、著者だけが知っているプライベートなエピソードも交えつつ、足早に振り返っていく、というものだったんですよね。
 個人的には、「なぜ武豊は、あの年齢で、あの長いスランプから『復活』できたのか?」「有力馬主(というか、「アドマイヤ」の近藤さんや社台ファーム)の馬に乗らなくなり、確執がささやかれていたけれど、それは事実だったのか?」というところに興味があったのですが、それはサラッと触れられているだけ、という感じだったのが、ちょっと残念でした。
馬主との確執なんて、現役騎手である以上、あんまり生々しく書くわけにはいかないのはわかるんだけど、この本の宣伝をみると、そういう裏話についても、当事者が赤裸々に語っていそうだったので。
 著者は「知っていても書けなかった」のか、それとも、「武豊という人は、どんな親友であっても、親友であったからこそ、自分の仕事のドロドロとした部分には立ち入ることを許さなかった」のか?
 

 ずっと競馬ファンとして、馬券を買う側として武豊騎手をみてきた僕からすると、「アドマイヤオーラ乗り替わり」の時期からの武豊は精彩を欠いていたように思われます。
 どんな馬でも後方待機作戦になってしまっているようにみえたし、それを「馬に競馬を教えて、今後につなげる」と擁護されても、「馬主もファンも、ここで結果が欲しいんだよ!」としか思えませんでしたし。
 著者は外国人騎手や岩田・内田のような地方出身騎手が、先のことよりも、「このレース」での結果を求めることにこだわりすぎている、というような指摘をしていますが、観ている側にとしては「G1を『教育の場』にするな!」と武豊騎手にもどかしい思いもしていました。
 そもそも、それまでの武豊であれば、「馬を教育しながら、結果も出していた」わけで。
 それはものすごいことなのだけれども、そういう「全盛期の武豊」のイメージがあるだけに、スランプの時期のもどかしさもひとしおだったのです。


 この本で紹介されているさまざまなエピソードを読むと、「騎手・武豊」の凄さを、あらためて思い知らされます。
 レースや馬のことに対する研究熱心な姿勢や、馬の癖を知り、能力を引き出すための技術や戦略、そして、切り替えの早さ。
 著者は、オグリキャップのラストランの「奇跡」の背景を、こんなふうに紹介しています。

 オグリキャップの復活劇は偶然の産物などではけっしてなかった。
 それを呼び込むよう陣営が最大限の努力をつづけた結果の奇跡であった。
 もちろん武の力も大きかった。
 彼とオグリの有馬記念は、スタートからゴールまでの2分半ほどだけではなく、その数週間前から始まっていた。オグリに安田記念を勝ったころのような覇気がないことを見てとった彼は、有馬記念の1週間前追い切りと本追い切りを、実戦に近い芝コースでするよう進言した。ひたむきにゴールを目指していたころの闘志を呼び起こすためだ。
 さらに彼は、オグリがいいころに見せていた「癖」を引き出すことを試みた。オグリは、右の前脚を前に出して走る右手前で走ることが好きで、右回りのコースで直線に入っても、左鞭を入れないと左手前に替えようとしない。直線で内(右)に差さるので、騎手はつい右鞭を入れて左に進路を変えさせたくなるのだが、左鞭で叩かないとオグリは手前を替えないのだ。どんなに強い馬でも、ずっと同じ手前で走っていたら当然伸びが鈍る。
 1週前追い切りの直線で左鞭を入れても手前を替えなかったが、直前の追い切りではそれを合図にパッと替えてくれた。まず先に、調子がよかったころの癖を引き出し、それによって心身の状態もそのころに近づけようとしたのである。

 競馬場でうまく乗ることだけが、騎手の仕事ではないのです。
 あのオグリの奇跡のラストランは、関わったすべての人々の努力によってもたらされたものであり、もちろん、武豊騎手も、大きな役割を果たしました。
 しかし、ある馬がどんなに力を出し切っても、展開に恵まれなかったり、一頭、ものすごく強い馬がいれば負けてしまうのが競馬の世界なのですから、やはり、あのレースを勝てたのは「運」もあったのでしょう。
 

 1996年に年間最多勝の記録を更新(159勝)したとき、なぜこんなに勝てるようになったのか、と著者は武豊騎手に問いかけたそうです。

 武の答えに驚かされた。
「馬の呼吸を意識して乗るようになったころから、勝ち鞍が増えはじめたんです」
 馬は、長距離戦だけではなく短距離戦でも1完歩に1回呼吸をしている。人間のように、短距離を一気に走るとき呼吸をとめているわけではない。
 馬の呼吸をどう意識し、具体的にどんなことをしたら馬の走りが変わったのかも説明してくれたが、
「これは、ここだけの話にしてもらえますか」
 と、いつになく強い口調で言った。
 彼がいくつも持っている「企業秘密的なもの」のひとつである。

 「スター」であり、そのカリスマ性で馬を操っているようにさえみえるのだけれども、そこには、たしかな技術があるのです。
 しかし、そんな武豊でも、いつも100点満点のレースができるわけではないし、勝てるわけでもない。
 そして、ちょっと悪い方向に転がりだしてしまえば(体調の問題もあったにせよ)、トップの座から、転がり落ちてしまう。
 一度「ダメになった」と言われると、そのイメージを払拭するのは、本当に難しい。


 2013年、キズナでのダービー制覇ののち、武豊騎手は、こんなふうに語っていたそうです。

「騎手人生のなかでも大きなダービーだった。キズナは本当に、いろいろな人たちの思いを背負って走る馬ですね。人に勇気を与える力がある馬だと思います。結果を出せず、しんどい時期もありましたが、一度も投げたことはなかった。騎手という仕事に対してしっかり向き合ってきたという自信だけはあります。この一戦ですべてが戻ったと言うつもりはありませんが、再浮上のきっかけになるといいですね。神様がいてくれたのかな、と思いました」


 あれだけの栄光とともに騎手生活を送ってきただけに、「もうダメだ」と言われていた時期は、本当につらかったと思うんですよ。
 でも、武豊という人は、自暴自棄になることも、何か特別なことをやることもなかった。
「一度も投げたことはなかった」「騎手という仕事にしっかり向き合ってきた」
 ものすごくシンプルな言葉なのだけれど、それこそが「答え」なのでしょうね。


 武豊騎手の、こんなエピソードを聞いたことがあります。
 武豊騎手が、以前、地方競馬の「さがけいば」のレースに初めて乗りにきたとき、「武豊フィーバー」で、競馬場は開設以来の大混雑になったそうです。
 武豊騎手は、競馬場に向かうタクシーのなかで、運転手さんに「いやあ、今日は本当に混んでるわ〜なんでも、武豊ってすごい人が来るらしいんだけど、お客さん、武豊って知ってます?」って話しかけられ、内心苦笑していたのだとか。
 僕はこのエピソードが、なんだかとても好きなんですよ。


 武豊騎手は、あれだけ稼いでいる人だし、スケジュールもぎっしり詰まっているのだから、わざわざ地方競馬まで乗りに来る必要は、あまりないはず。
 地方競馬でも、大井のような関東の競馬場ならともかく、賞金も安い、九州のさがけいば。
 にもかかわらず、武豊という人は、「自分が行くことで、その競馬場が、そのレースが盛り上がるのなら」と、出かけていくのです。

 
 有名であることによるストレスは大きいでしょうし、不快な目にあうことだってあるはずです。
 「自分だって人間だ!」と叫びたいときもあるでしょう。
 それでも、武豊という人は、自分が第一人者であることから常に逃げずに、「競馬界の代表」としてふるまい続けています。
 元ヤンキース松井秀喜選手も、そういう人だったと言われています。


 ファンにとっても、アンチにとっても、やっぱり、武豊がいる競馬のほうが面白いはず。
 まだまだ、騎手としては老け込むような年齢じゃありませんし。

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