琥珀色の戯言

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【読書感想】ツイッター創業物語 ☆☆☆☆☆


ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り


Kindle版もあります。

内容紹介
ツイッターはだれのものか?
世界を変えた「ITオタク」たちの起業物語!
アメリカでテレビドラマ化決定!


ベンチャー企業オデオはポッドキャスティングで一発当てようとしていた。だが創業から2年、当初のもくろみが外れたことは明白だった。目前には会社の破綻が迫っていた。つぎつぎに社員をクビにしていたそんな時、会社に残った人間で考え出したアイデア――それがツイッターだった。


友人どうしだったITオタクが作り出したビジネスは、やがて外部の投資家を巻き込んだカネと権力、そして名誉争いに発展していく。はたして「ツイッターの発明者」という称賛に値するのはだれなのか?


思いがけない創業、友だちの裏切り、そして世界3億人のユーザを獲得するまでの軌跡を、4人の共同創業者を軸に描き出した全米ベストセラー。


ツイッターを生み出した4人】
エバン・"エブ"・ウィリアムズ
――ネブラスカの農家で生まれ育つ。ブログサービスの先駆けである「ブロガー」をグーグルに売却し億万長者に。物静かだがビジネスマンとして非常に有能で、会社の利益を守るためならかつての友達や共同創業者を追放するという厳しい選択もする。


ジャック・ドーシー
――刺青を入れた無名のITオタクのひとりだったが、のちにツイッターのコンセプトを生み出し、さらにスクエアを創業。メディアを意識した対応で「つぎのスティーブ・ジョブズ」という評判を得るまでに。いまやIT業界の巨人。


クリストファー・"ビズ"・ストーン
――ジョーク好きで社交好き。ブロガーにあこがれて、グーグルに入社。エブを追いかけ、ストックオプションを放棄までしてグーグルを退社。いまでも他の3人と友人関係を保ち、宿怨を抱えていない唯一の人物。


ノア・グラス
――シャイだがエネルギーに満ちたITオタク。自分の人生をツイッターにすべて捧げた。しかし後にツイッターから追放される。会社の公式な創業物語からも消し去られ、すべての肩書きを奪われた「共同創業者」。


僕も使っているTwitter、いつのまにか、あるのが当然のような存在になってしまったのですが、この本では、そのTwitterがどのようにしてできたのか、そして、Twitterをつくったのは、どんな人たちだったのかが語られています。
多くの関係者に直接取材をしたというこの本の特徴は、「ビジネスとしてのTwitter」ではなく、「Twitterという金の卵を生んでしまった人たちが、どんな運命を辿っていったのか、そして、彼らはこの大きな発明で、幸せになれたのか?」が語られていることです。
映画『ソーシャル・ネットワーク』で描かれた『Facebook』、スティーブ・ジョブズの栄光と挫折の物語を生み出し、そして、伝説となった『Apple』など、多くのIT企業は、仲の良い友人たちによってつくられます。
ところが、その事業が成功し、軌道にのってくると「仲良しグループ」では、やっていけなくなってしまうのです。
つらく、そして楽しくもあった創業期をともに乗り切ってきたはずの「仲間」たちは、「ビジネス」のために袂を分かち、憎み合うようにすらなっていくことが多いのです。

「ディック・コストロCOOに、後任のCEOへの就任を依頼しました」
記事には、エブの言葉として、そう書かれている。
 むろん事実ではない。
 自分のオフィスでゴミ箱を抱え込んで座っているエブには、そういうことを口にする気持ちはこれっぽっちもなかった。エブはネブラスカ州の農家に生まれ、10年前にサンフランシスコに来たときには、だぶだぶの着古した安物の服がはいったバッグを二個持っていただけで、クレジットカードの債務が数万ドルあった。自分が共同で創業した会社のトップを辞めたくはなかった。だが、そういうわけにはいかない。いまでは10億ドル以上の稼ぎがあることも、ツイッターに人生を注ぎ込んできたことも、関係ない。選べる立場ではなかった。エブは、取締役会の悪辣な血みどろのクーデターで、辞任を強要されていた。クーデターを起こしたのは、自分が雇い入れた人間で、なかにはかつての親友もいる。会社に投資した人間の一部も、それに加担した。


僕はこの本で、Twitterの創業物語をはじめて知ったのですが、意外だったのは、「Twitterをつくった4人」はみんな、名門大学に入学した「エリート」ではなく、うまく社会に適応できず、たいした学歴もない、でも、コンピュータが大好きな「おたく」だったことでした。

 ジャックは、すぐさまフリーランスとして雇われ、オデオの企業文化になめらかに溶け込んだ。ハッカーのメンタリティで、学位がなく、プログラミングが大好きだった。働くことはよいことだという確固たる労働意識があって、どんな仕事をあたえられても、すばやく正確に完成させた。
 ジャックは、もっと若いころに、父親ティムの仕事関連のプロジェクトを手伝って、プログラミングを覚えた。子供のころは銃や車のおもちゃをほしがらず、<ラジオジャック>のチラシを憧れの目で眺め、クリスマスプレゼントにほしい電卓の切り抜きを部屋に吊るしていた。ハッキングにもかなり手を出して、ニューヨークのある会社のウェブサイトに侵入して、脆弱性を指摘することで、仕事を得たこともある。ジャックは、オデオのウェブサイトのプログラミングを、熟練の自動車整備工が芝刈り機を修理するみたいに、楽々とやってのけた。

彼らは、自分たちの居場所を求めてサンフランシスコに集まり、世界を変える「Twitter」を開発することになります。
最初、彼らは「仕事仲間」であるのと同時に、「友達」だったのです。
誰かの部屋に集まり、ずっと雑談をしたり、パーティをしたり、新しいアイデアを実現しようとしたり。
ところが、Twitterが多くのユーザーに認められ、世界の動きに大きな影響を与える可能性が出てくると、そこに目をつける賢い投資家たちがあらわれます。
投資家たちは、仲間のひとりを指差して言うのです、「アイツは、この大きな会社を経営するのには、向いていないんじゃないか?」と。
たしかに、仲良しグループでは巨大な会社を動かしていくことができないのは、わかりきっているのだけれども、創業の苦楽をともにしたはずの「仲間」たちが、バラバラになり、憎み合いすらしていくのは、読んでいていたたまれないものがありました。
彼らが一時Googleに所属していたときには、みんなで口を揃えて「Googleのエリート大学出身の連中なんて大嫌い」だったのに、Twitterという「金鉱」の前では、「一緒に闘ってきたはずの仲間」が諍いをはじめてしまうのです。
それは「Twitterのため」だったのか、それとも、彼ら自身の夢やプライドのためだったのか……


ある人物が、ある人物を「自己中心的で、経営者に向いていない」と追放し、追放した人物が、今後は「優柔不断で、決断力に欠ける」と追放される。
会社から完全に籍を抜いてしまうのは「外聞が悪い」というのと、昔からの仲間への遠慮もあって、「名目だけ」会社に残しておいたつもりだったのに、それが仇になってしまう。


この本を読んでいると、創業グループのなかでも、「Twitterはどうあるべきか?」という方向性が分かれていたようです。

 エブはジャックに、きみはもう七ヵ月以上もツイッターでは働いていないし、きみが思い描いていたツイッター――ステータスをアップデートするサービス――ではなくなったと説明した。ジャックがツイッターについて抱いていた構想はつねにステータス、”いまなにしてる?”だったということを指摘した。いっぽうエブの構想はブログ寄りで、”いまどうしてる?”を伝えることだった。ジャックにとっては、自分の物語を伝えるのが目的だった。エブにとってツイッターは、他人の物語を伝えるのが目的だった。
 ツイッターは、三人がまったく予想していなかった方向へ進化しつづけていた。個人のステータスを共有するのにサービスが使われているという最初のころの主張は、ツイッターが24時間ニュース・サービスの体裁を帯びて、メディアの報道を共有するネットワークになってから、勢いを失った。さらに重要なのは、現実の人生で自分たちが見ていることを、人々がツイッターで報告するようになったことだった。記者証や”ジャーナリスト”という肩書きが、スマートフォンツイッターのアカウントに取って代わられた。


日本でもTwitterが流行しはじめた時期は「○○なう」というツイートをする人がたくさんいました。
「いま、自分が何をしているのか」ということを伝えるツールだと、認識されていたんですよね。
しかしながら、今のツイッターでは、「自分のフィルターを通して、他人に伝えたい情報」がツイートされることが多くなっています。
大勢の人が情報を拡散して、世の中にひとつの「傾向」みたいなものをつくるツールとしての役割を、ツイッターは果たしているのです。
そういう意味では、現在のTwitterは「ミニブログ」寄りだといえそうです。
実名主義を貫いてきたFacebookが「仲間内のためのコミュニケーションツール」だとするならば、Twitterは「見知らぬフォロワーを意識した発信のためのツール」という棲み分けがされています。
こんなふうに社会に大きな影響を与えるツールになるというのは、開発者たちも、当初は予想していなかったみたいなんですけどね。

 ディックは、マイクを持ち、静かに座っている社員たちの前を行ったり来たりして、ひとつのアード作品を捨て去るようにと指示した。2009年末からフォルサム・ストリートの旧社屋に吊るされていたそのアート作品は、白い縁取りのある黒い枠に収まっていた。逆さに吊るされていたのは、ちょっと皮肉だった。黒地に白い太字で、36文字の言葉がそこに書いてあった。”あすはもっといいミスをしよう”。
 新しいオフィスはツイッターが企業として大人になる時期だということを示している、とディックは説明した。ツイッターが幼年期に悩まされていた、周期的なサイトの一時停止やその他の数多い問題に終止符を打とう。
「あすはもっといいミスをしよう、という旧社屋での社訓は捨てよう」
ディックはいった。
「私たちはもう、その手の会社ではないんだ」

かくして、野心と活気に溢れ、しかしながら隙だらけの会社は、「普通の企業」へと成長していくのです。
僕はこの創業者たちの栄枯盛衰を読みながら、ある人物に肩入れしたり、ある人物の裏切りに憤ったりしていたんですよ。
こんな卑劣なやり方が、許されるのか?って。
でも、会社の内部で何が起こっているのか知ることもなく、僕は、その間もずっとTwitterを使っていたのです。
全世界のほとんどの人が、そうしていました。
みんなに使われるサービスって、そういうものなのでしょうね、きっと。



ちなみに、僕のtwitterはこちらです。

http://twitter.com/fujipon2

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