琥珀色の戯言

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【読書感想】乙女の読書道 ☆☆☆


乙女の読書道

乙女の読書道

内容紹介
声優、歌手として活躍している著者の初の読書エッセイ集。「本の雑誌」に連載中のブックレビュー「乙女の読書道」を中心に、「週刊プレイボーイ」で連載したコラムや読書日記を収録。巻末には父である池澤夏樹氏との父・娘対談も! 「私にとって読書は世界そのもの」と本への愛情がたっぷり詰まった1冊。


真四角のコンパクトな本で、書店でみかけたときには「これは縮刷版で、大きい判型のものがあるのか?」と思ってしまいました。
手に持ってみると、ちょうど片手にすっぽりと収まるサイズなんですよね、これ。


本の雑誌』の池澤さんの連載、僕もずっと読んでいるのです。
ただ、池澤さんのレビューは面白いのだけれども、僕とは本の好みが違いすぎて、あまり本選びの参考にはならないなあ、というのが正直なところです。
むしろ、池澤春菜という無類の本好き(「書痴」とまで本人は仰っています)の生き様のほうが、僕にとっては興味深いのです。

 自他共に認める、重度の活字中毒。字が読めるようになった頃から、朝起きて読み、朝ご飯を食べながら読み、通学中に読み、授業中に読み、休み時間に読み、給食中に読み、下校中に読み、家で読み、夕ご飯を食べながら読み、お風呂で読み、寝る前に読み。朝に夕に小学校の図書館に通いつめ、だいたい毎日三〜五冊の本を読破していきました。もういい加減に寝なさいと部屋の伝記を消されても、お布団の中に懐中電灯を持ち込んで読み。母が小学校の先生に「うちの子は本を読みすぎるのですが、どうしたらいいのでしょうか」という質問を投げかけて、普段、読書を推奨している立場の先生を困惑させたことも。
 それほど読書に没頭できなくなった今でも、一日に1〜2冊、お休みの日ともなれば、傍らに本を積み上げて食事を取る間も惜しんで、活字の世界にひたすら没頭。ビブリオマニアというよりは、書痴。超の付く読書狂。
 やむを得ない状況以外では、タクシーには乗らず電車で移動します。だってタクシーだと本が読めないから。人とご飯を食べるのも好きだけど、一人で本を読みながら取るランチは格別です。誰もいない温泉に、本を持ち込んで、湯あたりで倒れたことがあります。
 持ち歩いている本の三分の一まで読んだら、もう不安。鞄の中に複数の本が入っていることは日常茶飯事。旅行に行く時は、たとえ一泊二日国内でもハードカバー一冊+文庫二冊は最低限。これが国外になると、荷物のほぼ半分は本。読む物がなければチラシでも、広告でも。辞書なんて、もう最高。

僕も「本好き」だと自分では思っていますし、旅行の際には、本を持っていかないと落ち着かないので気持ちはよくわかります。
「そんなの出先に書店なんていくらでもあるじゃない」って言われるんですけどねえ……無いと落ち着かないんですよ。
でも、さすがに給食中は読みませんでした(というか、周囲の視線を考えると……池澤さん、本当に「本を読むときには、周りが見えなくなるタイプなんだなあ)。


エーリッヒ・ケストナーさんの『五月三十五日』の紹介より。

 ふたりのロッテ、エーミールと探偵たち、点子ちゃんとアントン……傑作は数々あれど、私の一番は『五月三十五日』。
 算数の成績が良かったコンラート少年は、先生から「空想力に欠けているから、南洋をテーマに作品を書くように」と言われます。そこで、叔父のリンゲルフート、スケートを履いた馬のネグロ・カバロと共に、古いタンスに飛び込み、一路南洋へ。
 アスパラガス付きのオムレツを産み落とす鶏のいる、なまけものの国。大人は学校に行き子供は取引所に行く、さかさの国。電気自動車に携帯電話まで出てくる伝記の国。そして幅二メートルの鋼鉄の帯である赤道を渡って、到着した南洋で出会ったのは、黒と白の碁盤縞をしたペータージーリエ嬢。母がオランダ人、父は南洋の方、故に碁盤縞。陸生鯨に追いかけられています。で、この鯨はナイフに詰めた焼きたての焼き林檎で追い払われ……。


うーむ、これを読んで、「面白そう!」って思うならば、その人にとっては「有用なブックガイド」になるはずです。
池澤さんのホームグラウンドはSF、しかも海外翻訳もの、なんですよね。
「ノンフィクションと歴史物、日本の最近の小説」がホームグラウンドの僕にとっては、なかなか踏み込むのが困難な領域でもあり、このなかで紹介されていた本のなかで、既読だったのは2冊しかありませんでした。


でもまあ、池澤さんも「本好き」であるがゆえの苦労もあるみたいです。

「へ〜SFとか好きなんだ〜。なんかオススメあったら教えてよ」
 このSFの箇所は、映画やゲームや古代ギリシア語研究やウメエダシャク(蛾)の生態なんかに置き換え可。要するに、たいして興味は持っていないけれど相手がそんなに好きなことなら聞いてみなきゃ、という優しさに溢れた質問が一番どうしていいかわからない、ということなのです。
 いきなりグレッグ・イーガンアレステア・レナルズみたいなガチSFを薦めてはきっと引かれる。かといって『いさましいちびのトースター』というのも相手をバカにしているようだし、いやいやここはやっぱり『夏への扉』か……などとグルグルしているうちに、だいたい気まずい沈黙になって終了……あぁ。
 そんな時、このナンシー・クレスの『アードマン連結体』なら、何となくいける気がする。
 というのも、ナンシー・クレスはSFを描くのではなく、SFで描くから。目的ではなく、手段。あくまで日常的な世界、登場人物を描きつつ、背景や物語がSF的。これなら、何とか読み切って貰えるかも。


紹介されている本は、池澤さんの趣味全開なのですが、池澤さん自身には、そんな自分の「書痴」っぷりを客観的にみているところもあるんですよね。
だからといって、「他人に自慢するための読書」はしない。
ほんと、筋金入りだよなあ。


この本の巻末には、父・池澤夏樹さんとの対談も収録されています。
そのなかで、「書評」についても語っておられるんですよ。

池澤春菜書評のお仕事を始めてつくづく思うけど、本を読む力とそれを書評としてまとめる力って別物だね。


池澤夏樹書評はそこにもうひとつ芸がいるからね。


春菜:私は自分のことを本読みだとは思っているけれど、プロフェッショナルな本の推薦人としてはまだまだです。


夏樹:今は本当にたくさん本が出ているから、読者はいいガイドが欲しい。そこで、書評をする人間は「私はこういう趣味、こういう尺度で本を選んでいます」ということをはっきり書く。「私が読んだ本を読んで面白かったら、次も私が薦める本を手に取ってください」とね。そこで書評者と読者の間に信頼関係が生まれれば、レビュアーが存在意義を持つことになる。


春菜:要はセレクトショップみたいなものだね。目利きが選んだ品物がいろいろ置いてあって、それが自分の好みに合致しているお店。ふだん手を出せないものでも、「あの人が選んだものならチャレンジしてみよう」と思える。そうやってなじみのお客さんがつくのがセレクトショップだものね。


夏樹:そういう意味で書評は一種の人気商売。そこが僕は好きなんですよ。文学賞の選考委員の場合だと、自分が推す作品について「これはいい小説だ」って言わなきゃいけない。つまり一種の権威づけだよね。これはあまり楽しくない。でも書評だったら、「自分がこれが面白かった。よければどうぞ」って言い方ができる。芥川賞の選考委員は辞めても、週刊文春毎日新聞の書評を続けるのはそういう理由です。


池澤夏樹さんは「本当に書評したいと思う本は、献本と自分で買った本と両方合わせて、10冊に1冊くらいですよ」と仰っています。
たしかに、「本当に推したい本」って、そのくらいの割合かもしれませんね。
「書評は人気商売」というのも、よくわかります。
僕はよく、「どんなに頑張って本の感想を書いても、柴咲コウさんの『泣きながら読みました』にはかなわないんだよなあ」なんて拗ねてみるのですが、書評って、やっぱり「属人的」なものなんですよね。
だからこそ、無名の書評者でも(いや、無名だからこそ)書き続けることに意味があるし、本の感想を書き続けることは、自分自身を語り続けることでもあるのかな、と思うのです。


本好きの人にとっては、なんだかホッとする一冊ではないでしょうか。
「共感」か、「自分はまだここまで浮世離れはしていないな」いう「安心」なのかは、人それぞれなのでしょうけどね。