琥珀色の戯言

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【読書感想】「あぶさん」になった男 酒豪の強打者・永渕洋三伝 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
あぶさん」にはモデルがいた! 投げて、打って、走って、飲む。プロ野球がもっとも豪快で魅力的だった時代を駆け抜けた男・永渕洋三の型破りな伝説を追う、本格スポーツノンフィクション。


ビッグコミックオリジナル』に、41年間にわたって連載され、2014年2月に最終回を迎えた、水島新司先生のマンガ『あぶさん』。
この本は、そのモデルとなった野球選手、永渕洋三さんの伝記です。
佐賀県の進学校で活躍したものの、体が小さかったこともあり、プロからは声がかからず、社会人野球に進んだ永渕選手。
彼が酒の味を覚え、毎晩飲むようになったのは、西鉄の入団テストを受けに行った際に、「身体の小ささを理由に、最初から構想外として、まともに評価すらしてもらえなかったから」なのだそうです。
永渕さんは、168センチ、65キロと、昭和40年代のプロ野球選手としても小柄で、大型の選手を欲しがっていた西鉄側が「歯牙にもかけなかった」理由も、わからなくはないんですけどね。
やはり「大型選手」を獲得したい、というのは、当時に限らず、現在でもあるようですし。


そんな永渕選手なのですが、25歳のときに、当時は弱小球団だった近鉄の入団テストを受け、ドラフト2位で近鉄に入団します。
その際に「社会人時代に溜まった自分や仲間の飲み代を契約金で払った」ことが話題となりました。
プロ野球に入ったあとも、永渕選手と酒は、切っても切れない関係となっていきます。

 前日も日本酒1升を飲み、永渕の体には震えが残っていた。東映の捕手種茂雅之は呟いた。
「こいつ酒臭えじゃねえか。二日酔いで打席立つなよ」
 マウンドには下手投げの石川緑がいた。すでにプロ15年目のベテランだ。彼も永渕の姿を見て思った。
「この新人、ビビって震えてんじゃねえか」
 石川のところまで酒の臭いは届かない。こんな新人に打たれては男がすたるとも思った。早いうちに潰して、プロの厳しさを嫌というほど教えてやるに限る。ところが、打席に立つと永渕の震えはぴたりと止まった。投手を睨みつける形相はもはや二日酔いの顔ではない。鷹が獲物を狙う目だ。石川は永渕の目が据わっていることに、恐怖を覚えた。
 胸元いっぱいに速球を投げて、脅してやろうと思ったが、無意識に球が高めに浮いた。その初球を永渕は見逃さなかった。腰を十分に回して思い切りスイングすると、打球はライナーで一直線にライト前へ飛び込んだ。ライナーは彼特有の軌道である。永渕は表情も変えずに、ゆっくりダイヤモンドを回る。


本当に「マンガみたいなエピソード」ですよね。
この代打の打席後、永渕選手はピッチャーとしてマウンドに上がります。
さらにそのあと、野手として外野も守ったのです。


永渕選手が、実際にこの「二刀流」をやっていたのはルーキーイヤーの前半戦だけで、その後は野手専業になったのですけどね。
左投手だったので、左バッター相手にはまずまず抑えられたらしいのですが、右バッターには相性が悪く、一度先発した際も長い回は持たなかったということで、首脳陣も打撃センスを活かして起用していく方針となったようです。


二刀流というのは、永渕選手が新人だった年、昭和43(1968)年でも、かなり珍しく、話題になったそうです。
ちなみに、入団以来「二刀流」に取り組んでいる日本ハム大谷翔平投手について、永渕さんはこう仰っていました。

「そら絞らんといかんですよ。中途半端になりますよ。両方は無理ですよ」
 では大谷はどちらに適性があるのか。
「いやどっちとも言えん。どっちもいい。ピッチングもいい球投げてますよ。彼、身長が190以上あるでしょう。あれは有利ですよ。ピッチャーは背が大きいちゅうのは絶対条件。バッターからすれば、もう威圧感があって、目の前から投げてる感じですよ。角度もあるし、僕だったら打てないですよ」
 さらに同じ二刀流として、永渕と大谷との違いを聞いた。
「僕はワンポイントだったから良かったんですよ。10球も投げればすぐに肩が温まる。でも大谷は違いますよ。彼は先発型のピッチャーだから、10球ではマウンドで投げられません。何十球も投げないと肩ができない。だからいきなりワンポイントはできないと思いますね」
 とくに永渕が懸念するのは、気持ちの問題である。投手として打たれたら、打席でも自信を無くすかもしれない。とくに大谷は先発投手だから、なおさら投球内容が打撃にも影響するのではないか。深刻に考えれば考えるほど、投手、打者の双方にいらぬ心配を及ぼす。永渕はもともと投手としての限界を知っていたから、深刻に考えなかった。
「両方とも中途半端にならないか心配ですね。プロは甘い世界じゃないから。どちらも才能があるだけにねえ……」
 と大谷を慮った。


「どちらも才能があるだけにねえ……」というのは、まさに、大谷投手にとって最大の「悩ましいところ」なのかもしれません。
 どちらかを選ぶということは、どちらかを捨てるということでもありますし。
 投手としてもそこそこの成績だった永渕さんが、シーズン途中であっさり投手へのこだわりを捨てられたほうが、もしかしたら「異常」だとも考えられます。
 この本を読んでいくと、永渕選手の「物事、とくに過去へのこだわりのなさ」「後悔している姿を他人に見せない姿」に清々しさを感じずにはいられません。
 永渕さんは現在、佐賀市で焼き鳥屋をやっておられるのですが、その店にはプロ野球時代を思い出させるものは全く置かれておらず、自分から選手時代のことを語ることもないそうです(お客さんから尋ねられたら、話し相手にはなる程度、と著者は書いています)。


 これを読んでいると、当時のパリーグの人間模様もまた、興味深いものがあるのです。
 とくに、永渕さんを見出した、三原脩という監督の「底知れない感じ」が僕には印象的でした。

 永渕は三原と飲んだことは一度もない。道路で会って挨拶しても三原は知らんぷりをしている。グラウンドだけの付き合いである。だがそのほうがやりやすかったと語っている。一度、新人の年のキャンプで、三原が食事に誘ってくれた。外野手の山田勝国と一緒にである。だが席上では三原はじっと2人を見ているだけで、何もしゃべらなかった。
「このオッサン何のために我々を呼んだのか。何を考えているのだろう」
 2人は首を傾げて、しまいには怖くなった。
 三原は微笑しているときが機嫌の悪いときだという。あるとき捕手の児玉弘義とキャッチングについて話していた。微笑を浮かべている。こういうときの三原には用心してかかったほうがいい。案の定途中で怒り出して、児玉はえらい目に遭ったという。マネージャーは耳打ちしてくれた。
「機嫌のいいときはかえって怖いぞ」
 永渕は言う。
「ちょっとふつうじゃないですよ。得体の知れない人ですよ。人間性も読めないし、だからかえって怖い。でもね、魅力がありましたよ」


 「ふつうじゃない」のは永渕選手もだとは思うのですが、「選手を使いこなして、弱いといわれたチームで結果を残す『三原マジック』」は、こういう人によって生み出されていたのです。
 

 永渕に言えるのは、天性とも言えるべき勝負強さを持っていた点である。佐賀高校野球部の後輩、松瀬貢規は言う。
「やっぱり雰囲気としては天才肌という感じですね。サムライ、古武士、宮本武蔵じゃないけど、とにかく修行して自分の境地を開いて、パッと引退するというタイプですね」
 打撃に関する永渕の逸話がある。記者が少年野球の指導をしないのかと尋ねたときのことだ。即座に彼は答えた。
「今でもバッティングがわからない。わからないのに教えることはできない」


これは謙遜だったのか、それとも本当に「天性のもので野球をやっていた」のか。
それにしても、25歳から37歳まで現役を続け、首位打者にも輝きながら、引退後は1年間スカウトをやっただけで、野球界から去ってしまうというのは、異様なまでの潔さを感じてしまうのです。
多くの野球人が、引退後も野球に関わりつづけたいと願っていることを考えると、永渕さんは、もしかしたら、本当に「わからない」と思っていたのかな、という気もするのです。
そして、「わかっているふり」をしようともしなかった。


昭和54(1979)年に、永渕さんは現役を引退します。

「酒を飲んだことも、野球を続けてきたのも、これっぽっちも悔いはない。酒量が落ちたときに成績も落ちたよ」
 プロ生活12年、1150試合出場し、962安打、109本塁打、409打点、盗塁134、打率、278だった。30歳までやれればと入団したが、37歳までプレーできた。
 記者から「酒を飲んでいなかったらもっとやれたのではないか」と問われたことがある。「いや酒を辞めていたらここまでやれたわけがない。酒を飲みたい一心でやってきたから」
 ときっぱりと答えた。
 それに、と付け加えた。
「もう凡打ばかりすると、俺に飲まれる酒が可哀想だよ」
 悔いがあるとすれば、一度も優勝経験がないことだった。かつて日生球場では、代打永渕がアナウンスされると、太田幸司にも負けない歓声があったのも当時の語り草であった。
「でもこの体で12年間も好きな野球で飯を食えたんだからね。そういう意味では野球をやった人から見たら羨ましいでしょう。やった本人は苦しかったけどね」


僕も「毎晩一升も飲んでいてこの成績なのだから、飲まないで練習したり、体調管理を厳しく行って、素面で試合に出ていれば、とんでもなく凄い成績を残していたんじゃないか」と思いながら読んでいたんですよ。
でも、永渕選手は、「酒があったからこそ」こうして選手生活を全うできたと語っており、むしろ、「酒への感謝」まで述べておられます。
現在70歳を過ぎても、奥様と一緒に店を切り盛りされており、こんなに酒を飲み続けていても、元気な人は元気なんだなあ、と感心してしまうくらいです。
(もっとも、体を壊されて、ここ数年は酒量を意識的に減らしておられるとのことですが)
こういう選手に「酒さえ飲まなければ」なんていう仮定は、「無意味」なんでしょうね。


この本の著者による「あとがき」のタイトルは「昭和のパ・リーグへの憧憬」となっています。
あの頃は、ガラガラのスタンドに囲まれて、永渕さんのような「豪傑」たちが、「結果を出すことがすべて」のプロフェッショナルの世界を作り上げていたのです。
僕にとっても、日本シリーズやオールスター戦、そして、『プロ野球ニュース』で断片的にしか、パリーグの選手を見ることができない時代でした。
いまや、パリーグにもソフトバンクのような、セリーグからFAで選手が移籍していくような人気チームがありますし、パリーグの試合のスタンドも賑わっています。
その一方で、永渕さんのような「豪傑」の居場所が手狭になっているのもまた、事実なのでしょう。
それは、プロ野球がスポーツとして進化していく上での必然でもあるのです。


僕も、あの頃の野球が、ものすごく懐かしくなるときって、あるんですよね。
当時はカープがものすごく強かった、っていうのも含めて、なんですけど。