琥珀色の戯言

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【読書感想】アデナウアー - 現代ドイツを創った政治家 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
第2次世界大戦の敗北により、人心・国土とも荒廃したドイツ。その復興を担ったのが、73歳で首相に就任、14年間その座にあったアデナウアーである。戦前、ケルン市長として活躍した彼だが、ナチに迫害され引退。戦後、保守政党を率い、「復古」「反動」のレッテルを貼られながらも、常に自国のナショナリズムを懐疑し、米仏などとの「西側結合」に邁進、ユダヤ人との「和解」にも挑んだ。「国父」と呼ばれる保守政治家の生涯。


「アデナウアー」を、知っていますか?
率直なところ、僕も「『アフターバーナー』みたいな名前の有名なドイツの政治家」というくらいしか知らなくて、書店でこの本を見かけて「はじめに」を読んでみたのです。

 20世紀ドイツを代表する歴史ジャーナリストで、いまでもそのドイツ近現代史論が世界各国で高い人気を博しているセバスチャン・ハフナー(1907〜99)は、ヒトラーを徹底的に破壊者として描く一方(邦訳『ヒトラーとは何か』)、アデナウアーを「奇跡の老人」として褒めちぎっている(邦訳『ドイツ現代史の正しい見方』)。もちろん、こうした単純なイメージを排して対象に向き合うことが重要なのだが、ここで確認しておきたいのは、この二人こそ、激動の20世紀ドイツ史を象徴する政治家と見なされてきたということである。
 とはいえ、悪名高きヒトラーに比して、アデナウアーは日本では知名度が低い。ここで簡単に経歴を紹介すると、アデナウアーは、成立まもないドイツ帝国第二帝政)に生まれ、第一次世界大戦中にケルン市長に就任し、ヴァイマル共和国の全期にわたってこのプロイセン第二の都市の首長として活躍した。そして、ナチ体制による迫害を経験したのち、連合国の占領下でキリスト教民主同盟(CDU)の指導者となり、冷戦のなかで成立した西ドイツの初代首相にまで登りつめ、以後その座を1963年(87歳!)まで守り続けた人物である。


 日本では、そんなに知名度が高くないアデナウアー元首相なのですが、ドイツでは、ずっと敬愛され続けているそうです。

 アレンスバッハ研究所という有名なドイツの世論調査期間が、1950年から93年まで「最もドイツに貢献した偉大なドイツ人は誰だと思うか?」というアンケートをとっていた。そこでアデナウアーは、首相在任10年目にあたる1958年以来、一貫して1位だった(それ以前の1位はビスマルクだった)。

 こうした評価は、東西統一後も揺らいでいない。21世紀を迎えた後、ドイツ第二テレビ(ZDF)の「わたしたちのベスト(Unsere Besten)」という視聴者参加型ランキング番組の第一回放送(2003年11月28日)で、「最も偉大なドイツ人の順位を決めようとしたことがあった。これは、放送の約3ヵ月前から郵便やインターネットなどで約182万人にアンケートをとった大掛かりな催しである。
 結果、マルティン・ルターカール・マルクスを退け、1位はアデナウアーであった。政治家では他に、東方政策を推進した西独首相ヴィリー・ブラント(1913〜92、在任1969〜74)が5位、ビスマルクが9位につけている。


 ドイツでは、こんなに高く評価されている人なんですね、アデナウアーさんって。
 マルティン・ルターカール・マルクスといえば、「世界史の教科書にも必ず出てくる人」ですから、そんな「歴史上の人物」以上の評価を「第二次世界大戦後の首相」が受けているというのは、ちょっと不思議な気がします。
 政治家の評価なんて、時代によってかなり変わってくるものでしょうし。


 アデナウアーは、第二次世界大戦前からドイツ第二の都市ケルンの市長として若くして辣腕をふるっていました。
 そして、ナチスに迎合しなかったために生命の危機にも晒されながらも生き延び、戦後ドイツの難しい舵取りをこなし、見事に復興を成し遂げたのです。
 ただ、アデナウアーは「理想主義者」ではなくて、「共産主義への脅威」に対して、西側と強く結びつくことによって対抗した、きわめて現実的な政治家だったようです。
 アメリカと連携しつつ、ドイツの経済的発展と国際社会での地位向上を果たしていき、ユダヤ人の国であるイスラエルとも交渉を行いました。
 もし、第二次世界大戦後、(西)ドイツがソ連と親交を深めたり、東西両陣営に対して「中立」を守ることにこだわったりしたら、第二次世界大戦後の世界は、全く違ったものになったはずです。
 現在から振り返ってみると、西ドイツは「当然の選択をした」と考えてしまいがちなのですが、第二次世界大戦直後は「どちらに転ぶか、わからない状況」だったのです。

 では、アデナウアーの何が評価されているのだろうか。先の三種の世論調査からはその理由まではわからないが、前述のように、アデナウアーという名前が「建国」や「復興」「繁栄」というイメージに結びついているからだろう。当初は敗戦国として主権も奪われていた西ドイツは、アデナウアーの首相在任中に、「経済の奇跡」を起こし、「繁栄」を享受するまでにいたり、さらに国際社会にも復帰することができた。アデナウアーが首相を辞任して二ヵ月経った1963年12月に、アレンスバッハ研究所が「この100年でドイツにとって最良であったのはいつの時代か?」というアンケートをとったとき、実に回答者の3分の2が「現在」と答えられるようになったのである。
 このようにアデナウアーは、ドイツ連邦共和国を西側世界に結びつけることで国際社会に復帰させつつ、経済成長を成し遂げた初代首相として記憶されている。きわめて乱暴に言えば、戦後日本における吉田茂鳩山一郎岸信介池田勇人らの役回りをすべて担ったような存在なのである。しかし、こうしたイメージは概ね誤ってはいないものの、もちろん歴史的実像はより複雑である。たとえば、西ドイツの経済成長をアデナウアーの業績とするかについては議論がある。実に、何をもってアデナウアーの貢献とするかには、ドイツの学界でも喧しい論争が続けられている。


 アデナウアー元首相は、ドイツにとっての「復興と繁栄の象徴」なのですね。
 しかし、これを読んでいると、「結局のところ、民衆にとっては、イデオロギー云々よりも、平和で、経済的に豊かな時代を築いてくれれば、それが『良い政治』なのかもしれないな」とも思えてきます。


 政治家・アデナウアーのケルン市長時代について、こんな話が紹介されています。

 側近を努めていた義弟ズートは、市長アデナウアーの手法の特徴を二つ挙げている。
 第一は、懸案事項について徹底的に調べ上げ、議論に備えることである。つねに彼は資料をたくさん携え、時には数人の専門家を従えて会議に臨んだ。
 第二は、相手に最後まで話をさせることである。相手方が意見を出し尽くすまで自分は黙っている。そして最後に、会議をまとめるかのようにして、自分の意見を押し通すのである。政治で成功する秘訣は「最後まで座っていられること」というのがアデナウアーの持論であった。


 ナチスの迫害を受けてもなんとか生き延び、1949年から、87歳になる63年まで、14年間も首相の地位を守り続けたアデナウアーは、「最後まで座り続けた人」であったように思われます。
 周到な準備・根回しと、粘り強さ。
 著者によると、アデナウアーはけっして清廉な政治家ではなく、必要と判断すれば、利権のバラマキのようなこともやったそうです。
 権力の座からも、なかなか降りようとしませんでした。


 著者は、14年間も首相として難しい時期のドイツを牽引したアデナウアーについて、こう述べています。
 

 アデナウアー政治のもう一つの意味は、ドイツ連邦共和国に民主主義を定着させたことである。この点に関するアデナウアー個人の重要性は、外交における西側選択と比べると、かなり限定的であり、逆説的ですらある。


(中略)


 本書で見てきたように、彼は独善的な人物であり、ケルン市長時代から、自分が正しいと思った政策は、周囲が止めようとも構わず進めた。また、猜疑心が強く、多くの閣僚や自党議員も信じなかった。
 そして、何より西ドイツ国民の政治能力を信用していなかった。アデナウアーは、しばしば西側諸国との交渉にあたって、「わたしがいなくなったらドイツはどうなることやら、わたしにもわかりません」と漏らしていた。これはもちろん、自分の価値を高めるための脅しの意味合いが強いが、半ば本気でもあっただろう。
 逆説的ではあるが、国民をあまり信用しなかったアデナウアーは、14年にわたる権威主義的な政治指導を通じて、基本法秩序を安定させ、結果的に西ドイツに自由民主義体制を定着させた。
 こうしたアデナウアーの「宰相民主主義」は、西ドイツ国民の民主主義に負の遺産も残した。秩序の安定と経済の復興を最優先したアデナウアーの統治のもと、多くの西ドイツ国民は政治に積極的に関わらず、政策の果実のみを享受したからだ。アデナウアー時代は「おまかせ民主主義」の典型例であり、政治学の世界では、西ドイツ国民は、ナチ時代と同様に政治指導者に従順な「臣民」のままであると診断されたりもした。


 この話を読んで、僕はある都市と人物のことを思い出してしまったんですよ。
 それは、アテネペリクレス
 ちょうどいま、塩野七生著『ローマ人の物語』をKindleで読み返しているのですが、そのなかで、民主制アテネの指導者として、30年以上も「君臨」した、ペリクレスの話が出てきます。
「独裁的な指向を持つ政治家」が「民主制の黄金時代」をつくりあげたというのは、歴史の面白さではありますね。
「おまかせ民主主義」って、要するに「形だけの民主主義」ってことなんだよなあ。


 世界史の授業などで、時間がなくて駆け足で終わってしまうことが多い「現代史」は、けっこう「盲点」になりやすいのです。
 「遊び」の部分は少ない新書ですが、「ドイツ人が選んだ、最も偉大なドイツ人の業績」くらいは、知っておいて損はしないと思いますよ。

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