琥珀色の戯言

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【読書感想】満願 ☆☆☆☆


満願

満願

内容紹介
人生を賭けた激しい願いが、6つの謎を呼び起こす。期待の若手が放つミステリの至芸! 人を殺め、静かに刑期を終えた妻の本当の動機とは――。驚愕の結末で唸らせる表題作はじめ、交番勤務の警官や在外ビジネスマン、フリーライターなど、切実に生きる人々が遭遇する6つの奇妙な事件。入念に磨き上げられた流麗な文章と精緻なロジック。「日常の謎」の名手が描く、王道的ミステリの新たな傑作誕生!


いちおう「ミステリ」のカテゴリーに入れられてしまう短編集なのでしょうけど、謎解きとかトリックというような面よりも、米澤さんの「人間描写」に唸らされました。
僕がこれまで読んできた米澤穂信さんという作家は、「古典部シリーズ」や『インシテミル』のような、「血の臭いがしない、ロジックで組み立てられたパズルのようなミステリ」と、『さよなら妖精』『追想五断章』のような「人間、あるいは米澤さんの書きたいテーマを描くための装飾としてのミステリ」という、両極端な系統の作品を書いてきた人、だったんですよね。
もちろん、古典部シリーズにも「人間関係」について、キリキリしてしまうような場面がありますし、『ボトルネック』『リカーシブル』のように、「謎解きの面白さ」と「人間を書くこと」を融合させようとした作品もありますが。


僕は、「ドロドロとした人間関係を延々と書くのではなく、論理をパズルのように組み立てて、謎解きをしていく米澤作品」のほうに、ずっと魅力を感じていました。
だって、「ドロドロとした人間」を描こうとする人は、たくさんいますから。
逆に「まるでゲームみたいな、無機質で読んでいて罪悪感をおぼえないようなミステリ」を書ける人って、そんなにいません。


この『満願』は、「謎解き」よりも、「なぜ、人間は罪を犯すのか?」という疑問に、深く忍び込んでいったような作品ばかりなのです。
人は、必ずしも悪意に基づいて、罪を犯すわけではない。
というか、大部分のミステリで重視されている「動機」なんていうのは、実際にその事件を起こした当事者にとっては、そんなにクリアカットに言葉にできるようなものではないのかもしれません。
でも、「太陽が黄色かったから、人を殺した」では、文学作品にはなっても、ミステリにはならない……はずでした。
『満願』は、その「ミステリを成り立たせるためのお約束」を、あえて踏み越えようとしています。
それは、うまくいっている場合もあれば、「それはちょっとムリがあるのでは……」と思うものもあるのです。
それでも、この短編集を読むと、これまで「論理で解決してみせるミステリ」を書きつづけてきた米澤さんが、「そもそも、人間って、そんなに『割り切れる』ものなのか?」という、自分のなかから湧き上がってくる疑問に対して、書き手として誠実に答えようとしているのが、すごく伝わってくるんですよね。


『死人宿』より。

 私は二年前、佐和子が上司との折り合いに苦しんでいるのを目の当たりにしながら、常識で考えて耐えるべきだと言った。常識で考えてそんな酷い嫌がらせをする社会人がいるわけはないのだから、佐和子がつらさを訴えてもそれは甘えなのだと退けた。
 後に、それが間違いだったと身に染みてわかった。そのはずだった。
 だがいま私は佐和子に向かい、「常識で考えて、この人は本当に苦しんでいない」と言ったも同然だ。自分の当て推量が何もかも無茶苦茶な、筋の通らないものだったとは思わない。遺書も脱衣籠に忘れるなんて、普通では考えられない。
 だが、「普通でないこと」は「起こりえないこと」ではないのだと、私は学んだのではなかったか?
 どんなことでも可能性はあり得るのだ。その全てを取り上げていては杞憂に陥る。合理的に考えてほとんどありそうもないことは、無視しなければ道も歩けない。だが、私は佐和子にさっきこう言ってしまった。……合理性より優しさが大事な時もある。

 そして私は結論づける。気づいたことの全てに意味が無い、と。
 躑躅(つつじ)の間が絶えず葉擦れに満ちていても、そこにいる女が「静か」と書かないとは限らない。この遺書を書いた前後は風が止み、本当に静かだったのかもしれない。また「静か」というのは都会の喧噪に比べての話であり、多少の自然音など耳に入っていないのかもしれない。そもそも「煩わしい人間関係から逃れて心が静か」という心象風景に過ぎないのかもしれない。
 鞄についてはもっと頼りない。私は框(かまち)の手前に正座した佐和子の後ろから、ほんの十数秒だけそれぞれの部屋を見たに過ぎない。躑躅の間で鞄を見なかったからと言って、その部屋の客が鞄を持ってこなかったなどと言えるだろうか。鞄は死角にあったのかもしれない。押し入れに入れてあったのかもしれない。全く当てにならない話だ。


 しかし、こんなふうにすべてに対して懐疑的になってしまってばかりでは「ミステリ」にはならないわけで。
「何かについて書く」というのは「ある程度、決めつけてしまう」ということでもあります。
 でもさ、本当は、人間が考えこと、やることなんて、すごく曖昧なんですよね。


「ミステリ」というよりは、酒場で偶然出会った人が語る「誰かの経験談」のような、短編が6篇。
 僕が好きだったのは、『夜警』『死人宿』でした。

 

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