琥珀色の戯言

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【読書感想】マネる技術 ☆☆☆


マネる技術 (講談社+α新書)

マネる技術 (講談社+α新書)


Kindle版もあります。

マネる技術 (講談社+α新書)

マネる技術 (講談社+α新書)

内容紹介
ものまね四天王」として一世を風靡したコロッケさん。その卓越したものまねは、もはや真似ではなく、オリジナルパフォーマンス芸の域に達し、いまでは海外からも認められる世界的なエンターテイナーとしての地位を確立しています。中でも、人体工学、機械工学の研究者もうならせるロボットパフォーマンス、顔の表情と声を異なる人物で演じるパフォーマンスは圧巻の至芸。止まることなく進化を続ける「レジェンド」です。
本書では、そんなコロッケさんが、自身の真似て、表現して、独自の創造を行うまでの秘密、また、常に第一線で居続けるための秘訣を初めて開陳します。
働く人から学生まで、先人の知恵、情報、技術を真似て、学んで、自分なりのスタイルを確立していきます。その「守破離」のプロセスは、コロッケさんが日々突き詰めてきたこととまったく同じ。一流の表現者の創造の秘密を知る面白さと、自分自身に生かす知恵が融合する、楽しく読めてためになる1冊です。


ものまね界の大御所、コロッケさん。
この本を読みながら、「そういえば、『お笑いスター誕生』の頃、まだ売り出し中だったコロッケさんを、僕は学生時代に観ていたんだなあ」と思い出してしまいました。
「ものまね」をやる人はたくさんいるけれど、コロッケさんは、本当に息の長い活躍をされています。
最初に「ネタ」として観たときには「すごく面白いんだけど、なんだか誰の真似なんだか、わからなくなってる……これは一発芸みたいなもんだよなあ」と感じた記憶があります。
タモリさんに対しても、同じように「これはなんだか面白いような気がするけれど、よくわかんないなあ」とか思っていたので、僕の芸を見る目がない、ということなのかもしれませんが。


コロッケさんは、自らのものまねの「コツ」について、こんなふうに語っておられます。

 第一印象で安易に相手を判断してしまうと、その人の「本質」を見極められなくなる気がしてならないのです。だから私自身は、第一印象では何も決めないし、決め付けないことにしています。とにかく、常にフラットな心持ちで接することを心がけているんです。
 どんな人でも、性格や思考はそれぞれ実に興味深いものですし、多面性を備えてもいます。だから、ある一面だけを見てその人を言い当てるなんて不可能! むしろ、あえて決め付けずに観察し続けることが、相手の本質を読み解くうえでは大切、というのが私の考えなのです。
 だから私は、第一印象で決め付けることなく、ひたすら「観る」ことから始めます。とりわけ、その人の「仕草」に注目します。たとえば首をかしげる、眼鏡を指で上げるといった小さな仕草のひとつひとつに注目して、ディテールを積み上げていきます。そうしてその断片を集めた集合体こそ、その人の総体だと捉えるようにしているのです。


「対象全体を理解しようとする」のではなくて、小さな仕草のような「ディテール」を積み上げることによって、「総体」らしきものが見えてくるのだそうです。
 ものまねにおける「その人らしさ」というのは、むしろ、ディテールに宿っている。

 自分なりに相手の特徴を組み立てた後でも、「Aさんはこういう人!」と決め付けることはしません。相手を見て気になった些細な仕草を元に、自分なりのイメージを膨らませていくことが大切だと思っているからです。
 それには理由があります。
 対象とする人を四六時中観察し、同じ曲を何百回と聴いて完璧にマスターしたところで面白いものまね芸になるとは限らないし、相手の人格を見極めたからといって、ものまねが似るわけでもありません。
 むしろ、固定観念に縛られずに、その人の些細な仕草や言葉遣いの面白さに注目することのほうがはるかに重要です。ディテールにこそ、その人の特徴がより端的に表れていることが多いからです。
 変な先入観を持たない私の場合、見たまま、感じたままの相手の”大まかな雰囲気”を再現することができます。というより、先入観や固定観念がないために、感じ取ったものしか出せません。そこに、その人らしい具体的な癖やポイントをいくつか追加していくと、見た人に「似てる!」と言われるものまね芸になっていきます。
 ところが、わかった気になって決め付けたり、固定観念で相手を見てしまったりすると、相手をまねているつもりでも、実際には自分のなかにあるいくつかのパターンに当てはめるだけになってしまいます。そうして少しも相手の本質には迫れず、面白くもないものまねになってしまう。それで苦労しているものまね芸人をたくさん見てきました。


この「無意識のうちにわかったつもりになり、自分の中のパターンにあてはめてしまう」というのって、ものまね芸人だけが陥るものではないですよね。
世の中の「他人を見る目があるつもり」の人とか、「人間観察が趣味」なんていう人の多くは、実は「あの人は、以前会ったあの人みたいな感じ」と、「自分のなかの類型にあてはめて、わかったつもりになっている」ように思われるのです。
人間はそれぞれ違うはずなのだけれども、その「似ているようにみえるところ」を見ようとするか、「違い」に着目するかで、見えてくる相手の姿は変わってきます。
「周りに面白い人がいない」とか「みんな似たような没個性な連中ばかり」と考えている人は、一度、自分の見方が「パターン化」されていないか、見直してみると良いかもしれません。


また、「まねること」に対する気持ちの障壁についても言及されています。

 何かをまねる際には、まず、凝り固まった自分を捨てる作業が必須です。
 でも、これが意外と難しい。自分を捨てて、スポンジのように何でも吸収できるような状態になりたいのにそれができないとすれば、”邪念”があるのだと思います。
 私は、まねることにはある意味で潔さが必要だと考えています。言い換えれば、前にも述べた「勇気」です。
 たとえば飲み会の席で、ものまねが得意でない人に、「あれ? そこにいるのは田中邦衛さんじゃないですか?」と無茶振りしたとします。おそらく、その人はまねすることを拒絶するか、恥ずかしがって何もしないかのどちらかだと思います。似ていなくても、その場でさっとできる人とどこが違うのか。
 それはやはり、勇気があるかないか。似ているか似ていないかより、大事なのはやるかやらないか、できるかできないか、なのです。
 第一歩を踏み出す勇気さえ持てば、そのあとはスススッと五歩も六歩も前進できるもの。
 憧れている人のどこかひとつを、思い切ってまねてみる。
 毎日繰り返し、まねを重ねていくことで新たなる発見が生まれる。もしかすると、二ヵ月後には、その発見が10個になっているかもしれません。繰り返しまねすることで、まねには変化も生まれていきます。


この「勇気がないんでしょ?」に、反発したくなる気持ちは、僕にもあるんですよ。
でも、40年以上生きてきて、たしかに、こういうのって、「思い切ってやってしまえば、そんなに悪い結果にはならない」というのもわかってきました。

 私も、ものまねをするとき「恥ずかしいな……」と思うことがあります。基本的に”恥知らず”みたいに思われているコロッケですが(笑)、こう見えて、実はけっこうな恥ずかしがり屋なのです。
 逆説的な言い方ですが、現代は”恥ずかしがらないことができない”時代なんじゃないかとも思っています。
 失敗を恐れるばかりで、思い切って何かをすることができない。恥ずかしがらないことができない”若者たちは、とても不幸です。
 居酒屋で注文するときをイメージしてみましょうか。
 店内は賑やかで、手を振って呼んでも、店員さんはなかなか気づいてくれない。そんなとき、どうするか。
「すみませーん!」(できれば笑顔が好ましい)と大きな声で、周りの人も振り向くくらいのボリュームの声で呼ぶしかありません。そんな確実な方法がわかっているのに、大声を出すことができない。


飲食店に一人で入ったとき、なかなかオーダーを取りに来てもらえず、そういうときにもなかなか「すみませーん!」って言えずに、ずっとモジモジしてしまう僕にとっては、これはすごくよくわかる話で。
どうしたら良いか自分でもよくわかっているし、大声を出すことが物理的にできないわけでもないのに、なんだかすごくためらってしまう。
で、しびれをきらして声を出そうとすると、声が裏返ってしまってなんだか恥ずかしい、とかいう繰り返しです。
「恥ずかしがらないことができない時代」っていうのは、なんだかとても、いまの時代の雰囲気を言い表しているなあ、と。


コロッケさんは、自らの「芸」について、こんなふうに仰っています。

 ものまねを仕事にして、それで生計を立てているわたしは、「ものまねのプロ」です。けれど同時に、アマチュア精神を忘れずにいます。
「プロ意識に欠けているぞ」と言われたら、「すみません!」としか返せませんが、おそらくコロッケのものまねには、15パーセントくらいの「アマチュアリズム」が含まれている。また、そうでないといけない気がしています。
 完全な商業的プロフェッショナルもいいけれど、どこか学園祭めいた雰囲気だとか、学生演劇の手作り感とか、そういった要素を大切にしていきたい。私の場合は、子どものころ、あるいは高校生のころに飛び込んだスナックで、私のものまねを笑ってくれた普通の人々の自然な笑顔を忘れないでいたい。だからこそ、「子どものものまねの延長」のような表現を続け、また、それを楽しんでいるのかもしれません。


コロッケさんの「ものまね」って、あまりに飛躍しすぎていて、「これ、もう誰のものまねだか、わからなくなってるよ!」ってツッコミたくなることも多いんですよね。
でも、それが「個性」であり、「武器」になっているんだよなあ。


「芸」の話だけではなくて、いち社会人としてのふるまいについても、考えさせられる新書です。
コロッケさんの真面目さや他人への向き合い方には「こういう面がある人だったのか」と、驚かされました。
「ものまね」で30年以上やっているということは、それだけ、新しいネタを作りつづけているということですしね。