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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】ルポ 電王戦―人間 vs. コンピュータの真実 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
なぜプロ棋士は敗れたのか?


プロ将棋棋士とコンピュータが真剣勝負を繰り広げる電王戦シリーズ。今年おこなわれた第3回大会は、プロ棋士側の1勝4敗に終わった。かつてはルールすら守れなかったコンピュータは、いかにしてプロ棋士を凌駕したのか? そして、現役のトップ棋士たちはこの結果に何を思うのか――? コンピュータ将棋に精通する著者が、丹念な取材のもとに書き下ろす迫真のルポルタージュ


この新書、書店で見かけたときには、2014年に行われた「第3回電王戦」について書かれたものだと思い込んでいました。
購入して読んでみると、今回の電王戦のみならず、これまでの「コンピュータ将棋の歴史」について俯瞰したものだったのです。
それが悪いというわけじゃなくて、読みながら、「ああ、そうだよなあ。人間が作り上げてきた、コンピュータ将棋というものは、こうしてプロ棋士と互角以上に戦えるようになったのだから、一度『総括』されて然るべき時期なんだよなあ」と感慨深いものがありました。


この新書によると、コンピュータと将棋の縁のはじまりは、1967年でした。
まだ僕が生まれる前の話で、コンピュータ将棋には意外に長い歴史があることがわかります。
そのとき、日立の大型コンピュータが指したのは「詰将棋」。
ルールのなかで、ひとつの正解に向かって試行錯誤しながら収束していく詰将棋は、対局に比べると、コンピュータには処理しやすかったのです。
ちなみに、『週刊朝日』の誌上で、当時(1967年)「人間対コンピュータ」の詰将棋早解き勝負が行われていますが、「人間側からみて、49勝53敗」という結果でした。
人間側は、プロ棋士ではなくても、それなりに腕に覚えのある有識者たちが登場していますから、詰め将棋に関しては、50年前の時点で、かなりの実力があったと言えそうです。
現在、2014年でも「コンピュータは(とくに)終盤に強い」というのが定説となっており、人間側は、いかにして前半にリードをつくり、それを維持していくか、というのが「攻略法」なんですよね。
この新書を読んでいると、人間にとって「間違わない」というのは、かなり難しいことなのだなあ、と痛感します。


詰将棋には早い時期から実力を発揮していたコンピュータですが、対局となると、取った齣を使えるなど、圧倒的に自由度が高いため、なかなか人間とまともに戦えるレベルにはならなかったのです。

 1985年はコンピュータ将棋の歴史にとっては画期的な年となった。森田(和郎)がパソコン用のソフト「森田和郎の将棋」を開発し、発売したのだ。ルール通りに動くのはもちろんのこと、基本的な定跡も入っている。また、簡単な詰みであれば、詰ますこともできる。ただし、考慮時間はかなりかかる。アマ有段の実力者から見れば、まだまだ強いとは言いがたい。それでも多くの初心者にとっては(いつの時代もどんな分野でも、一番多いのは初心者である)楽しく遊べるレベルだった。本格的な将棋ソフトが自宅のパソコンで指せるようになったのは画期的なことだった。

ちなみにこの1985年には、セタからファミコンの『本将棋 内藤九段将棋秘伝』が発売されており、僕もそれを持っていました。
当時(というか今でも)初心者だった僕にとっては「なかなかやるじゃん」というくらいの実力でした。
相手を強くすると、思考時間がものすごくかかっていたんだよなあ、途中で眠くなってしまうくらいに。


ようやく「コンピュータと対局できるソフト」が登場してから、30年。
上級者にとっては「まあ、暇つぶしの相手にくらいはなるか」という存在だったコンピュータ将棋は、いまや、「人間のトップクラスと遜色ない強さ」になりました。


この新書を読んでいると、ある1本のコンピュータ将棋ソフトが、大きな「歴史を動かすきっかけ」となったことがわかります。

 2005年に起こった三つ目の重大事件。それは、コンピュータ将棋の歴史を変えるものだった。コンピュータ将棋界のブレイクスルーは、その本流とはかけ離れたところから、ある日、突然やってきた。
 2005年6月、広大なネット空間の片隅に、
Bonanza-The Computer Shogi Program」
 という名の、テキストだけの簡素なページが、ひっそりと立ち上がった。
Bonanzaはコンピュータ将棋プログラムです。本将棋を指すことができます」
 と説明書きもきわめてシンプルだ。わずか2.5メガという軽い容量のソフトが置かれていて、誰でもフリーでダウンロードできて、すぐに遊べる。そして強い。あきれるほどに強い。
 噂はネットを通じて、あっという間に将棋フリークの間に広まっていった。当然私もすぐにダウンロードして指してみた。指してみると、勝てない。強い上に、人間とはもちろん、これまでのソフトと比べて、指し手の感触がどこか違う。何度か指してみて、理解した。これはおそろしいソフトが現れたのだと。


この、保木邦仁さんが開発した『Bonanza』と、保木さんの思想が、コンピュータ将棋を大きく進化させたのです。

 人間であるか、コンピュータであるかにかかわらず、将棋は読みと大局観が二本の柱である。
 Bonanzaは、読みに関しては「全幅検索」、大局観、すなわち形勢判断を評価値として数値化する評価関数については「機械学習」という点に特徴がある。
 まず読みについて考えてみよう。将棋の読みは「広く深く」が理想である。しかし人間にも、そしてもちろんコンピュータにも、能力に限界がある。では広さと深さ、どちらを優先すべきであろうか。
 わかりやすく言うと、Bonanzaが採用した全幅検索は「広く浅く」、かつて多くのソフトが採用していた選択的探索は「狭く深く」が基本となる。

「なぜ開発者の棋力が初心者レベルだというのに、これほどにまで強いプログラムを作れるのか?」
 将棋関係者の誰もが思ったその疑問の答えは、コンピュータチェスの手法を参考にした機械学習にある。
 これまでは人間が「駒の相場」や「玉の安全度」などの評価項目の基準を、人間の頭で考えて、コンピュータに教えてきた。しかし機械学習では自動的に、コンピュータ自身に評価項目と、その基準を考えさせようというのだ。その教材は、人間の指し手を記録した棋譜である。Bonanzaは江戸時代からの数万局以上にも及ぶ棋譜を教材とした。手順を丸暗記しようというのではない。局面を解析して、人間が指しているいい形を学ぶのだ。
 そうしてBonanzaは自動的に学習を進めていき、保木が何も教えることもなく、自分で強くなっていった。
 この機械学習の手法は、2006年、保木自身の手によって発表された。以後は開発者の間では「Bonanzaメソッド」と呼ばれるようになる。このBonanzaメソッドこそが、コンピュータ将棋発展のためのブレイクスルーとなった。

 2009年1月、保木はBonanza最新版のソースコードを公開した。これも開発者たちにとっては、衝撃的なことだった。Bonanzaは以後、誰もが自由に改変して使っていいというのだから。


アマチュア棋士が組んだプログラムが、プロ棋士に勝つ。
僕は以前、「結局のところ、プログラムは、それを作った人以上に強くはなれないのではないか」と思い込んでいたのです。
ところが、現在の将棋ソフトは、自ら学んで、どんどん強くなっていく。
生みの親であるプログラマーが寝ている間も、「勉強」を続けて。
プロ棋士が書いた本を読んでいると、彼らもコンピュータ時代になって、過去の棋譜をデータベース化し、これまでの歴史上の棋士よりはるかに効率的に「研究」をしているのです。
つまり、現在の将棋界というのは、人間とコンピュータが似たようなことをやっている。
いくら棋士が天才ぞろいとはいっても、両者の「処理速度」には、圧倒的な差がある。
人間がコンピュータに勝てなくなってしまったのは「必然」のように思われます。


「手法や、ソースコードの公開」というのは、Bonanzaに、そして保木さんにとっては、何も実利はもたらさなかったはずです。
「敵に塩を送りまくる行為」だったのだから。
でも、これがコンピュータ将棋界全体にとっては、大きな進歩につながった。
何でもすぐ「コストパフォーマンス」とか「利益のために」という話になりがちな最近の世の中で、コンピュータ将棋というのは、「エンジニアたちの良心と矜持」が残っていた、数少ない領域だったのです。
それも「彼らが、お金のためにではなく、趣味としてやってきたからこそ」「人間に勝てるコンピュータ将棋をつくるという同じ目標を持つ仲間としてやってきたからこそ」でした。


コンピュータがこれだけ強くなってくると、新たな潮流も生まれてきます。

 電王トーナメントで異彩を放っていたのが、磯崎元洋が開発した「やねうら王」だった。磯崎はソフト同士が常日頃から連続で自動的に対局するサーバfloodgateで、強豪ソフト同士の対戦でも、意外とワンサイドゲームになっている棋譜が多いことに注目した。その中には、ソフトがはまりやすい進行が含まれている。それらを抽出して定跡化すれば、ソフトに対しての勝率は上がるのではないか。それがやねうら王が搭載している「やねうら定跡」のコンセプトだ。いわば、アンチコンピュータ戦略、「裏定跡」を専門とするコンピュータソフトが現れたわけだ。対人間ではなく、対ソフトという目的に限れば、なるほど合理的な考え方かもしれない。


「人間に勝つためのコンピュータ」から、「コンピュータに勝つためのコンピュータ」へ。
人間のプロ棋士どうしの対局でも、タイトル戦の前などは、相手の指し手や癖をキッチリ研究して臨むことが多いようです。
人間も、コンピュータに勝つために、コンピュータの癖を読む、プログラムの隙をつく、というのがいちばんの「攻略法」ではないかと認識されてきています。
そして、コンピュータもまた、コンピュータどうしの対局に勝つために「相手の癖を読む」ようになっているのです。
コンピュータ将棋が、ある意味、どんどん「人間的」になってきているんですよね。

「もし自分の息子がなれるのであれば、棋士は勧めたい職業でした。好きなことで生活ができ、自由で制約がない。でもこの先は、あまり人に勧められなくなるのかもしれません。自分は現在30歳です。棋士になり、将棋を職業として、ギリギリよかった、という最後の世代となってしまうのかもしれません」
 電王戦で棋士が二年連続でコンピュータに負け越したという現実を踏まえた上で、渡辺明は危機感を持って、そう語っていた。
 米長邦雄は第一回電王戦で自身がコンピュータに敗れた後、人間とコンピュータの関係を、「駅伝やマラソンと、車のような関係」と喩えた。人は、ランナーの汗に感動するものである、と。
 電王戦以前から将棋界では、コンピュータが次第に強くなるにつれ、「車と競走」の喩えが使われることが多くなってきた。実は、コンピュータの分野では将棋に先行するチェスでは、すでに1980年代半ばには、その喩えが使われている。おおよそ、
「人間は、人間が作った車と走る勝負をしても勝てない。しかし、人間同士の陸上競技の競走はなくならず、依然人々の感動を呼んでいる」
 という趣旨である。
 なるほど、言われてみればその通りである、と納得する人も多いだろう。その一方で、「いや、それとこれとは、ちょっと話が違うんじゃないか」と感じる人もいるだろう。


 将棋界が最近とくに盛り上がっているのは、なんといっても「人間対コンピュータ」というのが、多くの人の関心を呼んでいるおかげだと思うのです。
 もちろん、プロ棋士どうしの勝負も面白いのだけれども、いつか来るであろう(もう来てしまった、と言うべきなのかもしれませんが)「コンピュータが人間を超える歴史的な日」が、いつ訪れ、そして、そのときに人間はどうふるまうのか。
 それはまさに「歴史的な瞬間」なんですよね。
 もし、オセロやチェスのように「コンピュータのほうが強い」ことが当然になってしまえば、人間のチャンピオンに敬意は払いつつも、「でも、僕のパソコンで動くソフトよりも弱いんだよね」とか、つい頭をよぎってしまうはず。


 40代前半の羽生さんは、現役のうちにコンピュータ将棋と「真剣勝負」をするのだろうか?
 年齢的には、「勝負を避けようと思えば、なんとか避けたまま引退できる」。
 戦って勝ち、「人間の意地」を見せてもらいたい気持ちもあるし、羽生さんが負けてしまったら、「棋士という天才への幻想」が、陰ってしまう怖さもあります。
 ただ、渡辺明さんの世代となると、「もう逃げきれない」とは思うんですよね。
 あとは、誰が、いつ、どのようにして、『人間の王としての敗者』の役割を引き受けることになるのか。
 これからも、将棋というゲームが無くなってしまうことはないだろうけど、コンピュータ将棋選手権が、真の「名人戦」だと認められる時代は、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。