琥珀色の戯言

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【読書感想】開高健とオーパ!を歩く ☆☆☆


開高健とオーパ!を歩く

開高健とオーパ!を歩く


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開高健とオーパ!を歩く

開高健とオーパ!を歩く

内容紹介
1977年、後に開高健の代表作となる『オーパ!』の旅に同行し、33年後彼の地を再訪した担当編集者による、アマゾンと作家の思い出。


僕は開高さんの作品の熱心な読者ではないけれど、『オーパ!』での開高さんの素顔や、ああいう旅行での編集者の役割って、どんなものなんだろうな、という興味があって、この本を手にとりました。作者の菊池治男さんは、1977年の若手編集者時代に『オーパ!』の旅で訪問したアマゾンを再訪しつつ、昔の思い出や今のアマゾンの風景を書いておられます。
1989年に亡くなられた開高さんをはじめ、当時一緒に旅をした人たちの多くは、もう鬼籍に入ってしまい、菊池さんも食道がんの治療を受けて生き延びたものの、けっして体調は万全ではないようです。
それでも、いま、菊地さんは、あの『オーパ!』を生んだ旅を、いま、振り返らずにはいられなかった。


菊池さんの体調もあって、「現在のアマゾンの旅」に関しては、かなり断片的な記述となっており、あまり印象に残るものではありませんでした。
それでも、1977年の記憶を掘り起こすためには、この旅が不可欠なものではあったのでしょう。
いやむしろ、思い出される開高さんや『オーパ!』の旅の記録が、断片的であるからこそ、なんだか、菊池さんの思い出話を傍で聴いているような気分になるのかもしれません。
「整理されておらず、読みにくい」か「リアリティのある記憶」であるか、正直、読み手としては微妙なところではあるのですけど。

 しかし、初めて会った開高健に、わたしは文字どおり口がきけないほどシビレた。
 午後1時だというのに、小説家はすでに先客――たしか文芸誌「すばる」の編集長になりたての水城顕さん(のちの作家・石和鷹)――と赤ワインをぐいぐいやっていて、どんぶり鉢は浮いていた。
 岡田さんがわたしを紹介すると、小説家はちらっとこちらに目をやって、すぐまた水城さんとの話に戻っていった。声はどなっているみたいに大きく、「タハッ」とか「ウホッ」とか入る感嘆詞にも音圧があって、一度聞いたら忘れられない声。眼は少し釣り上がり気味で、鋭く、ときどきちらっとわたしのほうを見通してくる。しゃべり口調ははっきりとした関西弁なのに、そこになぜか中国語みたいな訛りがまじる。ビールはペイチュウだし、ワインはプータオチュウになっている。
 そのしゃべりの語彙の華麗さ、風通しの良さ、知的射程のスケール、描写の猥雑な美しさ。開高健の文章がそのまま、呵々大笑を何度もはさんで、テーブルの上に展開、発散していく。呆気にとられるしかなかった。酒宴が進むうちに、その鋭い視線が、笑うとなんとも言えない優しさを帯びるのに気がついた。

この「初対面のときの記憶」を読むだけで、開高健という人のエネルギッシュな姿が浮かんできます。
たしかに、魅力的な人だったんだなあ。
中国語みたいな訛りのくだりは、「タモリかよ!」って、ちょっと思ったりもしましたけど。


菊池さんは、こういう「有名人と知り合いだった人の本」によくあるような「自分と小説家(開高さん)との仲良しアピール」をほとんどしていません。
一緒に長い旅をしながらも、「馴れ合い」にならずに、良い作品をみんなが作ろうとしていたこと、そして、開高さんに「作家」「大人」としての敬意を払いながら接していたことが、すごく伝わってきます。


また、『オーパ!』の旅をともにした人たちのことも書かれており、とくに、このシリーズの写真を撮影したカメラマン・高橋磤(のぼる)さんのさまざまなエピソードには感慨深いものがありました。

 ブラジルの公衆電話は当時から、目を引く、独特の外観をしていた。電話ボックスのボックス部分が、電話をかける人間の頭から肩までの部分だけをおおう。丸いたまごの殻を斜めに切ったようなかたちをしている。醍醐さんがさらっと言う。「あだ名をヴィルジン(処女)っていうんですよ。わかるでしょ」。頭しか入らない、という意味らしかった。
「面白い、撮っとこうよ」とわたし。
「そんな説明的な写真は撮らない」と高橋カメラ。
 ベレンで本格的に開始されたこの旅の撮影は、たしかそんなやりとりから始まった。

「水平線にたった一本の木が生える。」
 とキャプションの付いた写真も、アマゾンの風景の典型の一つとして、小説家は見、書いた。アマゾンの広大さ、膨大さをどう捉え、どう表現したらいいか。
 アマゾン河の上に暮らし始めて数日経って、高橋さんは小説家からこう尋ねられたそうだ
「あれは撮ったか?」
 高橋さんは即座に答えた。「撮りました」。その写真がこの「水平線に木が一本」だった。その光景を見たときからかなり時間が経ってからの質問だったそうだ。
 このやりとりによって、このカメラマンのアマゾンを捉える眼が自分のそれと隔たっていないと、小説家は確認したのだろう。表現者同士の、一種の真剣での手合わせだったのかも知れない。
 高橋さんによると、その後、もう一度「撮ったか?」「撮りました」のやりとりがあったあと、二度と、その後の長い開高健との旅で、そう訊かれたことはなかったという。それはカメラマンとしての高橋さんの誇りだった。
 二度目のときは、水面に流れている何かの花の綿毛のようなものだったそうだ。「木」のときも「綿毛」のときも、どちらもわたしは同じ空間にいた。しかし、水平線に木が一本の奇景には目が留まったものの、綿毛には特に感銘を受けた覚えがなかった。開高健と高橋磤はアマゾンの上ですでにプロであり、自分はザルでアマチュアだったと思わずにはいられない。


オーパ!』は、写真がすごく印象的なのですが(この本にもモノクロで何点か収録されています)、開高さんと渡り合える「プロ中のプロのカメラマン」の力は大きかったんだなあ、とあらためて思い知らされました。
あたりまえのことなのですが、開高さんがどんなにすごい作家でも、ひとりだけの力で『オーパ!』の世界をつくりあげたわけではないのです。


この本のなかでは、『オーパ!』のタイトルの由来も紹介されています。

 小説家のものごとに対する面白がり方は面白く、大自然の提出する驚きと、余人には予想のできないかたちで共鳴していt。
「こういうアイディアがどんどん出るのは旅が豊かな証拠です。ところで、どや、何か思いついたか」
 何かというのは、この旅の総合タイトルのこと。この宿題はすでに数日前からみんなに向けて出されていて、当時のわたしのメモによると、
「ブラジルでもてる男の条件。一、黒(色が浅黒いこと)、二、マメ(女性にマメなこと)、三、アンタ(巨根のこと)」
 などというわたしの作った、いちばん受けた戯言――「開高メモ」にもこれが書きとめられていた――の横に、「水と泥の聖地」とか「甘い海(アマゾンの河の別名)からの報告」とか、考えたらしい跡がある。しかし、そんなことをもぞもぞ言っていると、小説家が満面の笑みを浮かべて、
「片仮名でオーパ! というのは、どや」
 一同、唸ってしまった。
 小説家の耳は、こんな音を捉えていたのか。現地の人が驚いたり感心したりするときに発する感嘆詞。原音は「オッパ!」「オパ!」に近いらしく、今回の旅で1.3キロの単行本を見本に一冊担いで旅をした――言葉が通じないところをずいぶんこの本と写真に救われた――が、ブラジル人に「変なタイトルの本ですね」と真顔で言われたこともある。
オーパ!」と伸ばしたところにタイトルとしての安定感もあるから、開高健の創作した日本語と言っていいのではないかとさえ思う。
 ――いま思えば、「目次立て」やタイトルの議論が旅の途上で行われたのは、このアマゾンの旅のときだけだった。


 開高さんの「言葉のセンス」や「ひらめき」のすごさが伝わってくるエピソードです。


 この本を読んでいると、『オーパ!』という作品は、プロフェッショナルたちによる、あの時代にしか生まれない「奇跡」みたいなものだったのかな、と思えてなりません。
 僕はかなり昔に一度読んだきりなのですが、もう一度、『オーパ』を読みなおしてみたくなりました。  


オーパ! (集英社文庫 122-A)

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