琥珀色の戯言

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【読書感想】ルポ 介護独身 ☆☆☆


ルポ 介護独身 (新潮新書)

ルポ 介護独身 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
自分のことだけを考えていれば良かった生活に、ある日突然、親の介護が立ちはだかる―。非婚・少子化と超高齢化が同時進行する中で、「介護独身」とでも呼ぶしかない人々が今、急激に増えている。他に家庭を持つきょうだいはあてにならず、「何でも一人」に慣れているが故に、介護も一人で抱え込んでしまう彼ら。孤立と無理解の中でもがく日々に、自身、介護問題に直面しているルポライターが向き合う。


タイトルに惹かれて購入し、読んでみました。
うーむ、まあなんというか、身の回りのことや、仕事で見聞きした話などから、「こんな感じなんだろうな」と思っていたことが、ほぼそのまま書かれている、という感じで、率直に言うと、あまり目新しいところもなく、読んでいると鬱々としてきて救いがないなあ、と。
その「救いのない現実」みたいなものを描こうとしているのだとは思うのですが、「そんなことわかってるんだから、わざわざ言わなくてもいいよ……」って気分にはなります。

 介護というのは、どのような形態をとっても、「日常」の枠外に足を踏み出していく。介護する側が夫婦であろうと独身者であろうと同じである。夫の親の介護がはじまった途端、夫婦喧嘩が絶えなくなったというのは、何もテレビドラマの話ばかりではない。
 ただ、独身者が親の介護に当たる場合のほうが、「悲」の色合いを濃厚に帯びている。夫婦による介護が家族間に摩擦を引き起こすパターンは有吉佐和子の『恍惚の人』以来さまざまな形で描かれている。そうした摩擦においては、少なくとも「夫婦喧嘩」というコミュニケーションが生じてくるのだ。しかし、独身者が介護に当たるときは、そうした他者との関わり方がかなり薄くなっている。あくまで「孤」である。先のような事件に関する報道を見ていると、その感を強くする。
 インターネットを覗いてみると、ここでも「惨」に至る一歩手前のエピソードが、さまざまなサイトからこぼれ落ちてくる。
 ある質問サイトでは《47歳男性》がこう書いていた。30代半ばから両親の介護をしている。父は半身マヒ、母は足腰が弱り、家事は彼一人が担っている。《毎朝午前4時半起床、仕事で遅くなると明け方近く就寝。この繰り返しで、12年間が過ぎていました》と嘆く。かつて結婚を考えた相手がいたものの、どうしても決断できず、別れてしまった。最近、不意に《私には「結婚」という二文字はないのかな》と、少し悲しくなることがある。もう、諦めるしかないのだろうかと、サイトを訪れる人たちに問いかけるのだ。
 また、10代から親の介護をはじめたという、かなり特異な体験の40歳女性は、こんなことを書いていた。これまでに男性と付き合った経験は何度かあるが、常に親の体調と照らし合わせるため、すれ違いや衝突が繰り返される。そして、いつしか距離が生まれ、いつも別れが訪れた。親の介護だけでなく経済的にも自分が背負って生活しているため、親と共に暮らすしか道はないと思える。とはいっても、親を恨む気持ちはない。親が生きているうちは、もう結婚はできないだろうと思っているが、親を看取った後、良きパートナーに出会えたら、そのときは残りの人生を一緒に歩いていきたい、と。


「親を看取った後」か……
2012年の日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳だそうです(厚労省調べ)。
これが「平均」ですから、もっと長生きする人も大勢いるわけです。
親が90歳まで生きたとすれば、看取った時点で、子どもも還暦くらいにはなっているでしょう。
いくら今の60代、70代が「昔より、見かけも体力的にも若くみえる」としても、「残りの人生」の長さを考えてしまうんですよ。
医療の現場にいると「老老介護」の現実に「人が長生きするというのは、基本的にはめでたいことなのだろうけど……」と考え込んでしまうことも少なくないのです。

 老親が倒れたり認知症になるなどして介護が必要になったとき、これまでは、まず施設に入れることを考えただろう。そのことの是非は、ここでは問わない。社会的な通念として、そのような対応をとってきたということだ。施設も老人ホームなどではなく、病院に入院させて、最期はそこで看取ることが多かった。三十年ほど前に亡くなった私の祖父などは、まさにそうした社会的入院を経た後の死であった。
 では、現在はどうなっているか。要介護状態の高齢者はできるだけ家に戻す。家族が中心となって面倒をみる。そのときは地域包括ケアシステムによって地元がサポートする。そういう形になっている。
 現在、介護されている者からみた介護者の続柄は、25.7%が配偶者であり、20.9%が子どもである。そして、つづく15.2%が子どもの配偶者だ。これに父母(0.3%)やその他の親族(2.0%)を含めた64.1%が「同居者」による介護ということになる(厚生労働省の「平成22年国民生活基礎調査」から)。
 在宅での介護が現実となった時、「誰が面倒を見るのか」が家族で話し合われる。そのとき、介護者として真っ先に指さされる可能性が高いのは、他に家族を持たない独身者であろう。「介護独身」とは、超高齢化社会の流れと、晩婚化・非婚化の流れが出あった場所で生まれた、止められない渦なのだ。
 独身者が親の面倒をみること、介護をすることがどういうことなのか。それを、いまいちど見つめ直すべき時に来ている。

この新書の場合「独身での介護」に焦点をあてているのが「特徴」なのですが、「だからといって、介護のために結婚するっていうのもおかしな話だよなあ」とも思います。
そして、独身であることを選ぶというのは、親の介護はしなければならないけれども、自分が家族から介護してはもらえない人生を選択することでもあるのです。
そこには「家族に介護してもらえないなんて寂しい」と「介護のために人生のうちの長い時間を費やすことを、介護する側も、される側も望んでいるのか?」という葛藤もあるんですよね。
現実的には、独身であったとしても、体調が悪くなれば兄弟とか親戚が病院に呼ばれて「家族」としてなんらかの責任を負わされることにはなりますし、本当にひとりで死んでいくためには、かなりの事前の準備と覚悟が必要です。


日本では「核家族化」「非婚化」がすすんでおり、個人重視で、「家族という意識」が希薄になってきているにもかかわらず、経済的、人的資源的な問題もあり、「介護はそれぞれの家族や地域で行われるべき」だという方向に舵取りがなされています。
子どもが減り、ご近所との繋がりもなくなってきているのに、時代に逆行した「家族責任」に向かっているのです。
とはいえ、「じゃあみんな施設に入れてしまいましょう」というほどのお金も人手もない。
そして、施設に入れるとなると、気持ちの上で「見捨てることになるのでは……」とつらいところもあるし、あまり介護にタッチしていない周囲の人からは「冷たい」なんて言われたりもします。
しかしながら、みんなが割り切って介護が必要な親を施設に入れてしまう世の中になったとしても、それを収容しきれるほどのキャパシティはありません。
なんだかもう、どうしようもない状況ではあるのです。
ほんと、人間は、日本人は長生きしすぎているのではないか、とは思う。
その一方で、「人間」の一員である自分自身や家族、友人には、なるべく長生きしたい、してもらいたいと思う。
難しいですね、本当に。


著者が取材した、40代半ばの「介護独身」女性と、こんなやりとりがあったそうです。

「介護のために結婚しなかったわけじゃない。でも、どこかで介護とシングルであることを結びつけてしまう自分がいるんですよね」
 介護の前後で結婚観は変わったのだろうか?
「以前より、結婚に関していろいろな思いを持つようになりましたね。もともと自由な状態が好きだったし、結婚願望も薄かったけど、年をとってからは家族がいた方がいいかなとか。これからだって、情熱があれば結婚するだろうと思います。ただ、勢いに任せて付き合うというのは若いときじゃないと難しいでしょう。いろいろなものを抱えているから、それを乗り越えられるかどうかで決まるんじゃないですかね」
 そういった後、こう付け加えた。
「ま、天罰なんですよ。家族よりも自由を愛した人間への天罰だと思いますよ。自由が好きだった者が、最も自由じゃなくなった」
 こう書くと悲愴感に溢れた物言いだが、けっして暗くはない。あっけらかんとしている。どん底を経て、自分の苦痛さえ客観できるようになったためかもしれない。


「天罰」ではないとは思うのだけれども……でも、なんと言っていいのか……


 また、6年前から介護をしているという38歳女性は、こう話しています。

「それまでは両親の世話になっていませんし、たまに帰っても、あまり会話もしない親子でした」
 それが、ひょんなことから母の介護、さらに少し遅れて糖尿病で倒れた父の食事の世話までこなし、そのことで日々追われることになる。
 母の介護をはじめてすぐ、知美さん(仮名)は「私の人生、終わったな」と感じたという。三人いる兄たちは介護に手を貸さないどころか、母が倒れて以来、家にも寄りつかなくなる。知美さんは職場を離れたため他人との付き合いもなくなり、たまに会う昔の同僚は知美さんの切り出す介護の苦労話に相槌さえ打ってくれない。同世代の友だちには「介護などまだまだ先のこと」という思いがあり、切実感がないのだ。
 あたかも「離れ小島に流された気分」だという。


 これはたしかにつらいだろうな、とは思うのです。
 でも、同世代の友だちは「切実感がない」のではなくて、「いつかはそういう時期が来ることはわかっているのだから、せめて今は、そのことは考えたくない」という気持ちなのかな、とも想像してしまいます。
 それはそれで、わかるのだよなあ。


 そんなに厚い新書でもないのですが、思いのほか読むのに時間がかかってしまったのは、僕にとっても「あまり直視したくないこと」だったからなのかもしれません。
 介護するために生きるというのはあまりに寂しいけれど、介護しなければ死んでしまう身内がそこにいれば、逃げるわけにもいかない。
 本当に、どうすればいいんでしょうね……というか、「その状況」にならないと、わからないんだろうな……



「介護される(かもしれない)側」からの視点である、この本も参考になると思います。

ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ (新潮新書)

ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ (新潮新書)

ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ―(新潮新書)

ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ―(新潮新書)

参考リンク:【読書感想】ひとりで死んでも孤独じゃない(琥珀色の戯言)

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