琥珀色の戯言

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【読書感想】うわさとは何か ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
デマ、流言、ゴシップ、口コミ、風評、都市伝説…。多様な表現を持つうわさ。この「最古のメディア」は、トイレットペーパー騒動や口裂け女など、戦後も社会現象を巻き起こし、東日本大震災の際も大きな話題となった。事実性を超えた物語が、人々のつながり=関係性を結ぶからだ。ネット社会の今なお、メールやSNSを通じ、人々を魅了し、惑わせるうわさは、新たに何をもたらしているのか。人間関係をうわさから描く意欲作。


「うわさ」というのは、「面白いものでもあり、厄介なものでもある」のです。
この新書は、コミュニケーション論・メディア論を専攻している著者が、「うわさの歴史と、SNS時代の変化」について書いたものなのですが、率直なところ、「インターネットで広まるうわさやデマ」に関しては、そんなに目新しい知見は書かれていませんでした。
それは、僕自身がそういう「ネットでのデマ検証」をやっているサイトや本をずっと見てきていたから、ではあるのですけど。


「インターネットより前」のうわさに関しては、あまりまとまったものを読んだことがないので、興味深く読むことができたのですが。


著者は、1973年のオイルショックの際に起こった「買いだめ騒動」について、こう書いています。

 買いだめ騒動は関西では一週間で収まったのだが、全国でみるとほぼ一ヵ月続いた。東大阪市の主婦が話すように、関西では騒ぎが落ち着いた11月半ば過ぎ、首都圏はまだまだ騒動の真っただ中であったのだ。11月21日の『読売新聞』夕刊は46歳の会社員の声を伝えている。

 きょうは、会社が休みなんですが、家内が連日あちこち駆けずり回って、バテ気味なので、ピンチヒッターで買いものにきました。前から50番目に並んだのですが買えたのは息子と合わせてトイレットペーパーがわずかに二個、なにが政府のいうように”量はいっぱいある”のか。


「トイレットペーパーがなくなる」のは単なるうわさではなく、現実に起こっていたのである。
 もちろん、大勢の人が物不足のうわさに従って、いつもなら1パックしか買わないものを、2パック、3パックと買ったからこそ、うわさが現実化したのである。逆に言えば、物不足のうわさが広まりさえしなければ、物不足は生じなかったはずなのだ。
 このように、ある情報が広まることによって人びとが通常とは異なる行動をとることで、その情報が現実化してしまうことを、社会学者のロバート・マートンは「予言の自己成就(self-fulfiling prophecy)」と名づけている。
 うわさに従い、いつもと違う行動をとった人びとを、騒ぎが収まった後に「うわさに踊らされた」と責めるのはたやすい。しかし、うわさの渦中にいる人びとにとって、物不足はあくまで「本当のこと」である。「手に入るうちに買っておこう」というのは、ある意味で合理的な行動である。実際に商品が手に入らなくなってしまうからだ。


「うわさ」のなかには、それが広まることによって、人びとの行動を変えてしまい、それが「実現」してしまうものがあるのです。
オイルショックのときの買いだめ騒動」なんて、まさにその典型的な例。
しかし、元は「推測やデマ」でも、実際に「物不足」になってしまうから、「買いだめをするのが、(自分のためには)正しい行動」になってしまいます。


 こういうタイプの「うわさ」に関しては、ネットの普及はかなり火消しに有効ではないかと思われます。
 Twitterで「品薄になってないですよ」とみんなが呟けば、「ああ、そんな酷いことにはなっていないみたいだ」と冷静になることができる。
 でもなあ、結局のところ「もし、本当に品薄になったら困るから……」などと、つい取り越し苦労をしてしまうのも事実なんですよね……

 うわさ研究の古典書『デマの心理学』のなかで、アメリカの心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンはうわさの公式として、R〜i×aを提示している。
 うわさの強さや流布量(Rは、当事者に対する問題の重要さ(importance)とその論題についての証拠のあいまいさ(ambiguity)との積に比例するというものである。この公式は、重要さとあいまいさの足し算ではなく、かけ算であるという点が肝要である。重要さとあいまいさ、どちらかがゼロであるなら、うわさとはならないからだ。
 この公式に則れば、災害時や戦時など非常時にうわさが広範囲に広がり、また量的にも多くなることが理解できよう。なぜなら、生命や先行きなど重要なことについて、多くの人が同じようにあいまいさを抱えている状況だからだ。買いだめ騒動につながる一連のうわさが全国に広がったのも、当時日本に住む人びとの多くにとって、物不足というテーマは重要で、かつ、あいまいなことだったからだ。


この公式からすると、「戦時下や大きな災害が起こっているときには、うわさが広まりやすい」ということになります。
生き残れるかどうか厳しい状況であるのと、情報が遮断されてしまいがちですから。


「情報」に対する向き合いかたというのは、状況が切実であればあるほど、難しくなるのです。

 2011年の東京電力福島第一原子力発電所の事故対応に対する批判のなかで、「パニック神話」という話が知られるようになってきた。
 政府関係者がスピーディ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を公開しなった理由として「パニックが起きるのを恐れた」という「思い込み」を批判してのことだ。


(中略)


 災害時の人間行動の研究からは、パニックは稀にしか起こらないことが明らかとなっている。たとえば、廣井脩は1986年11月の伊豆大島三原山噴火にともなう全島民の島外避難の際に、噴火直後からさまざまなうわさが広まり、多くの人びとは着の身着のままの緊急避難をすることになってしまったにもかかわらず、いわゆるパニックは起こらず、冷静に行動していたことを報告している。(『うわさと誤解の社会心理』)。トイレットペーパー買いだめ騒動も、パニックとして捉えられているが、みながやみくもに買いだめに走っていたわけではなかたことは、先に示したとおりである。
 むしろ、災害時にパニックが発生することを恐れ、危険の大きさを人びとに控えめに伝えたことによる惨事がいくつも報告されている(広瀬弘忠『人はなぜ逃げ遅れるのか』)。人びとが安心してしまうことで、逃げ遅れてしまうのだ。


「パニック」は、案外、起こらない。
 むしろ、「パニックを恐れて、危険を小さく伝達してしまう」ほうが、被害を助長することが多いのだそうです。
 しかしながら、「案外落ち着いている」というのにも、それはそれで問題点があります。

「パニック神話」とあわせ、災害時において留意すべきは「正常化の偏見(normalcy bias)である。
 これは、目の前にある危険を日常生活の延長上で正常の範囲内と過小評価することである。危険への対応が遅れ、結果的に危険に巻き込まれてしまうことにつながる。
 1981年10月、平塚市東海地震の警戒宣言が出されたという知らせが広報無線を通じて市内に誤って放送された。翌日の新聞では「夜間に住民避難騒ぎ」「夜の警報パニック」などの見出しで報道されるが、実際にはパニックはほとんどなかったという。


(中略)


 東日本大震災でも、大津波警報が出されているのにもかかわらず、避難をしなかった人が数多くいたことが報告されている。「正常化の偏見」はその原因の一つであろうし、狼少年効果、つまり、警報が出されても、実際に津浪が来ることがなかった経験を何度もしたために、「津浪警報が出ても津浪など来ない」と考えるようになってしまたこともあって、被害拡大につながった。このため、現在このような点を踏まえた防災・減災教育が進められようとしている。

 
 先日来た「大型台風」についてのニュース、僕が住む地域にも上陸の可能性が高いといわれていたため、かなり注意してみていたのですが、各地の「避難状況」で、避難が勧められた地域でも、体育館などに避難している人の少なさに、意外な気がしたのです。
 東日本大震災から、3年。
 あの震災では、大津波警報に対して、すぐに高台に逃げるという選択をしたかどうかが、生死の分岐点となりました。
 多数の犠牲者が出たわけですが、当時の報道をみて、僕は「東北地方太平洋沿岸の人たちの、津浪に対する警戒心の高さ」を痛感したんですよね。
 九州在住の僕にとっては、地震のニュースのあとには「この地震による津浪の心配はありません」と続くのが当たり前だという感覚でした。
 それこそ、学校や職場で火災報知器が鳴っても、「訓練?誰かのいたずら?」と、まず考えてしまうくらいの「危機意識の低さ」だったんですよ。


 過敏になりすぎて、パニックを起こしてはいけないし、「正常化の偏見」に流されてもいけない。
 とはいえ、その「ちょうどいいところ」を見極めるというのは、非常に難しい。


 この本のなかには、歴史上広まった、さまざまなうわさが紹介されています。

 女子大生がパックツアーで海外旅行に出かけた。友だちと旅行を楽しんでいたが、ある街でショッピング中に行方不明になってしまう。彼女が試着室に入ったところまでは友だちが見ていたのだが、少し目を離したあいだに彼女の姿は消えてしまったのだ。添乗員は日本大使館に駆け込み、警察に捜査してもらうが、見つからない。
 数年後、友だちは別の国の街角で彼女を見かける。彼女は手足を切られてダルマのような姿となり見世物となっていた。
 楽しいはずの海外旅行に大きな危険が待ち受けていたというこの話、1987年に大学に入学した筆者も友達から聞いた覚えがある。
 この話が広まり始めたのは1980年代初めのことだ。1970年代を通じて『an・an』や『non・no』が若い女性を国内外の旅へ誘うなか、78年には成田空港が開港し、旅行会社はより手軽に海外に行けるようパック旅行を数多くそろえ出した時期にあたる。

 このうわさ、1990年代に僕も聞いたことがあるのですが、著者は、このようなうわさが広まった背景に、1970年代から、海外旅行に出かける若い女性が爆発的に増加した一方で、海外で危険な行動をとることも多くなったことを挙げています。
 このうわさは、彼女たちへの「戒め」という「時代の意図」が隠されていたのではないか、と著者は分析しているのです。
 そのほかにも「口裂け女」や「死体洗いのアルバイト」などのよく知られている「都市伝説」への言及もされています。


 この新書のなかで、とくに僕の印象に残ったのは、以下の部分でした。

 かつてメディア論の祖、マーシャル・マクルーハンが「メディアはメッセージ」という言葉で端的に表現したように、伝達「手段」として、あるいは、透明な媒体としてみなされがちなメディア自体もまた、メッセージ=伝達「内容」である。
 このようなエピソードを紹介しよう。
 太平洋戦争の終戦近く、米軍が日本各地に戦況を伝える宣伝ビラを散布するようになる。とくに説得力を持ったビラは、次の空襲目標とその予定日を事前に知らせるものであった。
 ビラの伝える予告が「実現」するにつれ、米国の宣伝ビラの信憑性は増していく。加えて、ビラというメディア自体が持つメッセージも内容の信憑性を増すことに貢献した。ある女性はビラについて次のように回想する。

 母は、アメリカが世界中の原料をすべてもっているにちがいないと申しました。私がビラを母に見せたところ、母は、「見てごらん、ビラをまくのにこんな立派な紙を使ってるなんて」と申しました。 
                             (川島高峰『流言・投書の太平洋戦争』)

 ビラに何が書かれているかは問題ではない。メッセージはビラの紙質にあるのだ。ビラの紙質は、書かれている内容以上に雄弁に米国の豊かさ、そして日本の戦況が芳しくないことを伝えたのである。
 うわさはその「内容」だけで成り立っているのではなく、それを伝える「形式」――口頭で広まるのか、電話が使われるのか、インターネットなのか、テレビ番組で取り上げられるのか、それらすべてのミックスなのか――と切り離すことができない。どのメディアでどのように伝えても同じ、というわけではないのだ。ゆえに、多様なメディアが存在する今日のうわさを捉える上では、「内容」だけではなく、「形式」、言い換えればメディアの側からもその特徴を考える必要がある。


 ネットは、圧倒的な情報拡散力を持つ一方で、「デマを拡散しやすいツール」ではあります。
 しかしながら、昨今のネット発のデマやうわさに関しては、「ウソに対しての自浄作用」みたいなものもけっこう整ってきているのかな、と感じます。
 昔のネット(とくにパソコン通信の時代など)は、経済的にある程度のゆとりがあったり、技術的なことに興味があったりする人の割合が高く、「ネットで発信されていること」そのものに「なんとなく特別なこと」のようなイメージがありました。
 それが、みんながスマートフォンSNSを使う時代になると、「ネットのうわさは、デマが少なくない」ということを、みんなが認識しながら、利用しているわけです。
 インターネットにも、その「メディアとしての特徴」があるのです。


「うわさの歴史」「うわさと、人びとはどう付き合ってきたのか」を時代に沿って知ることができる、なかなか興味深い新書でした。


 

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