琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】海水浴と日本人 ☆☆☆


海水浴と日本人

海水浴と日本人

内容(「BOOK」データベースより)
多くの人にとって、家族、友人、恋人との思い出なつかしい夏の浜辺。しかし、この夏の風物詩の歴史は意外に浅い。西洋文明の移入に伴って奨励されて以来、戦前期までの海水浴の紆余曲折をたどる。


もう、海水浴シーズンも終わってしまったのに……という感じなのですが、いちおう、まだ夏のうち、ということで。


「海水浴の起源」って、知っていますか?
あらためて問われてみると、僕も全然わからないんですよね。
なんとなく、「海の近くに住んでいる人たちは、縄文時代とか弥生時代くらいから、ずっと泳いでいたんじゃないの?」と考えていたのですが、そうではないのです。
「海に囲まれた国、日本」に住む人々は、海に長年親しんできている、というイメージは、事実とは異なっているようです。


 この本の冒頭には、こう書かれています。

 日本人は、四面環海の海国と称されながらも、実は長らく日本人にとって、海は馴染みの薄い場所であった。せいぜい漁師や船乗りなど水上で糧を得る生活者の場、あるいは海賊や水軍の暗躍する場に過ぎないと見る向きが一般的であった。
 では、人びとが海で遊ぶことがなかったのかといえば、唯一、潮干狩りが行われていた。それ以外で海とかかわりをもつことは、古くは祭礼における宗教儀式の一環として日常の穢れた身を清める禊ぎの行為として海に浸かったり、真冬の酷寒のなか、水垢離のために海に入ったり、時には、病をもつ人が療養的行為として海水に身体を浸したりなど、程度の差こそあれ、汀線(ていせん)あたりで海水を浴びることが行われていたに過ぎない。


 近世まで、海に関する仕事をしている人以外にとっては、「海に入る」というのは、きわめて稀なことだったと著者は述べています。
 ヨーロッパの「大航海時代」のあいだも、日本は鎖国の状態で、一部の職業人を覗いて、人びとが海に接する機会はほとんどなかったのです。


 そんな「海に囲まれていながら、海から離れていた日本人」が劇的に変化していったのが、明治維新でした。
 他国との交流が盛んになり、軍事的な面や、国民の健康促進のために、「海に親しむ」ことが、国策として推進されていったため、日本人は「海水浴」をするようになりました。
 逆にいえば、「明治維新まで、海水浴なんて酔狂なことをする日本人はいなかった」のです。

 
 その「海水浴」も、当初は、現代人がイメージするような「海で泳いだり、日光浴をしたりして楽しむ」というよりは、「海水を浴びることで、病気に効く」と言われており、「療養」のためだったんですね。
 

 実はこの海水浴の読み方については、明治21年に野中良一が書いた『海水浴鉱泉浴問答』という著書のなかで、「第一章 海水浴(ウミミズアミ)」と振り仮名が添えられ、さらに問答のなかで「カイスイヨク」と「ウミミズアミ」が使い分けられて解説が加えられており、これを読むことで海水浴の文字は今日われわれが想像する余暇や行楽を伴う海での泳ぎや過ごし方を指すものではなく、海水を浴びる行為を指したものであることが理解できる。また、海水浴はすなわち「ウミミズアミ」と読まれ、潮湯治を指していたことが分かるが、一方で「カイスイヨク」と読むことについては、残念ながら解説はない。
 潮湯治についての資料を見ると「海浴」や「水浴」「……海水浴」の文字を見つけることができ、同じものと捉えられがちであった。しかし、「海水浴」が日本古来の感じの読み方としての訓読みで読まれていたことを理解できれば、海水浴(ウミミズアミ)は海水を浴びることを指したものであったことがうなづける。ウミミズアミの読み方や呼び方は、明治21年頃からは次第にカイスイヨクと一般に読まれたり呼ばれるようになっていった。


 この「湯治」と同じように、「海の水を浴びることによる療養」というのは、日本古来の考え方ではなく、ヨーロッパで生まれたものなのだそうです。
 海外に行くと、「せっかく海まで来ているのに、泳がないで日光浴ばかりしている外国人」をみて、「何しに来たんだろう?」と思ってしまうのですが、彼らにとってみれば、「海で泳ぐというよりは、海辺で良い景色をみて、日光を浴び、綺麗な空気を吸ってリフレッシュするのが主目的」なんですね。
 むしろ、「なぜ日本人は、海であんなに気合いを入れて、泳ごうとするのだろう?」と。


 この本によると、日本の「海水浴」は、その療養的な効果とあわせて、若者の鍛錬と、「海国」として、軍事的な意味も含めて「海に慣れる」という国策が推進されたため、「泳ぐこと」が重視されるようになったのです。
 臨海学校のような「合宿」が、学校単位で行われるようにもなりました。
 最初に「療養」があって、その後、「泳ぎの訓練」の要素が入ってきたため、「海水泳」ではなく、「海水浴」になったのです。


 この海水浴、明治18年に大磯に「海水浴場」がオープンしてから、紆余曲折を経ながらも、「国民的娯楽」として、急速に広まっていきます。
 当初は、泳ぐ場所が男女別に分かれたりもしていたそうなのですが、次第に水着での肌の露出が増え、くだけた場所になっていく様子も、この本のなかでは紹介されています。

 
 また、日本での海水浴の普及に貢献した、長与専斎、松本順、後藤新平の伝記も紹介されているのですが、長与専斎さんは、海水浴の推進・普及に尽力していたにもかかわらず、次女を海の事故で亡くされた、という悲しいエピソードもあります。
 

 いまの時代に生きている僕にとっては「海があれば、そこに人が集まって泳ぐのは当たり前」という感覚なのですが、それは、せいぜいこの150年くらいの「新しい習慣」であり、多くの人の尽力で、広まっていったのです。


 ただし、海水浴のニーズは、戦後ずっと「右肩上がり」というわけでもないようです。

 国民的な支持を受けた海水浴ではあったが、1985年をピークにして、以後は年々その数を減少させ、海水浴人気に陰りが出てきている。


 ということで、たしかに、「海に入るとベタベタするし、人も多いし……」というような声も、少なからず耳にするようになりました。
 これは、僕が「海水浴にワクワクできるような年齢じゃなくなった」ことも大きいのでしょうけどね。


 読んで、「知識欲を満たす」以上の何かの役に立つ、という本ではないのですが、こういう「自分が知らなかったことさえ意識したことがない、歴史的な事実」に気づくのって、けっこう面白いですよね。