琥珀色の戯言

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【読書感想】修羅場の極意 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法がある。イエス、宇野弘蔵西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べるか?ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは?外交と政治の修羅場を駆け抜け、獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。


佐藤優さんが、「歴史に名を遺した人々」の言葉や著作から学び、実生活でも参考にしてきた「生き残るための知恵」の数々。
外交官として、数々のギリギリの交渉に臨み、その後「鈴木宗男事件」に連座し、東京拘置所の独房に収監されていた経験のある著者は、まさに「修羅場」を経験してきたのです。


ドストエフスキーは、若い頃に逮捕され、一度死刑判決を受けたあと、執行直前で恩赦を受けています。
「命拾い」したという経験が、ドストエフスキーのその後の人生や作品に与えた影響について、佐藤さんは、こんなふうに推測しているのです。

 もっとも当初から、この死刑判決は、直前に減刑されるシナリオになっていた。革命家たちは主義に殉じる覚悟をもっている。このような革命家を次々と処刑しても、殉教者に対する尊敬が深まりかねない。国家としては、「あれだけ威勢がよかった革命家も、こんなに温和(おとな)しくなる」という転向を可視化させなくてはならない。そのために、一旦、死刑を言い渡した者に恩赦を与えることで、国家は人を殺すだけでなく、生かす力もあるのだということを皮膚感覚で政治犯に叩き込む。このような体験をした人は、その後、一生、国家を恐れるようになるという現実と、皇帝官房第三課はよくわかっていたのである。
 この雰囲気が、筆者にもよくわかる。筆者は死刑判決を言い渡された経験はない。筆者の判決は、懲役2年6ヶ月(執行猶予4年)であった。しかし、逮捕から判決確定まで7年、執行猶予期間が満了するまでに11年かかった。この11年間は、常に事件のことを意識して、細心の注意を払いながら生活していた。もうあのような神経を張りつめた生活は二度としたくないと思う。その思いは、執行猶予期間を満了して、完全に自由な身になってからの方が強くなった。不自由な環境から自由を得た人間は、自由を失うことをとても恐れるようになる。ひとたび死刑にされる危険にさらされた人は、命を失いたくないという思いが、そのような経験を持たない人よりもはるかに強くなるというのが筆者の見立てだ。


人間って、「死に近づく経験」をすれば、肝が据わるというか、「死ぬことを恐れなくなる」わけではないのですね。
最初の「死刑になるであろう状況」のときには、おそらく「覚悟はできている」人も少なくないはずです。
ところが、その状況から、一度「生きる」方向に針が動いてしまうと、かえって、「もう一度死ぬ」ことが恐くなってしまう。
そしてその恐れは、「死に近づいたことがない人」よりも、強くなりがちなのか……


また、安藤美冬さんを、こんなふうに「分析」していたのも印象的でした。

 筆者も外務省で抑うつ症状を抱えた同僚を何人も見た。しかし、自ら精神科医の診断を受ける人はあまりいない。また、上昇志向が強い若手ビジネスパーソンはなかなか長期の休職に踏み切れない。会社(役所)から長期休職を命じられると、将来のキャリアが失われたと悲観し、復職後も仕事に集中して取り組むことができなくなってしまう事例が多い。しかし安藤の場合は、休職を冷静に受け止め、復職後も淡々と仕事をこなし、その業績が会社からも評価された(社長賞を受賞した)。安藤は巧みに人生の修羅場を切り抜けることができたのである。
 筆者の理解では、安藤美冬というモナドに、生まれる前から、このように成長していくことができる力が備わっているから、そのような対応ができたのである。安藤が『冒険に出よう』の中で述べていること、あるいは講演会やテレビで話すことを、マニュアルとして受け止めてはならない。安藤が成功した秘訣は、自分の中に潜んでいる資質を等身大で見つめることができたからだと筆者は見ている。ちなみに抑うつで休職する前に安藤は、「突然、すごく近い場所で、私が高校3年生のときに他界した、母方の祖母の存在を感じ」たと回想する。死者に対する追憶は、定住民の特徴だ。本人は意識していないであろうが、「ノマド的スタイル」に純化できない安藤のもう一つの個性が、こういう記述に表れている。


 佐藤優さんからみたら、安藤美冬さんは、こんなふうに見えているのか、と。
 安藤さんは、現在、多摩大学経営情報学部専任講師を勤めておられ、「ノマド、なのか……?」という状況にあるのですが、確かに、安藤さんって、「一生懸命、自分のノマドライフを演出している」ように見えるところがありました。
「特定の場所に定住していることができない人」ではなくて、積極的な選択としての「ノマド」。
 でも、そこにはなんというか、作為的なものを感じるところもあるのです。
 佐藤さんが「こういう生き方を、マニュアルとして受け止めるな」というのは、「定住民であることよりも、難しい生き方だから」と考えているからなのだと思います。
「定住できない人」と「定住しないことにメリットを見出している人」とは、やっぱり、違うんじゃないかなあ。


 巻末の西原理恵子さんとの対談のなかで、佐藤さんは、こんな話をされています。

佐藤優そういえば外務省の先輩できれいな奥さんがいるのに、いつも不倫している人がいました。でも、まったくトラブルにならない。なぜトラブルにならないで遊んでいられるかというと、その先輩はどうやったら相手が自分から逃げていくかをちゃんと研究していると言っていました。
 たとえば相手が白人の女性であれば、高級レストランでスープをズルズルと音を立てて飲めばたいていは逃げていく。それでもダメなら鼻糞をほじる。それでもダメな場合は相手の親の悪口を言う。この三番目の手法で逃げなかった女性は一人もいないと。


西原理恵子その人は、ちょっと遊んで逃げたいわけね。せっかく知り合ったんだから大事にして、できるだけ長く一緒にいたい――とは思ってない。


佐藤:よく考えると僕の周りはそんな人間が多いですね。仕事を取るか、女性を取るかと役所に迫られて、女性を取ったのは一人だけ。実にいい奴でした。でもそれ以外はみんな逃げることばかり考えている。


 これはひどい……
 でも、「自分が相手に嫌われてもいい、カッコ悪く別れてもいい」と覚悟を決めれば、「相手に嫌われる」ほど、後腐れのない別れ方はないですよね。
 考えようによっては、「相手に嫌われずに別れようとする」から、さまざまな「別離に付随する問題」が生じてくる、ともいえる。
 いやまあ、「スッキリ別れるために、こんなことまでできる男」であれば、別れて正解、でもあるのでしょう。
 こういうのは、外交官に近づいてくるような、プライドの高い、「きちんとした相手」だから通用する、という面もありそうです。


 正攻法から奇襲まで、「修羅場に役立つ知識」が散りばめられた、なかなか興味深い新書でした。
 そういうのは、役立てる機会が無いほうが良いのでしょうけど、知っておいて損はないはずです。

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