琥珀色の戯言

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【読書感想】私がデビューしたころ (ミステリ作家51人の始まり) ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
作家のデビューは、時に小説以上にドラマティックである。「ミステリーズ!」の好評連載に書き下ろしを加えた、豪華執筆陣全51名のエッセイ集。作家を志したきっかけや、新人賞受賞までの道のりなど、デビューまでの波瀾万丈の逸話と作家であり続けるための創作論を、デビュー年順に贈る。51のエピソードで読み解く、戦後日本ミステリ史!


二段組みで字が多いし、知らない作家さんも多いし、全部読み切れるかな……などと思いながら読み始めましたが、なんだか読んでいるうちに、「みんなそれぞれの事情や戦略、そして、めぐりあわせみたいなものがあって、作家になったんだなあ」なんて、しんみりしてしまいました。
書くこと、そしてそれが他者にあれこれ言われることの苦しみっていうのは、読む側にとっては、想像もつかないところがあって。


この本には、51人のミステリ作家の「デビュー物語」が収録されています。
読んでいて痛感するのは、どんな人気作家であっても、「最初に書いた作品で合格、その後も順調に作品を発表し続けて専業に」なんてケースは(ほとんど)無い、ということです。
なかには、「賞をとってデビューしたのは良いけれど、なかなか売れずに投稿生活に逆戻り」とか、「作品そのものが書けなくなって、何十年も経って、ようやく新作が書けた」とか。


また、それぞれの作家さんが、自分と交流のあった作家について、ところどころで言及しているのも読んでいて面白く感じました。
当人や担当編集者や伝記作家が「本腰を入れて書いた」のではなく、ふと思い出したように描かれる「日常」の姿というのは、非常に興味深かったのです。

竹本健治さんの回より)


また、一日七十枚を割ったことがないと公言していた栗本(薫)さんのお宅に遊びに行ったとき、「ちょっとまだ書きかけの原稿が残っているから」と、僕らと喋りながらどんどんお筆先のように原稿をこなしていく彼女を目のあたりにして、これはもう彼女の世界とはリーグが違うのだ、こんな人と同じ土俵で戦ってはいけないのだという見切りを早々に得られたのも、僕という作家のスタンスを見定める上でよかったように思う。


伊坂幸太郎さんは、デビュー作となった『オーデュポンの祈り』について、こう書いておられます。

 その時の応募作は、「未来のことが分かる案山子が、殺される」という内容のミステリーだった。これはもう僕にとっては、最後の切り札、というか、半ばやけっぱちで起用することにした物語だった。
 発想自体はずいぶん前からあって、もしかすると学生の頃から頭にはあったのかもしれない。「奇妙な人間ばかりがいる世界」という設定を思いつき、「奇妙な島に一つだけないものがある」という謎を考え、「小説だからこそ、隠せるものがある」とひらめいた時には、「これは面白いかも」と感じた。けれど、新人賞への応募作でこれを書こうとは思っていなかった。なにしろ、「案山子が喋る」上に、「未来を予知する」のだ。自分で言うのもなんだけれど、ちょっとやりすぎだろう。「さすがにこれはダメだ。もっと、ちゃんとした小説でデビューできた作家が、五作目くらいに書いて、「ああ、こういう変なのも書けるのね」と思ってもらうべき作品のはずだ」と、そういった常識的な(!)思いが、浅はかな計算が、僕にはあったのだ。
 だから、この話を応募作品として書こうとは思わず、別の(もっとまともな)作品を書いて新人賞に応募していた。

「小説だからこそ、隠せるものがある」というのは、伊坂さんの出世作のひとつ『アヒルと鴨のコインロッカー』もそうだったなあ、と思いながら、僕はこれを読んでいました。
この51人のデビュー話を読んでいると、小説を書いてデビューするというのは「思い通りにはいかない」し、「自分の意外な面の発見や、能力を絞り尽くすような挑戦」が求められるのだな、と。


桜庭一樹、萩原浩といった、いまをときめく人気作家たちも「ミステリからデビューした人」として登場しているのですが、これを書いたときの桜庭さんは、その数年後に『私の男』直木賞作家になるなんて、想像してもいなかったんじゃないかな、とか考えてしまいました。
どんなに才能がある人でも(あるいは、ない人でも)、自分の人生の先のことって、わかんないんだよなあ。


この本を読んでいると、鮎川哲也さんと、東京創元社の名物編集者・戸川安宣さんの名前がたくさん出てきて、日本のミステリ界への貢献度が伝わってきます。
これが東京創元社の『ミステリーズ!』に連載されていたもの、というのはあるのだとしても。


僕は米澤穂信さんのこんなデビュー前を振り返っての文章が、すごく印象に残りました。

 当時、私は書店にいた。書店というのは恐ろしい場所だ。働き出してほんの数日で、目から鱗がぼろぼろと落ちた。この文章を読むような方というのは、きっとミステリの愛読者だろう(註 この文章の初出は『ミステリーズ!』です)。あるいはミステリに限らず、広範に小説を愛する方かもしれない。あなたがそうであり、かつ書店やそれに類した場所に身を置いたことが亡い場合、これから書くことは衝撃的かもしれない。しかし事実である。目を背けずに読んでいただきたい。よろしいか。書きますよ。
 小説なんて誰も買わないのだ。
 私だって、最初のお客様が鮎川哲也を、次のお客様がエラリー・クイーンを買っていくとは思っていなかった。しかしまさか、十人に売っても百人に売っても、一冊の小説も売れていかないとまでは思っていなかった。漫画さえ買われない。売れるのは雑誌と実用書。あえて売れた創作物を挙げるとするなら、絵本がそうだったろうか。だからいまでも私は、「出版界はこれからどうなるのか」といった床屋政談をする際に、文芸部門はあまり考えに入れない。やだなあ、そんなの出版全体から見たら隙間産業ですよ。「へえ、小説とか読むんだ。頭いいんだね」と硬い笑顔で敬して遠ざけられた経験がないだなんて言わせませんよ。

 ちなみに、これが書かれたのが2010年6月。
 この文章の終わりに、米澤さんは、こう書いておられます。

 創作というのは手軽で孤独な作業だ。ひとりぼっちの小学生ですら、何千時間でも創作し続けることができる。だが作家という職業は手軽ではなく、そして孤独でもない。あなたが、めったに売れない小説なるものをお読みになる奇特な方であり、そして米澤穂信という微力な作家をご存じであれば。
 私はあなたにも支えられている。


 なんかもう、わかったようなことばかり書いて、☆とかつけちゃって、すみません……
 たしかに、小説を書く人も読む人も「数少ない、同好の士」であることもまた、事実なのです。

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