琥珀色の戯言

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【読書感想】フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか ☆☆☆☆


フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)


Kindle版もあります。

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか(新潮新書)

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
リサイタルという形式を発明した「史上初のピアニスト」フランツ・リストは、音楽史上もっともモテた男である。その超絶技巧はヨーロッパを熱狂させ、失神する女たちが続出した。聴衆の大衆化、ピアノ産業の勃興、スキャンダルがスターをつくり出すメカニズム…リストの来歴を振り返ると、現代にまで通じる十九世紀の特性が鮮やかに浮かび上がってくる。音楽の見方を一変させる一冊。


 なんかすごいタイトルだな……と思いつつ読み始めたのですが、内容は「興行のやりかた、あるいは技術的な面で音楽の世界に大きな影響を与えた天才ピアニスト、フランツ・リスト」について描かれた面白い新書でした。
「女性を失神させるための悪いテクニック」とかの本じゃないですからね、念のため。


 こんなタイトルなのですが、著者によると、フランツ・リストというピアニストは、チャラチャラした軽薄な人物ではなく、利他的な好漢だったようです。
 ヨーロッパ中を巡ってのピアノリサイタルで、かなり稼いでいたらしいリスト。
 しかしながら、彼自身はそのお金の多くを寄付したり、社会福祉事業に使っていたそうです。
(しかし、「リサイタル」という言葉で最初に思い浮かぶのは「ジャイアン・リサイタル」だという人は、けっこういるんじゃないかなあ。僕も『ドラえもん』直撃世代だから……)


「天才少年」ともてはやされたリストは、若くして、ヨーロッパ中を公演してまわることになります。

 26歳になり、ヨーロッパにその名を知られた大ピアニストとして、再びウィーンの民衆の前に現れたリストは、ドナウ河の氾濫による洪水被害者救済のために、いくつかの公演を開いた。このときの圧倒的な成功が、ヴィルトゥオーゾとして再びヨーロッパの舞台に立つ決心を固めさせたのだった。
 その翌年。1839年11月のウィーン公演を皮切りに、1847年の9月、エリザベトグラードでの引退公演まで、実に8年間という長期にわたり、それまで誰も想像すらできなかったような、史上最大のヨーロッパ・ツアーが繰り広げられたのである。
 この歴史的なコンサート・ツアーは、西はリスボンから、東はモスクワ、コンスタンチノープルまでを縦断する大がかりなものだった。飛行機はおろか、鉄道も整備されていない時代だったことを思い起こしてほしい。移動時間・距離も考慮すると、まさに空前絶後である。
 このツアーで、リストが公演した回数は、およそ千回。訪問した街は、260に及ぶ。単純計算だが、8年間を通して、平均約3日に一回公演をしたことになる。おそるべきスタミナとエネルギーである。


 類まれなるカリスマ性を持っていたとされ、ピアノの技術も素晴らしかったリストのコンサートツアーは、各地で大成功をおさめました。
 交通網も宿泊施設も整備されていない時代に、これだけヨーロッパ中を巡るというのは、大変なことだったでしょうね。

 この頃のヨーロッパで巻き起こった「リスト・フィーバー」は、まさに社会現象というべき凄まじいものだった。ドイツの作家アレクサンダー・フォン・シュテルンベルクは、「このばかげたとしたいいようのない熱狂は、芸術史の本よりは、病歴報告書の一ページとしたほうがふさわしい」とあきれたが、それは演奏会というより、狂乱騒ぎそのものだった。
 彼女たちの熱狂ぶりを、いくつかご紹介しよう。
 彼の前にひざまずき、指先にキスさせてもらえるよう許しを請う女性がいるかと思えば、別の女性は、彼の紅茶カップにあった飲み残しを、自分の香水瓶に注いだという。あるロシアの淑女たちは、船で旅立つリストを見送るためだけに、大型汽船を楽団付きでチャーターしたという。
 きわめつきは、南フランスの港湾都市マルセイユでの話である。ここでは、かつて栄華を極めたプロヴァンス王国を再建し、リストとその子孫を王座に据えようという話までもちあがったというのだ。
 それにしても、あらためて驚かされるのは、彼女たちが、「本当に失神してしまった」ことだ。


 好きな子のリコーダーを盗みに行く小学生かよ!というようなエピソードも含まれているのですが、現代のアイドルファンもびっくり、というような「リスト・フィーバー」が起こっていたのです。
 というか、ある人を熱狂的に好きになった人がやることって、19世紀半ばから、21世紀まで、そんなに変わらないんだ、とか、妙に感心してしまいました。
 いまは、さすがに王座に据えようという人はいないと思うのですが、AKBの総選挙の1位って、ある意味「王座」みたいなものなのかな。


 著者は、「女たちはなぜ失神したのか?」という問いに対して、現代のコンサートでは、狭い空間に人びとが密集し、興奮することによる過呼吸が原因だといわれていることを紹介しています。
 そして、リストの時代の「失神」については、貴族階層の精神的な豊かさである「エレガンス」と、新興階級であるブルジョワたちの物質的な豊かさである「シック」のせめぎあいと融合が背景になっていたのではないか、と分析しています。

 音楽を聴くとき、音楽を自己の精神を高めるための道具として用い、音楽によって自分のなかにひとつの像を創りあげようとする能動的で知的な動きと、音楽の流れのままに、その音楽が与える印象に身を任せる受動的で感情的な動きという、ふたつの聴き方がある。
 前者は人間が音楽に働きかける方向(知的作用)であり、後者は音楽が人間に働きかける方向(情的作用)である。どちらが欠けても、人間と音楽の関係は成立しない。
 ところが、十九世紀になって、音楽享受層が激変し、大量の「聴衆」が誕生すると、音楽における知的作用と情的作用は、大きくバランスを崩し、音楽にひたすら快楽を求め、音楽の官能的誘惑に服従し、音の洪水に身を任せるという「奴隷的聴衆」が大量に発生する。
 彼らは、音楽の精神的な内容よりも、派手で表面的な技巧(物質性)を重視する。まるでサーカスのような曲芸的な音楽に喝采を送るのだ。やがて、音楽の精神性は忘れ去られ、音楽は単なる見世物となる。
 音楽家は、外形が完全であればあるほど、聴衆を感動させられると考え、聴衆だけでなく音楽家までもが技巧の虜となり、技巧の習得のみに明け暮れ、人間性の欠けた芸術家が誕生する。こうして、音楽の精神性は空虚なものとなり、音楽は堕落への坂道を転げ落ちるのだ。

 リストが、サロンから活動の軸足を移した「劇場」は、ブルジョワ世界の象徴でもあった。劇場では、「演奏者」と「聴衆」は完全に分離され、聴衆は集団化していった。彼は、「ヴィルトゥオーゾ(超絶技巧を操る名手)」という大仰なニックネームを与えられ、偶像化された。「聴衆」という集団の上に君臨するには、スター性や見えやすい称号が必要だったのだ。
 リストの熱狂的なファンたちは「リスト・マニア」と呼ばれ、一大流行集団を形成した。彼女たちが、つねに「集団」であったことに注目してほしい。集団であったからこそ、一種の集団ヒステリーともいえる熱狂を生み出せたのだから。
 リストの演奏に失神した女性たちの正体は、このブルジョワ集団だった。
 ブルジョワ的価値観が、彼女たちを失神させたのだ。それは、まさに音楽に快楽を求め、それに溺れた「奴隷的聴衆」の象徴であり、十九世紀という時代を象徴する、ひとつの現象であった。
 そして、これまでに登場したさまざまなピースをつなぎ合わせてみると、あの熱狂と失神の原因は、リスト本人だけでなく、リストという「偶像」を誕生させた時代そのものだったことがわかる。
 これが、リストの狂乱し、失神した女たちの背後にあったメカニズムである。
 彼女たちは、失神したというよりも、失神したかったのかもしれない。

 
 この「技巧重視」が成立した背景として、ピアノの技術革新によって、鍵盤の高速連打が可能になった、というのもあったそうです。
 どんなに上手い人が素早く演奏しても、楽器のほうが反応しきれなければ、「違い」は生まれません。
 リストは、時代にも恵まれた、と言えるのでしょう。
 ただし、リスト本人はちやほやされて喜んでいたとも言い切れず、30代半ばでピアニストとしてのツアー活動はやめて、後半生は宮廷楽長になり、作曲・指揮・教育に専念するのです。
 当時の30代半ばですから、けっして「若い」とも言えなかったのでしょうが、リストは、75歳まで生きたんですよね。
 そして、ピアニストとしての名声と比べると、後半生の活動は、あまり話題にのぼることがありません。


 リストは、なぜこんなにモテたのか?
 そして、こんなに熱狂的に支持されていたのに、(少なくとも日本では)彼自身やその作品は、同世代のピアニスト、ショパンほど長く愛されることがなかったのか?

 
 リストはまさに「時代の人」であり、「あの時代に必要とされていた人」だったのかもしれませんね。
 だからこそ、時代が変わると、忘れられがちになってしまった。


「音楽という文化の変容」の象徴だったリスト。
 そしてその「変容」は、現代にまで影響を与えつづけているのです。
 

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