琥珀色の戯言

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【読書感想】かつお節と日本人 ☆☆☆☆


かつお節と日本人 (岩波新書)

かつお節と日本人 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本の食文化の名脇役、かつお節。かつては北海道から沖縄、植民地支配下の台湾、ミクロネシア、そして、オランダ領だったインドネシアでも生産されていた。この三〇〇年に、かつお節の生産はどう変わったのか。生産にたずさわった人びとの生活はどう変わったのか。現地調査で証言を集め、“かつお節ネットワーク”のダイナミズムを描く。

「かつお節」は、いつごろから食べられるようになったのか、そして、どこで作られてきたのか?
「かつお節」って、「日本の伝統食品」というイメージがありますよね。
日本料理の「だし」をとるには欠かせませんし。

 地味なかつお節がつなぐ地味な人と町と村と島をたどると、時間でおよそ300年、空間でおよそ4000キロにおよぶかつお節を取り巻く世界が広がってくる。それはおよそどんな世界なのか。どんな歴史の中で、どんな人びとが、どう動いていったのか。そこから何がみえてくるのか。

この本によると、いまと同じようなかつお節というのは、17世紀の終わり頃に、土佐(いまの高知県)でつくられるようになったそうです。
土佐藩の名産品として製法は秘密にされていたそうですが、次第に各地に伝播していきました。
かつお節の消費地は、江戸、大坂、京都などの大都市に限定されており、地方で食べられることはありませんでした。
それが、全国的に広まったのは、明治維新後、日清・日露戦争で、日本陸軍・海軍の携行食として利用されたのがきっかけだとされています。
軍隊でかつお節の味を覚えた人たちが、戦後、各地に散らばって、かつお節を広めていったのです。
(ただし、一般家庭でふだんから使用されるようになったのは、太平洋戦争後だそうです)


この本のなかでは、需要の増大にともなって、鹿児島や沖縄、台湾、そしてインドネシアなどの南洋の島々にまで「かつお節生産」が広まっていった経緯と、敗戦にともなう衰退、そして、戦後、日本の復興にともなって、再び需要を増していったという歴史が、そこで働いていた当事者たちの証言をまじえて、語られています。
戦争が激しくなるまで、南洋諸島でかつおを獲り、かつお節をつくって生活したいた人たちが、みんな「戦争さえなければ、ずっとあそこで暮らしたかったと話していたのが印象的でした。


 1960年代、かつお節業界は、化学調味料におされて、かつお節の需要は頭打ちになるのではないかと危惧していたそうです。
 そこに登場した「画期的な商品」が、かつお節業界を救いました。

 事態は1960年代末に急展開する。
 1969(昭和44)年、かつお節のマーケットを一変させる画期的な商品が、かつお節問屋の老舗にんべんから発売された。「フレッシュパック」という名で売り出された削り節の小口パックである。今から40年以上前のこの商品が、かつお節という伝統食材の消費を増やしつづける魔法の杖になった。

「単に削って小分けして袋に入れただけじゃないの?」
と、物心ついたときには、フレッシュパックのかつお節があたりまえだった僕は思ってしまうのですが、当時としては、画期的な商品だったみたいです、これは。
削り節の風味を劣化させない技術の開発にも、かなりの苦労があったのだとか。
それまでは、毎回「かつお節」の塊から、使う分だけ削って使用していたのですが、削る手間が不要になったのは、かなり大きかったのです。


日本の伝統食材というのは、どんどん需要が低下してきているようなイメージがあるのですが、かつお節は例外のようです。

 1960(昭和35)年に6348トンだったかつお節の生産量は1980(昭和55)年に2万2162トン、そして2010(平成22)年には3万2759トン、と増加を続けている。近年では輸入のかつお節も増えており、これを加えると、2011(平成23)年の供給量は、3万5775トンに達している。まさに空前絶後のかつお節ブームといってもよいくらいだ。


 ただし、「かつお節ブーム」といっても、あの「堅いかつお節」の需要が増えている、というわけではないようです。

 2009(平成21)年、大手食品メーカー味の素は、「お塩控えめの・ほんだし」という商品名のだしの素を発売開始した。売り出しの文句は、「かつお節をたっぷり使って、塩分を30%カット」。各食品会社が力を入れているめんつゆ食品にも、「追いがつお」など、かつお節をたくさん使っていますよ、という宣伝文句が目立つ。こんにちの調味料・めんつゆ市場は、塩分や醤油を減らしてかつお節を増やした、というアピール合戦になっている。


 実際は、多くの日本人がかつお節を日常的に使うようになったのは、太平洋戦争後で、しかも、「フレッシュパック以後」なんですね。
 日本が豊かになったことによる「健康志向」も、かつお節業界には追い風になったのです。
 「伝統食」の意外な素顔。
 
 
 かつお節の歴史は、日本の地方の産業の振興や、明治維新後の日本と南洋諸島との関係の歴史でもあります。
 いま、茨城県大洗町の水産加工会社では、インドネシアから日系人が出稼ぎに来ているそうです。
 彼らは、明治維新〜太平洋戦争前に、生活苦から抜け出そうとインドネシアに移住していった日本人の子孫なのです。
 かつお節を通じてみた、日本と世界のネットワーク。
 読んでいるだけで、なんだか、長い時間と遠い距離の旅をしてきたような気分になる、そんな新書です。

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