琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】なぜ時代劇は滅びるのか ☆☆☆☆


なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)


Kindle版もあります。

なぜ時代劇は滅びるのか(新潮新書)

なぜ時代劇は滅びるのか(新潮新書)

内容紹介
本書は、死に瀕した時代劇への〝檄文″である――。


かつて映画やテレビドラマで多くの人々を魅了した時代劇も、2011年には『水戸黄門』が終了し、民放のレギュラー枠が消滅。もはや瀕死の状態にある。その理由はひとこと。「つまらなくなったから」に他ならない。
「高齢者向けで古臭い」という固定観念、「自然体」しか演じられない役者、「火野正平(=いい脇役・悪役)」の不在、マンネリ演出を打破できない監督、何もかも説明してしまう饒舌な脚本、朝ドラ化するNHK大河ドラマ・・・・・・。
そのいずれもが、時代劇凋落の〝戦犯″である。はたして時代劇は、「国民的エンターテインメント」として復活できるのか――。
『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『あかんやつら』の著者、「時代劇研究家」の春日太一が、長年の取材の集大成として、ありったけの想いを込めて綴る時代劇への鎮魂歌。


(目次より)
第一章 時代劇の凋落
第二章 時代劇は「つまらない」?
第三章 役者がいない!
第四章 監督もいなくなった・・・・・・
第五章 そして誰もいなくなった
第六章 大河ドラマよ、お前もか!


 いまの僕は、さほど時代劇に思い入れはなく、テレビから時代劇が消えていくことに対しても、「まあ、『時代遅れ』なんだから、しょうがないんじゃないかな」という感じなんですよね、率直なところ。
 子どもの頃は、『必殺仕事人』とか、大河ドラマの『徳川家康』とか『武田信玄』とかを、熱心に観ていた記憶があるのですけど。
 うーん、時代劇って、同じような人が出てきて、同じようなストーリーばかりで、マンネリ化していたからねえ……
 時代劇って、「そういうもの」だしさ。


 しかしながら、時代劇を愛する著者は、僕のそのようなイメージに対して、異議を唱えてくるのです。

「どうして時代劇が不振なんですか。もしも時代劇を不振だと決めるけるのなら、逆に、それでは現代劇はどうなんですかと尋ねたいですよ。時代劇が不振だ、などということはジャーナリズムが勝手に騒いでいることで、私は決して不振じゃないと思っていますけどね」
 これだけを読むと、近年の時代劇関係者が目一杯の強がりを言っている言葉にきこえる。だが、そうではない。これは、今から56年前に語られた談話だ。
 話の主は松田定次。1950年代、日本映画界を席巻していた東映時代劇のエースとして『赤穂浪士』など幾多のオールスター大作を監督してきた、当時では屈指のヒットメーカーである。


 この談話が掲載されたのは1958年なのですが、著者によると、1950年代は、年間150本もの時代劇映画が公開され、この年、1958年の年間配給収入ベスト10には『忠臣蔵』『隠し砦の三悪人』など、5本の時代劇映画がランクインしていたそうです。
 当時の感覚としては、「最近の若者は……」みたいな、やたらと危機感を煽るような与太話だったのかもしれませんね、これ。
 あるいは、現場は、なんらかの「異変」を感じていたのだろうか。

 1960年代に入って、時代劇映画は急激に坂道を転がり落ちていく。
 その大きな要因となったのは、作り手の慢心である。1950年代の大ブームは「とりあえず時代劇を作れば客は入る」と粗製濫造を続けてしまったのだ。観客はそうした時代劇に飽き、やがて見放すようになっていく。


 テレビの普及も、時代劇映画の凋落の原因となりました。
 テレビの影響を受けたのは「映画界全般」であり、時代劇には限らなかったのですが。
 時代劇にとっては、「定期的な収入をえられるテレビシリーズ」がはじまったことにより、必ずしもマイナス面ばかりではありませんでしたし。

 1990年代になると時代劇が再びテレビで活況を呈するようになる。
 その口火となったのは、NHKが1987年に『独眼竜政宗』で歴史劇路線を復活させたことだった。これが大河ドラマ史上最高の視聴率を記録したことで、時代劇復活の気運が各局で高まっていった。また、1980年代後半のバブル景気の波もあり、テレビ局にはスポンサーから大量の資金が流れ込んだことで大掛かりな番組制作を求める風潮ができ、このことが時代劇にも追い風になった。1985年末、日本テレビは12月30日と31日の二夜連続で大型時代劇『忠臣蔵』を製作、翌1986年の『白虎隊』は紅白歌合戦の裏番組史上最高の視聴率を記録した。フジテレビも1989年に『女ねずみ小僧』で時代劇枠を復活させると、続く『鬼平犯科帳』が大ヒット、独自のブランドを築いていった。
 これだけ好調が続くと「右へ倣え」となるのがテレビ番組の常だ。1990年代の初頭にはテレビ時代劇は再び隆盛を迎えている。1990年代前半はNHK(大河を含まず)、日本テレビ、TBS、フジテレビがそれぞれ一枠ずつ、テレビ朝日は二枠、テレビ東京は流動的だが一〜三枠……と毎週の時代劇レギュラー枠は安定して継続、必ず毎日どこかの局で時代劇を観られる状況にあった。
 週に8本の時代劇が放送されるということは、改編期のスペシャル番組を除いて年間45週とした場合、1年に360本もの時代劇が作られていたということになる。時代劇映画が最も多かった時でさえ年間に174本だったことと比較しても、1990年代前半のテレビ時代劇が実はかなりの量産体制にあったことがよく分かるだろう。
 筆者は取材を受ける際、よく「1977年生まれでは時代劇に触れる機会もほとんどなかったのではないか」と聞かれることがあるが、それは全くの偏見に基づいた誤解なのだ。高校時代くらいまでは再放送も含めれば毎日、朝から晩まで時代劇をテレビが流していた。だから、日常の中で時代劇に触れる機会は数限りなくあったのだ。


 僕はこれを読んで、「言われてみれば、そうなんだよなあ……」と唸らされました。
 僕は著者より少し早く生まれていて、『白虎隊』も観たはずなのに、「時代劇は、生まれてから、ずっと右肩下がりで凋落していった」というイメージを持っていたのです。
 実際は、「テレビで時代劇がもっとも隆盛だった時代」を10代〜20代で体験しているはずなのに。
 そういえば、子どもの頃は、夕方の時代劇の再放送とかも、よく観ていた記憶があります。
 10代〜20代というのは「時代劇なんて、お年寄りが観るものだろう」なんて敬遠していた、というのも事実ではあるのですが。
 古い時代を扱ったものだから、今の時代に合わない、なんていうのは思い込みでしかないのです。
 1990年代も、2014年も、江戸時代からみれば「そんなに大きな違いはない」だろうし。


 では、なぜ現在、こんなに時代劇は「凋落」してしまったのか?
 著者は、徹底的に取材し、現場の声を聞き、さまざまな原因を挙げていきます。


 そのなかに、こんな話が出てきます。

 では、1990年代前半にあれだけ重宝された時代劇が、わずか数年の間になぜ一気に敬遠される存在になってしまったのだろうか。
 テレビ時代劇の危機を生んだ大きな原因は、視聴率の調査方法が変わったことにある。先の年表を改めてご覧いただきたいのだが、テレビにおける時代劇の凋落は1996年に始まっている。
 この年は、視聴率の調査法が「世帯視聴率」から「個人視聴率」へと移行した年でもあった。これまでは「何世帯が観たか」という調査だったのが精密化され、「どんな世代・性別の人間が観たか」までもが判明するようになったのだ。
 そして時代劇は「圧倒的に高齢者ばかりが観ている」ということが数字をともなったデータとして示されてしまう。購買力が弱いとされるこの層を、自動車・家電メーカーといった大口スポンサは敬遠しがちだ。そのため、製作費がかかる上にスポンサーも集まりにくい時代劇のレギュラー枠を維持し続けることに、営業サイドと広告代理店が難色を示すようになったのだ。


 「視聴率」そのものは悪くなくても、高齢者ばかり観ているようでは、広告としての効果に乏しい、という見かたをされてしまったのが、時代劇の凋落を生んだのです。
 その後の長引く不況と、日本の高齢化を考えると、「高齢者マーケットを狙う」というのもひとつの戦略だったのかもしれませんが、当時は、まさかここまで日本の経済が低迷を続けるとは、みんな思っていなかった、あるいは、想像したくなかったのですよね……


 著者は、そういう「時代劇をとりまく環境の変化」だけではなく、「作品そのものの質の劣化」についても、厳しく指摘しています。
 1話分の予算が決まっているため、「手抜き、ワンパターンな話」を量産することによって、製作費を浮かせてしまう現場の実態や、具体的な役者さんの名前を堂々と挙げて、「この人の演技は(時代劇としては)よくない」と批判しているのです。
 だいじょうぶなのかな……でも、だからこそ、この新書からは、著者の「時代劇への愛情」と「覚悟」が伝わってくるんですよね。

 近年の時代劇をつまらなくしているのは、「時代考証」を作り手が意識するあまりに表現が窮屈なものになっていると考えていたからだ。
 ほとんどの時代劇がワンパターンの勧善懲悪に走る中で、ドラマ性豊かな時代劇の孤塁を守り続けてきたのがフジテレビの『鬼平犯科帳』だ。が、この『鬼平』もまた、「時代劇をつまらなくした」要因の一つを結果として生み出してしまった。
 時代劇とは「史実はこうだった」を伝える「歴史的事実の再現」ではない。「こんな人がいたら面白い」「こんなことが起きたら面白い」を描く《創作されたファンタジー》である。『鬼平』もまた、そうしたファンタジー性豊かな時代劇だ。
鬼平』の大きな魅力は、京都の風光明媚なロケーションを活かした四季の情感漂う映像や、当時の生活風俗の考証に基づいて作られた小道具といった、画面の細部まで丁寧に表現することで、これまでのテレビ時代劇が切り捨ててきた《情緒あふれる江戸》という世界を構築しているところにある。そのため、視聴者は「こんな江戸があったらいいな」というファンタジーに酔いしれることができた。
 問題は、あまりに完璧に世界が構築されているために、「これが本当の江戸だ」と錯覚する視聴者も現れたことだ。折悪く、『鬼平』がレギュラー枠で放送された1990年代は杉浦日向子らによる《江戸ウンチク》に代表される江戸時代への懐古趣味的なブームも重なった。『鬼平』の《江戸情緒》は、作り手たちの狙いとは関係のない形で、その一環として消費されることになってしまった。
 問題は、『鬼平』の完成度の高さは、他の作り手たちにもまた、それが《正解》であるかのような錯覚を抱かせてしまったことだ。どんな作品も、とにかく「江戸時代の再現」を意識したような考証や情緒が重視されるようになっていった。そうなると、ただでさえ狭まっていた時代劇の表現の幅はさらに狭まる。


 ネットの普及もあり、「時代考証」にこだわり、「こんな物や、言い回しは、この時代にはなかったはずだ」と指摘する人も増えてきました。
 僕も「歴史好き」として、そういうことを言いたくなる気持ちは、よくわかるのです。
 しかしながら、「時代劇は、研究者による再現フィルムではなくて、現在を背景にしては描けないようなファンタジーが許されるための舞台設定なのだ」というのも、確かにそうなんだよなあ、と。
 最近の時代劇を観ていると、ちょうど著者や僕と同じくらい、1970年代生まれくらいの作家のなかに、山田風太郎さんが描いていたような「伝奇もの」への回帰を感じることがあるのです。
 過剰なまでの時代考証へのプレッシャーの時期をこえて、時代劇は、研究発表じゃなくて、エンターテインメントなんだ、という「原点」に、戻りつつあるような気がします。
 まあ、ネットではこれからも、いろいろ言われ続けることにはなるでしょうけど。


 往年の時代劇に出演していた名優たちのエピソードには、圧倒されてしまいます。

 また、仲代達矢にとって大きかったのは黒澤明監督の『七人の侍』にエキストラ出演したこと。この時の仲代は俳優座の養成所の練習生で、時代劇は初挑戦だった。役柄は、雑踏を歩く浪人の一人だったが、黒澤は「その歩き方では刀の重みが感じられない」と、撮影を止めて半日にわたり仲代を指導した。仲代は「次に時代劇の話が来た時は絶対に失敗しない」と反省し、映画デビュー後、ギャラを使って自宅の庭に稽古場を作り、そこで所作を徹底的に特訓している。
 後に仲代はこの稽古場に劇団「無名塾」を立ち上げる。そこで育ったのが役所広司。彼は新人の頃から仲代主演の京都の時代劇に出演していた。が、その動きは時代劇の手練れであるスタッフたちの失笑を買っていた。そこで役所は、朝は誰よりも早く撮影所に行って、失敗した箇所についてのアドバイスをスタッフに聞いて回ることにした。
 このように自ら進んで芝居を身につけようという者が、今はどれだけいるのだろうか。
 むしろ近年の役者たちは「時代劇だからといって肩肘はらない芝居をしたい」「今までの時代劇と違う、現代劇のようなナチュラルで日常的な演技をしたい」などと言って、《時代劇の芝居》を避ける風潮がある。だが、それで観客を唸らせることができるのなら、かつての役者だってわざわざ苦労はしなかったはずだ。
 これは時代劇に限った話ではないが、その役柄に合った芝居をしなければ、観客の心を打つことはできない。時代劇の場合は異世界の役を演じるため、現代劇よりもその役作りには段階と技が必要になる。「現代劇と同じようにやりたい」などという言葉は、筆者には手抜きのための言い訳にしか聞こえてこない。


 昔の役者たちは、ここまで必死だったのか……
 僕自身は、時代劇に出演している役者さんたちの「いかにも時代劇、という感じの青筋たてたような演技」って、あまり好きじゃないな、と、思っていたのです。
 なんか、つくりすぎているみたいで。
 でも、そういう演技が「時代劇らしい」とされてきたことには、それなりの理由もあるのです。
 ある役をこれまで演じてきた人たちや、その歴史への「敬意」みたいなものがあれば、それなりに研究してみようと思うはずなんですよね。
 その結果として、考えた末の「自然体」であるのならともかく、「なんとなく時代劇らしい演技って、古くさいから」というようなアプローチをしてしまう役者が多いことを、著者は嘆いているのです。
 それは、単なる「手抜き」ではないのか、と。


 時代劇というのも、「ずっと昔のままでいい」というわけではないと思うんですよ。
 1950年代の時代劇のなかで、いま観ても面白いものは、限られているはずです。
 リアルタイムで観ても、つまらないものは、つまらなかった。
 でも、「時代劇」を作る人たちに受け継がれるべき財産は、確かにあるのでしょう。

 
 「時代劇として、失ってはならないものばかりが、失われてしまっていること」への悲しみと憤りが、切実に伝わってくる一冊でした。

アクセスカウンター