琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない ☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
就職がしんどい―よくよく考えれば異常だ。内定が出ない。苦労の末に入った会社はブラック企業。転職も厳しい。いつの間に日本人は、こんなに「仕事」で悩むようになったのだろう。どうやら僕たちは「働く=就職」と勝手に思い込んでいないか。なぜか。安定した収入が欲しいから。じゃあ、それは食うため?好きなことをするため?ところで、お金って、そんなに必要なの?「評価経済社会」の到来を予言した稀代の評論家が、そこで生き抜くために「仕事サーファー」「愛されニート」をめざせと提言。金儲けからもストレスからも余計なプライドからも解放された、なんとなく気持ちのいい新しい働き方を紹介する。


 岡田斗司夫さんの著書。
 就職論、仕事論というよりは、いわゆる「評価経済社会」に関する岡田さんの考えが書かれているものです。
 僕はこれまで、岡田さんの著書をほとんど読んできているのですが、率直な感想としては「これまでの岡田さんの著書で読んだことがあるような話の繰り返し、焼き直しが8割くらいだな」と。
 もしこれまで、岡田斗司夫さんの本を読んだり、話を聞いたことがない、あるいは「評価経済社会」って何?という人は、もっと新鮮な気持ちで読めるのではないかと思います。

 そもそも「働く」とは何か? 「就職」とはいったい何なのでしょうか?
 いまの僕たちは、「働く」というのは「どこかの会社に雇われる=就職すること」と自動的に考えています。
 でも、人間が働くというのは、必ずしも就職とはかぎらないはずです。
 たとえば、おじさんおばさんが「むかしの人間はちゃんと働いていた」と言う、そのむかしのことを考えてみてください。1950年代の日本では、女の人はほとんど就職していません。女の人に就職口があまりなかった時代です。
 当時の日本の人口は8000万人。そのうち半分が「非・就職人口」だったのです。
 では、残り4000万人の男は就職していたのか?
 定年はいまよりもっと早かったし、子供は就職できない。仕事の大半は「就職
」ではなく家の田んぼや畑を耕す「家業」であり、そのほかは「工事の日雇い」「店の手伝い」など、いまで言うアルバイト的な雑用です。
 人口のほとんどが「働いている」けれど「就職していない」。
 じつは日本の人口の4分の1、2000万人弱しか当時は「就職」していませんでした。
 もともと日本人の4分の1しか就職していなかったのに、いまは二十歳くらいになったら全員が大学に行って、全員が「就職しなくちゃ」と考えている。ちょっと異常な国家になってしまいました。
 では、そのむかし、国民の半分にあたる女の人は働いていなかったのか?
 そうじゃない、専業主婦をやっていたり、子育てするお母さんをやっていたり、というかたちで働いていたんです。
 けれども、いまの女の人は、大学を卒業したらお母さんをやろうか、とは考えないですよね。とりあえず働いたあとで結婚しようか、と多くの人が考えます。つまり「結婚」を「働く」という行為のなかに入れていません。「就職」することばかり考えています。
 僕たちがいまいるのは決して当たり前の場所ではない。僕たちが暮らしているのは、この数十年のあいだにいつの間にか成立してしまった、「国民が全員、一度は就職を考える」という、かなり特殊で異常な国家であることをまずは念頭に置いてください。
 ほんとうは「働く」ことが大事なのに、いつの間にか「就職=会社に雇われる」ことばかり考えている。結果として、二十歳くらいから二十三歳くらいまでのあいだ、国民の関心が「就職」にしかないというヘンな国家になっているんです。


 ああ、いわれてみれば、確かにその通りだよなあ、と。
 大人が「働く」べきである、というのはわかる。これまでの人類の歴史でも、さまざまな形での労働で、生命を支えてきたのだから。
 でも、最近の日本では、「働くこと」=「会社に雇われること」であり、「世間で『良い』といわれる会社に就職すること」ばかりがクローズアップされているのは事実でしょう。
 なかには起業する人もいて、岡田さんもそれを薦めているのですが、その「起業」というのは、一部上場企業を立ち上げる、というレベルの話ではなくて、「身近な人のお手伝いをしながら、生活に必要なコストを絞って生きていくようなやりかたもあるのではないか?」ということなんですよね。
 みんなが、「意識の高い人たち」のグローバル思考に影響され、「良い会社に就職する」という狭き門に殺到することが、こんなに「働きづらい時代」「生きづらい時代」の要因になっているのではないか。
 そして、なんとか就職できたとしても、それで安泰とはかぎらない。
 厚生労働省の統計によると、2009年に大卒で入社してから3年以内で、その会社を辞めた人の割合は、28.8%だそうです。3割くらいの人が、3年以内に辞めてしまっているのです。
 さらに、「会社」というのも、そんなに長続きするものではなくなってきています。

 僕たちはつい、企業の命はもっと長いと信じています。会社といえば、ふつうは50年も60年も続くもの。そう思われていたからこそ、法人をつくると信頼されたのです。
 ところが1983年には、大企業を含めても会社の寿命は平均30年と判明しました。さらに2009年の統計では、日本の企業が7年、アメリカの企業にいたっては5年が寿命とわかってきた。


 こういうのは「乳幼児死亡率が高い国の平均寿命」みたいなもので、泡沫会社がつくられすぐに消えてしまっているから、という面もあるとは思うのですが、それにしても、「日本で7年、アメリカで5年」とは……
 結局のところ、「どんなに気合いを入れて就職先を探しても、一生そこでやっていける可能性は、そんなに高くはない」ということなんですよね。
 僕もビジネス本を手にとることがありますが、そこで自分のことを語っている人たちのほとんどは、途中で転職や企業を経験しています。
 もちろん、最初に入った会社でのトレーニングや人脈が大切、なのかもしれませんが。
 でもまあ、「最初の就職で人生が決まってしまうことは、意外に少ない」というのは、知っておいて損はないでしょう。
 僕自身の経験からすると、「最初に自分をあてはめてしまった枠から飛び出すのは、なかなか大変だという人間も少なくない」のですけどね。


 岡田さんは、「そもそも、ふつうの人がふつうに生活をするのに、そんなにお金が必要なのだろうか?」と問いかけてきます。
 もっと「うまいやりかた」があるんじゃないか?と。

 お金はどう使うのか?
 たとえば、携帯音楽プレイヤーを買うのにお金は必要です。
「ほらな、やっぱり世の中、カネだよ」
 急いではいけません、たしかに携帯音楽プレイヤーを買うためにはお金がいります。でも、お金だけが入手するための「たった一つの冴えたやり方」なのでしょうか?
 僕が思うに、携帯音楽プレイヤーを入手するには6種類の方法があります。


(1)新品を定価で買う
(2)ネットで安く買う
(3)中古をネットで買う
(4)何かと交換してもらう
(5)だれかからもらう
(6)必要なときだけ借りる
(7)(盗む)
(8)(懸賞などに応募する)


 (7)は非合法だし、(8)は確実性が低いので除外しました。これで6種類です。
 仮に定価の1万円で新品を買う方法から、9000円台でネット通販を通して安く買う方法、さらにその先へ行くにつれて、値段はどんどん下がっていきます。
 欲しいものを手に入れるためにはお金が必要だ……と頭をめぐらせているとき、だいたいは(1)と(2)しか考えていないんですね。
 では、(3)(4)(5)(6)は、(1)の新品で買うことができない負け犬の方法なのでしょうか?
 まともな人は新品を定価で買って、それよりちょっとダメなやつがネットで安く買い、それよりもっとダメなヤツが中古で手に入れて、いちばんダメなのはだれかからもらうヤツ?


 岡田さんは、この問いに対して、「違います」と、明確に否定しています。
 (4)〜(6)には、そういうことが可能な「人間関係」が背景に存在しているし、その品物には「誰かに語ることができるストーリー」まで付随しているではないか、と。

 携帯音楽プレイヤーを買うのに1万円が必要。その1万円ぶんを働いて稼ぐ時間と手間をかけるよりは、だれかから借りたり、もらったりするために使う時間や手間のほうがたぶん小さい。
 言われてみれば当たり前な気もします。
 でも、僕たちはいつも「買うこと」、つまり、いちばん外側のまわり道ばかりを考えてしまいます。
 なぜかといえば、煩わしさから逃れるためなんですね。
 だれかに頼むためには、「俺、携帯音楽プレイヤーが欲しいんだけど、だれかもってないかな?」と言わなくてはなりません。それでダメなら、また別の場所で聞いてみる。かなり面倒です。
 東京までクルマに乗せていってほしいなら、だれかに頼まなければならない。乗せてもらう以上、黙って寝ていちゃダメ、やっぱり何かおもしろい話題を提供したり、ちょっとしたサービスをしないといけない。
 こうした煩わしさがともなうわけです。
 でも、僕たちはこれを過大評価していないでしょうか。
 むかしの人なら当たり前にできた「気づかい」とか「間合い」とか、現代人はほんとうに不得意です。いや、不得意だと感じるんじゃなくて「絶対にイヤ」「カネを払ってでも避けたい」と感じてしまう。
 この煩わしさを最小にするために、「お金という手段」を使うことしか思いつかない。ほかの手段を思いつかなかったから、僕たちはいつの間にか「意味もなく必要以上にお金を使いすぎる」民族になってしまった。
 じつはこれが「昭和経済成長」の原動力であり、同時に、僕たちがお金を必要とする最大の理由なんですね。食うためにお金がいると言っていますが、人間の支出の7割は食うためじゃない。煩わしさを逃れるために使っています。


 僕などは、これを読みながら、「でも、いまさら『気づかい』とかですり減っていくよりは、お金で解決できるところは、そうしたほうがラクだよなあ。そもそも、世の中がこうなってきたのも、僕みたいな人のほうが多数派だったからじゃないの?」って思ってしまうんですよ。
 ただ、世の中には「毎日会社に出勤して残業して、給料をもらい続ける生活」よりも、必要なときにだけ他者にサービスをして、自分の自由な時間を確保して生きる」ほうが向いている人もいるんだろうなあ、という気はするんですよね。
 ネットで、共通の趣味・目的を持つ人たちが「つながりやすくなった時代」になっていることを考えれば、「自分にとって必要な人を探すためのコスト」は、確実に下がっているはずですし。


 人口が減り、経済規模が縮小していく日本という国では、働きかたや、お金の使い方も、同じくらいの人口だった時代を参考にしていくべきなのかもしれませんね。

 ITネットワークの発達が、僕たちの貨幣経済社会を破壊したと言いました。その結果、社会は大きく変化して、ITによるまったく新しい評価経済社会が定着しつつあります。ぼくたちの新しい社会です。
 ツイッターとかで暴露事件が起こるたびに、ITが発達した社会では何も隠し事ができないと、僕たちは恐れています。
 でも、大部分の人にとってはまったく関係がない。なぜなら、悪いことをしたらバレる世界になってしまったということは、いいことをしたら「この人はいい人だ」と評判になる社会になったということでもあるのですから。
 つまり、大部分のふつうの人にとっては、これまで表立って評価してもらえなかった「いいこと」が、ちゃんとわかってもらえる世界になったのですね。
「陰徳を積む」という言い方がありますが、評価はされないけれど陰でがんばっている人を見殺しにしないで、だれかが「でも、あいつはやってるで」と言ってくれる社会になったということなのです。
 自分がそう言ってもらうためには、そう言い合える関係性をちゃんと築いておく必要があります。それがコミュニティ。
 コミュニティに自分のキャラクターを「いい人」と認識してもらう。
 それが「いい人戦略」。
 ネットワークが発達した社会だからこそできる戦略です。


 ツイッターに冷蔵庫に入った写真を投稿したり、コンビニの店員さんを恫喝した動画を公開したりして「炎上」してしまう人たちもいるのですが、ネットを利用している人の数を考えれば、そういうふうに「炎上」してしまう人は、ごく一部なのです。
 ネットをやっていると、ちょっとした言い回しなどで炎上し「ここまでバッシングされなくても……」と感じる事例もあるんですけどね。


 大部分の人は「隠し事ができないと気恥ずかしいし、怖いけれども、実際には『暴露されるとものすごく困る』ようなことを持ってもいない、普通の人間」ではあります。
 それなら、「良いことをすれば評価され、悪いことをすれば糾弾される」というのは、そんなに心配するようなことではないのかな、と。
 その逆よりは、はるかにマシな世界だろうし。


 この新書、これまで「評価経済社会」という考え方に触れたことがない人にとっては、わかりやすく、具体例も豊富なので、格好の入門書だと思います。

 

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