琥珀色の戯言

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【読書感想】創価学会と平和主義 ☆☆☆☆


創価学会と平和主義 (朝日新書)

創価学会と平和主義 (朝日新書)

内容(「BOOK」データベースより)
公明党が賛成した集団的自衛権。しかしそれは“名ばかり”のものにすぎない。閣議決定を骨抜きにしたのは、創価学会の平和主義だった。「公明党」「創価学会」と聞いた瞬間、思考停止してしまう人が多いが、目を凝らしてよく見てみよう。はたして、その「平和主義」は本物か?組織の論理と「池田大作」の思想に、知の怪物が迫る。


 宗教がらみ、それも「創価学会」となると、この新書を手にとるのも、ちょっと身構えてしまうところがあるのです。
 これをレジに持っていったら、「ああ、学会員の人なのか」と思われてしまうのではないか、とか。
 

 僕は創価学会員ではありません。周囲にも熱心な学会員は(認識している範囲では)いません。
 選挙のときに「とりあえず面識くらいはある人」から、投票依頼の電話がかかってきて、「ああもうめんどくさい。この候補者には入れないようにしよう」と少し憂鬱になるくらいのものです。
 しかし、多くの会員がいて、全国各地に立派な集会所みたいなものが建てられているこの「宗教」の信者と、社会生活上あまり接点がないというのも、それはそれで不思議なものではありますね。
 というか、実際には多くの学会員たちと日常的に接しているはずなのに、それを実感させられるのは選挙のときくらいのものなのです。
 そういう意味では、創価学会の人たちは、みんなうまく現実に適応している、と言えるのかもしれません。


 なぜ、あの佐藤優さんが、創価学会公明党をテーマにした新書を上梓したのだろう?
 何か利益を供与されたのでは?
「洗脳」されないようにしなくちゃな、と思いながら読んだのですが、これはそんな「プロパガンダ」ではありませんでした。
 キリスト教プロテスタントカルヴァン派である佐藤優さんが、同じように「信仰を持つ人間」という立場から、なるべくフラットに「創価学会」そして「公明党」が日本の政治に与えている影響について考察した親疎なのです。
 

 特定の信仰を持たない僕としては、「宗教団体が政治に関与している」というだけで、なんだかもう「気持ち悪い」というか「宗教による国家支配」につながっていくようなイメージを持ってしまうのですが、佐藤さんは「宗教団体が、その思想を政策に反映した形で政治に関与するのは違法ではない」と説明しておられます。
 ヨーロッパにも「宗教と結びついた政党」はたくさんあって、ドイツなどでは、与党として国を動かしています。

 二十条第三項の条文を読めば、飯島、石破両氏の認識が決定的に間違っていることがわかる。


<国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない>(日本国憲法第二十条第三項)


 憲法二十条全体の趣旨は、あくまでも国家、つまり政治が宗教に介入することを禁じているのであって、宗教団体の政治活動を禁じているのではない。

 
 問題は「宗教団体が政治に関与することによって、特定の宗教やその教義を国民に押しつけようとしたり、信仰によって差別を行うこと」なのです。


 佐藤さんが辿っていく「創価学会の歴史」を読むと、たしかに「徹底した平和主義」ではあるんですよね。
 それも、社会党(現・社民党)や、共産党のような「無防備都市的な、超性善説の平和主義」というよりは、
現実に沿った「なるべく平和主義」。
 とくに今回の「集団的自衛権」に関しては、法案を「骨抜き」にしてしまうくらい、その自衛権が現実に発動することを難しくしたのは、公明党の力だったそうです。

 本気で集団的自衛権を使えるものにしようとしていた人たちは、何のために無理に無理を重ねた憲法解釈の変更を行ってきたのか、と無力感にさいなまれているのではないだろうか。
 このように、集団的自衛権を行使しようにも、あちこちに「縛り」がかかっていて、ここまで手続きが煩雑で使いづらい集団的自衛権は他の国にはないのではないか。
 公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。

 ではなぜ、公明党だけが、集団的自衛権の行使に「縛り」をかけることができたのだろうか。
 閣議決定に賛成したために、公明党は「平和の党の看板に傷がついた」「平和主義の看板を下ろした」などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。
 もし、公明党がその選択を行っていたら、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点で公明党はその機能を果たしている。


 公明党は「連立与党」の一員だからこそ、集団的自衛権に「実質的な歯止め」をかけることができたと、佐藤さんは仰っています。
 この新書を読むと、そのプロセスと、公明党の「現実主義」がよくわかるのだけれど、僕としては、公明党のその「現実主義」が、ちょっと気持ち悪いな、とも感じるのです。


 佐藤さんは、『新・人間革命』から、次のような言葉を引いて、創価学会の政治へのスタンスを解説しています。

 憲法二十条の精神に照らし合わせれば、創価学会が学会員を政界に送ることも、学会自体が政治活動を行うことも自由だとしながら、宗教と政治では、現実に起きている問題に対するアプローチが異なると続ける。

<たとえば、核兵器の問題一つとっても、核兵器は、人類の生存の権利を脅かすものであり、絶対に廃絶しなければならないという思想を、一人ひとりの心に培っていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害が絡み合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的に削減交渉などを重ね、協議、合意できる点を見いだすことから始まる。
 また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ>(『新・人間革命』第5巻)

 宗教と政治は位相を異にするという認識から、池田(大作)氏は「政教分離」を捉えている。


 ああ、こういうのって、敬虔なキリスト教徒であるのと同時に、権謀術数うずまく外交の世界で活躍してこられた佐藤優さんにとっては「しっくりくる」のだろうな、と思うんですよ。
 でも、宗教的でも、政治的てもなく、1970年代はじめに生まれ、「平和教育」を受けてきた僕にとっては、この池田さんの言葉というのは「宗教家としては、あまりにも現実に妥協しすぎているというか、これはもう宗教家ではなく、『政治家』の発言なのではないか」という違和感があるのです。
 宗教家であれば、自分の信仰に基づいて行動するべきではないのだろうか?
「教えの絶対性」を貫くべきではないのか?


 言い方は悪いかもしれませんが、「あまりにもうまく現実社会に適応しすぎている」と思ってしまうんですよね。
 前述したように「宗教を基盤として、政治活動をすること」に対して、諸外国ではむしろ「当然のこと」と考えられており、だからこそ「政教分離」の徹底が重視されているのですが、日本の場合、宗教と政治が結びつくことそのものに、ものすごく危機感があるような気がします。
公明党創価学会の関係」について、池上彰さんがテレビ東京の選挙特番で言及したことが、ネットを中心に大きな話題となったのは記憶に新しいのですが、考えてみると、「創価学会が日本という国から受けている具体的な恩恵」というのも、思いつかないんですよね。
 ただ、「あそこは『宗教』だから、理解不能というか、気持ち悪い(気がする)」という感情は、なかなか打ち消すことができないのだけれども。
 僕自身「ある宗教を徹底的に信じている人は、取っ付きにくい」というイメージがありますし。
 逆にいえば、キリスト教をちゃんと信じている佐藤優さんは、他の宗教を信じている人への抵抗感が少ない、あるいは、その心のうちが理解しやすい、というのもあるのでしょう。

 いま、公明党は躍進の好機だと私は思う。
 10センチの定規を思い浮かべてほしい。5センチの目盛りが、政治的に中道だとしよう。そこに、公明党を除く、日本の主な政党を並べてみよう。
 最も右、10センチの目盛りのところに小さな点でいるのが、日本維新の会(2014年9月21日から維新の党)や次世代の党。
 その少し左の大きな塊が自民党
 自民のすぐ横から4センチくらいのところまで、かすかにかかっているのが民主党
 最も左、ゼロの目盛りが共産党
 その少し右寄りの小さな点が社民党だ。
 この定規を俯瞰すると、日本の政党は、5センチの目盛りよりも右に集中している様子が見えるだろう。
 一方、国民の政治意識は世論調査などから推測すると、極右、極左を除いたところに均等に分布しているのだ。
 つまり、政治意識が中道左派にある国民の利益を代弁する政党が存在しないことになる。
 国際基準で言えば、オバマ米大統領の出身母体である民主党、イギリスの二大政党の一つで中道左派労働党、ドイツの中道左派政党で、現在連立政権に参加している社会民主党が占めている位置がそうだ。各党の勢いを見れば、マーケットとして十分に成立している。
 しかし、日本の政治においては、このゾーンが、ガラ空きなのである。日本の有権者で、中道左派のゾーンに投票したい人にとっては、マーケットに”ほしい商品”が置かれていないのだ。
 いや、正確に言えば、このマーケットには公明党がいる。しかし、支持者以外に広がりにくい”商品”だから、一見さんが手に取るには抵抗がある。
 だからといって現在の社民党では影響がなさすぎる。
 結局、選挙のときに、5センチの目盛りから右にいる政党に投票したくない有権者にとって、現実に影響を与えうる政党という観点からの選択肢は、消去法でいくと公明党共産党しか残らない。


 ああ、これは本当によくわかる。
 僕自身も、この目盛りでいくと「中道左派」に属する人間だと思うのですが、選挙のときに「入れたい政党」が無いんですよね。
 共産党の政策は非現実的で、勢力的に国政へのインパクトが小さいし、民主党自民党と似たり寄ったりだし。でも、公明党は「創価学会」だから、論外……
 このゾーンに共感する日本人は、少なからずいると思うんですよ。
 ところが、ニーズが満たされていないのだよなあ。
 佐藤さんが考えているよりも、日本国民のなかに「公明党」「創価学会」への違和感は浸透していると思うので、「じゃあ、公明党にしよう」という人は、そんなにいないような気はしますけど。
 

 正直、これを読んでも、半信半疑ではあるのです。
「そうか、創価学会を、あまり特別視しすぎるのも『洗脳されている』ようなものなのかもしれないな」というくらいのことは考えたのですが、突然、信仰に目覚めるなんてこともなく。
 池田大作という人が、あまりにも崇拝されているのも、信者ではない僕にとっては、なんだか気持ちが悪いのも事実です。


 それでも、日本の平和主義が、創価学会の恩恵を受けているということは、これを読んで理解できたような気がします。
 というか、その他の「平和主義者の日本人」は、何やってるんだろうな、と自戒せずにはいられませんでした。


 

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