琥珀色の戯言

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インターステラー ☆☆☆☆☆



あらすじ
近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。


参考リンク:映画『インターステラー』公式サイト


 2014年35本目の劇場での鑑賞作品。
 金曜日の21時からのレイトショーで、観客は20人くらいでした。
 最近寝不足気味でもあり、3時間近い長尺なので、観るかどうか、ちょっと迷ったんですよ。
 最初は、砂だらけの世界で設定もよくわからず(あまり背景説明的なパートもなく)不親切な映画だなあ、と思っていたのです。
 トウモロコシ畑に親子といえば、あの『フィールド・オブ・ドリームス』だよなあ、なんて、ぼんやりと画面を眺めていたら、なんか意味不明のサインが出てきて、こんなのよく読めるな、というか、これって、クリストファー・ノーラン監督じゃなくて、M・ナイト・シャマラン監督っぽいというか、あの「後味最悪映画」の『ミスト』っぽくないか……?

 
 なんか「悪いことが起こりそうな予感」に満ちあふれた冒頭部なんですよね、この『インターステラー』って。
 ひとつの救いは、娘のマーフィがものすごく可愛いこと(父親目線で)。
 技術系の父親の趣味に興味を持ってくれる娘なんて、パパ殺しですよ本当に。
 僕も娘がいればなあ……なんて、かなり羨ましく感じてしまいました。
 「パパの下着と一緒に選択しないで!」というのが現実で、もしかしたら、この映画最大のフィクションは、このすばらしい娘、マーフィーなのかもしれないけれど。

 
 宇宙飛行士の孤独、時間の流れが地球とは違うことの悲劇、そして、人類の運命と自分の家族を天秤にかけること。
 「家族と離ればなれになって、二度と会えなくても、人類の未来を切り開く」のと、「たとえともに滅びるとしても、家族と運命をともにする」のと、どちらを選ぶのか?
 そんなの、家族って私的なことよりも、人類の未来のほうが「大事」だろ?
 子供の頃、僕はそう思っていたのです。


 手塚治虫の『どろろ』を読めば、「そりゃ、天下を取るためなら、子どものひとりくらい魔物にくれてやっても、おかしくはないな」と納得し、『史記』で、敗走する劉邦が、のちの二代皇帝になる赤ん坊を「逃げるときの邪魔だ」と馬車から蹴落とす場面に「ひどい父親だけど、まあ、そういうものなんだろうな」と。


 でも、自分が親になってみて、子供のことを考えると、いくら未来人に「英雄」として感謝されようが、いま、ここにいる自分の子供を悲しませたくない、と切実に思うのです。
 映画とかでは、「お前の娘の命と核のボタンを引き換えだ」なんて言われた主人公に「お前の個人的な事情で、核のボタンを悪者に渡すんじゃないぞ!」って言いたくなるのだけれど、僕がその立場になったら、やっぱり、子どもを見殺しにはできないよなあ。


 なんのかんのいっても、子供は「親離れ」してしまうものだから、親のほうが「子離れ」できないのかもしれないけれども。
 この映画のようなケースでは、「長期単身赴任」みたいなものではあるし。
 でも、地球上であれば、「何かあったら、少なくとも帰るための何かはできる」のだよね。
 宇宙にいたら、地球で何が起こっても、本当に「どうしようもない」「ただ、見守るしかない」。
 この差は、ものすごく大きいはず。


 「人類全体のため」という崇高な使命感と、自分自身が愛する人のため、という、根源的な情念、みたいなものとの葛藤。


 これを観ながら、僕は考えていました。
 人間は、本当にそういう状況が訪れたら、未来の人類全体のために、顔を見たこともない人々のために、自分自身を「つなぎ役」あるいは「捨て石」にすることができるのだろうか?


 この映画は、「英雄的」でなければならないことに葛藤した人間たちを描いているのです。
 「人類のための自己犠牲やテクノロジーの物語」のようで、「父と娘の信頼の物語」でもある。


 問題の解決法としては、ちょっとズルい(でも美しい)感じはしたのだけれども、すごく良い映画だと思います。
 僕は、自分がいる世界が「人類の進化の行き詰まり」であり、これ以上テクノロジーは進化しないんじゃないかと漠然と思い込んでいたけれど、たぶん、この世界だって、未来の人間からすれば、「進歩の途中経過」にすぎないんですよね。
 僕たちが、ピラミッドをみて、「昔の人も、案外すごかったんだねえ」と言うように、今の最先端の技術を、博物館で「昔の人は、これでガマンしていたんだねえ」と子どもたちが感心する時代が、たぶん、訪れる。
 それでも、いつか「終わり」は来るのだとしても。


 派手な戦闘シーンも、濃厚なラブシーンもありません。
 にもかかわらず、3時間、僕はこの世界を心地よく漂っていました。
 こういう「なんとか理解できたような気分になれる程度に、小難しい映画」が好きなのは、あるのだとしても。


 トウモロコシ畑が『フィールド・オブ・ドリームス』みたいだって、思ったことを書いたのですが、あらためて考えてみると、この映画はまさに宇宙版『フィールド・オブ・ドリームス』なのですね。


"If you build it, he will come."  (それを造れば、彼がやってくる)



 そうそう、この映画のタイトルを言おうとすると、つい『スターラスター』になってしまうのは、僕だけでしょうか……

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