琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

寄生獣 ☆☆☆☆



海辺に漂着した小さな寄生生物、パラサイト。彼らは人間に寄生しては宿主に擬態し、ほかの人間を食料としてむさぼっていく。そのうちの1匹が至って普通の高校生・泉新一(染谷将太)に寄生するが、脳を乗っ取ることができずに右手に宿る。自身の肉体にパラサイトが寄生して驚がくする新一だったが、彼をミギーと呼んで共生するうちに奇妙な絆を育むように。やがて、彼の通う高校に教師・田宮良子(深津絵里)に寄生したパラサイトやって来る。それを発端にほかのパラサイトが次々と出現し、新一とミギーに襲い掛かる。


参考リンク:映画『寄生獣』公式サイト


 2014年36本目の劇場での鑑賞作品。
 12月1日の「映画の日」、月曜日の21時からのレイトショーで、観客は20人くらいでした。

 地球上の誰かがふと思った。
「人間の数が100分の1になったら、垂れ流される毒も100分の1になるのだろうか」

 ネットでは、賛否両論の、実写映画版『寄生獣』。
 僕は原作が大ブームになったとき、半分くらいまでは「これすごいな」と思いながら読んでいた記憶があるのですが、途中でなぜかフェードアウトしてしまったんですよね。
 今回、映画化されると聞いて、原作を通読してみようかとも思ったのですが、せっかくだから、予備知識があまり無い状態で観てみるのも面白いかな、と。
 というわけで、「あまり原作にこだわりが無い人間の感想」を書きます。


 期待半分、不安半分で観はじめたのですが、タイトル前のシーンで一瞬固まってしまいました。
 この映画を観ていて、3回くらい「ビクッ」となりました。
 マンガの映画化、というこで甘く見ていたのですが、園子温?という名前が浮かび、園子温監督が、先日『行列のできる法律相談所』で、「恐妻家グランプリ」に出演されていたことを思いだすという脱線っぷり。
 

 この映画の場合、園子温映画のような、「精神的にもキリキリと締めつけてくるようなグロ描写」ではなくて、「こういう死体とか内臓とか肉とかをいっぱい出せば、お客さんは『ハード』だと思ってくれるだろ」みたいな計算も見えてきて、途中からはあまり怖くなくなってきたんですけどね。慣れもあるんでしょうけど。
 しかしこれ、PG12なのか……ということは、中学生なら観られるんだな。まあ、そんなものか?
 僕が中1のときにこれを観たら、けっこうトラウマになりそう。高校のあのシーンとか、キツそう。
 テレビ放映するのは、ちょっとキツそうというか、カットだらけになりそうです。


 深津絵里さんたち「寄生獣側」の演技が、二昔前くらいの特撮の悪役みたいで、ちょっと興醒めではあったんですよ。
 映画だし、わかりやすくしなければならないのかもしれません。それに「寄生された人間の不自然さ」をあらわす記号なのでしょうけど、さすがにオーバーアクトなのでは……


 原作はほとんど記憶にない、というか、「犬のかたちをした……」くらいしか思いだせず。
 ただ、「先の展開がわからない」からこそ、よりいっそう楽しめたところもありました。
 「説明過多」になりすぎな山崎貴監督なのですが、長編マンガを前後編、合計4時間くらいにまとめなければならない、ということで、かえって「うまく省略されている」ような気もしましたし。
 「これはフラグが立った!」という部分が、きちんと回収されすぎていて、物足りない感じはしたんですけどね。
 それにしても、『寄生獣』という作品の影響力はすごいな。
 観ていて、こういう設定は『20世紀少年』につながっていったのだな、とか、『悪の教典』って、これに触発されたんじゃないか、とか。
 『寄生獣』のデザイン的には「ちょっとギーガーっぽい」ところもあります。
 受け継いできたものと、後世に与えた影響が、すごく大きな作品だったのだなあ、と。


 とりあえず、観ると「何かを食べて生きる」ということが、なんとなくイヤになってしまう映画ではありました。
 とくに、牛丼とステーキは、しばらく食べたくなくなります。
 ステーキはともかく、警察の人が牛丼を食べているシーンが、なんだかとても、嫌らしく撮られているのです。


 イデオロギーや感情のもつれで人を殺すことに嫌悪感を抱くのは簡単なのですが、「食べるために殺す」ということに関しては、「それが自然の摂理だ」と言われれば、反論できないところはあるのです。


「お前らだって、牛、豚、鳥、羊……さまざまな動物を食べているじゃないか。われわれは『人間』しか食べない」


 でも、自分や身近な人が「食べられる」のは許容できない。
 きれいごとではなくて、「生存競争」なのだと、割り切れれば、ラクになるのかもしれないけれど、それは「人間らしさ」を捨てることでもあるし。
 その一方で、人間は、他の動物を直接、また、同じ人間を間接的に「食いもの」にして、生きているのもまた事実です。


 新一は「人間が考える、『人間らしさ』」で戦うのではなく、「寄生獣の本能を取り込むこと」によって強くなっていくのです。
 それは、人間にとって、進化なのか敗北なのか。
 それでも、生き残らないと、はじまらない。
 

 そして、(少なくともこの映画のなかでは)「生殖ができない」寄生獣たちは、生物として、どこへ「存在理由」を見いだしていくのか。
 逆に「子孫を残せれば、自分はどうなってもいい」と、個としての人間は割り切れるのか。


 ただ、前半だけ観た感想としては、「母性万歳!」で解決されてしまうのではないか、という不安もあるんですよね。
 わかりやすくしすぎちゃう監督さんだし。
 中途半端な「感動の押し売り」は、かえって、この映画の緊張感を奪っているのではなかろうか。


 原作はかなり昔に、しかも途中までしか読んでいない僕は、けっこう楽しめた作品でした。
 後編が来年のゴールデンウィーク前の公開というのを最後に観て、「そんな先なのか……」とガックリしてしまうくらいには。
 


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