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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】スープの歴史 ☆☆☆


スープの歴史 (「食」の図書館)

スープの歴史 (「食」の図書館)

内容(「BOOK」データベースより)
石器時代や中世の昔からインスタント製品全盛の現代まで、スープの歴史を豊富な写真とともに大研究。西洋と東洋のスープの決定的な違い、戦争との意外な関係ほか、最も基本的な料理「スープ」を実におもしろく描く。レシピ付。料理とワインについての良書を選定するアンドレ・シモン賞特別賞を受賞した人気シリーズ。


僕は「スープ」というか、「汁物」好きなので、図書館で見かけて借りてみました。
石器時代からの「スープの歴史」が、豊富な写真や図版とともに紹介されていて、なかなか楽しい本です。

 人類初の加熱料理は、肉を火であぶった「ロースト」だろう。この調理法は間違いなく、狩りの獲物の肉をうっかり火のなかに落としたときや、自然火災の跡地で香ばしく焼けた動物の死骸を見つけたときなどに、たまたま習得したものだ。これだけおいしいものが食べられるとなれば、偶然の発見から多くを学んだとしてもおかしくはない。
 しかし、火の扱いを覚えた人間が、いつから意図的に肉を火にくべて調理するようになったのかは不明だ。それでも約10万年前には、旧人であるネアンデルタール人が、まぎれもないロースト料理をひんぱんに行っていたと判明している。ついに人類は、真の意味で「調理する動物」となった。とはいえ、スープを作るのはまだ先の話だ。それにはもうひとつの進化が必要だった。
 ゆでることは、偶然に習得できるような調理法ではない。ゆでるための容器が必要だからだ。その問題さえ克服すれば、栄養面でも料理の面でも可能性が大きく広がる。食物をゆでるのは、焼くときほど高温でなくてもよいため、はるかに少ない材料ですむ。また、栄養面でもプラスの効果がある。


 これを読んで、「なるほど」と思ったのですが、「ゆでる」というのは、「焼く」よりも、一歩進んだ料理法なんですね。
 「ゆでる」ためには、「容器」が必要だから。
 いまの世の中で生きていると「鍋」なんて、そこにあるのが当然な気がするのですけど、石器時代には金属の鍋なんて、存在しませんでした。
 著者は、「ゆでる」ための調理法として、地面に穴を掘ったり、動物の皮を利用したりする方法が、「容器の発明」の前に行われていたことを紹介しています。
 ちなみに、粘土を焼く技術は約1万年前、紀元前4000年くらいに青銅、紀元前2000年紀に鉄の加工が行われるようになり、「鍋」をはじめとする容器が登場してきたそうです。


 温かいスープには、身体に栄養を与えるとともに、心を安らげる効果もあるのですが、薬効が期待されたスープもあったのです。
 1827年の「料理本」には、黄疸や呼吸器疾患の薬として、こんなレシピが書かれています。

・カタツムリのブロス

 カタツムリをよく洗い、熱湯でゆでる。殻から身を取りだし、何度か水を替えながら、しっかりとこすり洗いをする。身を薄く切り、殻をすりつぶす。すべてを鍋に入れ、かぶるくらいの水を入れて火にかける。沸騰後、あくをすくい、弱火で数時間煮る。少量の塩と砂糖を加える。吐き気をもよおすほどの味を打ち消すため、ごく少量のメース(ナツメグの種子の皮を乾燥させた香辛料)も加えて完成。
 カップ1杯ずつ、1日に4回飲む。バラのジャムを加えてもよい。それでも気味が悪ければ、薄い子牛のブロスに混ぜて飲むこと。とはいえ、ワラジムシ酒に比べると、はるかに飲みやすい……。


 「吐き気をもよおすほどの味」って……
 そして、これよりも「はるかに飲みにくい」ワラジムシ酒って……
 いまから200年くらい前の人たちは、これを「薬」として飲んでいたんですね。


 また、貧困者に対する「施し」としてのスープの歴史や、世界各国のスープ文化なども紹介されており、「世界には、こんなにたくさんのスープがあるのか」と感心してしまいます。
 いろんな人種や民族がいるのだけれど、「スープ」という料理法は、人類共通、なんですよね。


 著者はオーストラリア人なのですが、東洋の、そして日本の「スープ」について、このように述べています。

 西洋では、両手つきの小さなデミタスカップ入りブイヨン以外、スープは「飲む」ものではなく、スプーンで「食べる」ものだ。一方、東洋では、スープの具を箸で食べたあと、器に直接口をつけて汁を飲むのが正しい作法である。澄んだブロスふうのスープも飲みものなので、食事の最中はいつでも、器から直接飲んでもかまわない。
 日本では、スープはまさしく日常生活の中核となるものだ。スープのない食卓など、米のない食事のようなもので、まったく考えられない。中国と同じで、日本のスープには濃いものと薄いものの2種類があり、食事の際の役割がそれぞれ異なる。とはいえ、どちらも、いかにも日本らしく繊細さを重視しながら仕上げる料理だ。一杯のスープはまさに細密画であり、四季を反映し、風味と色彩の対比に細心の注意を払っている。濃く透明なスープ「吸いもの」は、文字どおり「飲むもの」という意味だ。これは蓋つきの上品な漆塗りの器で出てくる。この蓋は熱を逃がさないだけでなく、視覚的な楽しみを演出する役割もある。蓋を取った瞬間、慎重に選び抜かれた一口サイズの具が3つ現れるのだ。
 味噌汁は、日本で最も一般的な濃いスープだ。味噌汁の種類はさまざまだが、いずれも昆布や鰹節から取った出し汁と味噌が基調である。味噌汁は一般家庭で昔から朝食として飲まれているほか、正式な宴席にも伝統的に供される。


 日本で生活していると「あたりまえ」のことであっても、海外からみれば、こんな感じにみえているんですね。
 また、こんな話も出てきます。

 スープの扱いに関する東西の最も大きな違いは、朝食時に現れると言ってもいいだろう。ヨーロッパでは、スープが朝食に出ることは絶対にない。だが多くのアジア諸国では、標準的な朝食としてグルーエルに似た米の粥を食べる。


 そうか「絶対に」なのか、と。
 日本人である僕の感覚からすると、そこまで頑なに「朝食にスープが出ない」のは、なぜなんだろう?とか考えてしまいます。
 向こうからすれば、「なぜ朝食にスープが出てくるの?」ということなのでしょうけど。


 スープ好きにとっては、なかなか興味深い本ではあると思います。
 巻末には、さまざまなスープのレシピがついていますので、これを活用できる人にとっては、さらに有意義なはずです。