琥珀色の戯言

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【読書感想】用具係 入来祐作 ☆☆☆☆

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~

用具係 入来祐作 ~僕には野球しかない~


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
巨人の元エースが、現在は横浜DeNAの用具係として勤務。日々、慣れない仕事に苦しみ、悩み、何度も心が折れそうになる。そんな彼を支えたのは「僕には野球しかない」という思いだった。不器用な男が全力で駆け抜けた、その半生を赤裸々に語る。


 入来祐作さんといえば、「キャンプ中のウナギ穫り」についての、横浜DeNA中畑清監督との掛け合いが話題になっていました。
 入来さんがDeNAの「用具係」をやっているという話を最初に聞いたときには、「巨人のローテーションピッチャーで、揉め事を起こしてまでアメリカ移籍を目ざした男が、裏方なんてできるのでろうか?」と僕も思っていたのです。
 この本のタイトルは「用具係 入来祐作」なのですが、入来さんの半生記というか、これまでの野球人生を振り返った部分が7割、残りがいまの「裏方」としての生活、という割合でページがさかれています。


 入来選手が、ローテーション投手としての数年間を含め、巨人で7年間過ごしたあと、メジャーリーグ移籍を希望して代理人交渉を巨人のフロントに求めた、というのを聞いたときは、アンチ巨人の僕でさえ、「ええっ、入来、何勘違いしてるんだろう……」と思った記憶があります。
 その年、2003年の入来投手は、怪我の影響で、一軍登板なし、だったのですから。
 

 その希望が巨人の偉い人の逆鱗に触れたらしく、入来選手はその年に日本ハムにトレードされることになりました。
 しかしながら、日本ハムのほうも、獲得した入来選手が「2年後にメジャーリーグ移籍を希望している」という話を聞き、このトレード話も破談になりかけてしまいました。
 入来選手は、日本ハムの2年間で、2勝4敗、6勝7敗の成績を残し、残留を望まれながらも、悩んだ末に、ニューヨーク・メッツに移籍することにしたのです。
 しかも、アメリカでは、禁止薬物の摂取による出場停止騒動まで起こしてしまった。
 日本に戻ってきて、DeNAに入ったものの、活躍できず、その年に戦力外通告


 率直に言うと、「たいした成績も残していないのに、トラブルばかり起こしている選手」だと、僕は思っていたんですよ。
 でも、この本を読んで、当時の入来さんの置かれた状況や、心境を知りました。
 本人に悪気はなくて、アメリカのベースボールへの憧れと、巨人というチームでプレーすることの難しさが、入来さんの野球人生を複雑なものにしてしまったのかもしれません。
「代理人交渉」にしても、「巨人の偉い人は認めていなかった」けれど、当時は、選手の権利として容認されていたものですし。

 2002年の私は前年度の実績もあり、スムーズに開幕ローテーションに残ることができました。2001年にはローテーション投手の怪我によって出番が回ってきたことを考えると、これだけでも大きな前進です。
しかしやはり、この年の自分の立ち位置も、桑田さん、工藤さん、上原、(高橋)尚成に次ぐ先発の5番手でした。少しでもミスをすれば、すぐに二軍の選手たちに取って代わられます。仮にも最多勝を争った投手が、次のシーズンにはまた二軍落ちを心配しなければならない。これが圧倒的な実力の投手陣を抱える巨人という球団の凄いところだと、心から思います。


 2001年の入来投手は、13勝4敗の好成績を挙げています。
 最多勝まで、あと1勝だったのです。
 でも、ここで挙げられている当時の巨人のローテーション投手の名前をみると、やはり「5番手」だろうなあ、と。
 巨人というチームでは、いくら活躍しても、FAで、どんどん凄い選手が入ってきます。
 「逆指名ドラフト」の時代は、その年の目玉クラスの新人も「まずは巨人」だったのです。
 入来選手クラスでも、毎年激しい競争にさらされていました。
 巨人で最多勝を獲得したことがあったものの、その後の成績がふるわず、オリックスに移籍し、そこもクビになって来年からDeNAでプレーする東野投手も、入来さんと同じような立場だったのかもしれません。
 入来さんが最初に入ったのが、もっとマイペースで野球ができるチームだったら、リラックスしてもっと活躍できていたのか、それとも、油断してしまって全然ダメだったのか。
 

 実際にその中にいた選手の話を聞くと、アンチ巨人の僕でさえ、「そんな競争の激しいチームにカープが勝つのは、並大抵のことじゃないよなあ……」と嘆息せざるをえません。
 入来投手がもしカープに入っていれば、ローテーションの3番目くらいの安定した地位を、ずっと築いていたんじゃないかなあ。


 自由なベースボールがある、憧れの場所だったアメリカで、入来投手は大きな挫折を味わいました。

 私は日本のプロ野球界でも、決して体の大きい方ではありませんでした。それでもアメリカに渡る前、日本にいた9年間は、プロ野球選手としてのアベレージを超える結果を残すことができていたと思います。少なくとも、十分に戦えていました。
 しかし、アメリカに行ったらまるで歯が立たないという現実を、その2年間で見せつけられました。それを経験してから「もう一度、日本で野球をしよう」となると、頑張らなければならないと頭ではわかっていても、どうしてもモチベーションが上がりません。「自分の限界を見せつけられた思い」とでも言えるでしょうか。
 近年、メジャー帰りの日本人選手が、ふたたび所属した日本のプロ野球チームでなかなか結果を残せないことが多いのも、精神面の問題が大きいのではないかと私は思っています。当時の私と同じく、以前のような迷いのない真っ直ぐな気持ちが、なかなか持てないのではないでしょうか。


 入来選手の「挑戦」に関しては、松坂大輔投手や田中将大投手のように「通訳をつけてもらい、生活面でのサポートもきちんとしてもらえるようなトップ選手」とは、けっこう格差があったのだな、ということが、この本を読んでいるとわかります。
 鳴り物入りでメジャーリーグから「日本に戻ってきた」選手たちのほとんどが、期待されたほどの成績を残せない理由は「年を取って体力的にピークを過ぎてしまったこと」「アメリカで常時試合に出られないため、試合勘が鈍ってしまうこと」なのだと思っていたのですが、それよりも、「プロスポーツの世界では、自信やモチベーションを一度失ってしまうと、それを取り戻すのが難しい」のですね……
 そうなると、メジャー帰りの、あの選手などは、来年、どうなんだろう……


戦力外通告」を受けたことで、あらためて、入来さんは「自分には野球しかできない」ことに気づくのです。
 そして、求職活動をはじめるのですが、それまでの「プロ野球選手」だった自分とのギャップに苦しむことになります。

 選手時代によく通っていた飲食店のご主人や、共にご飯を食べたり、遊び歩いたりしていた仲間たち。野球をやっている時間を除くと、かなりの割合になる長い時間を共に過ごした人たちがどこかよそよそしく、距離を感じてしまうのです。
 戦力外通告という形でプロ野球界を去ることになった私に対して、扱いづらいとか気の毒だとかいう思いがあった人もいたでしょう。また、今思えば選手だったころの私は、当時の自分にとって都合のよい相手や、居心地のよかった仲間、つまり”プロ野球選手の自分をちやほやしてくれる人”としか、つき合ってこなかったのだと思います。
 少し前まで普通にしゃべっていた、仲間だと思っていた人と連絡を取ってもどこかよそよそしく、とても今後の仕事について相談できるような雰囲気ではないこともありました。


 戦力外通告という形でプロ野球を去るというのは、こんなにもせつないことなんですね……
 入来投手くらい、活躍した選手であっても。
 そして、選手時代に「自分をちやほやしてくれる相手」としか接してこなかった人ほど、その落差に悩まされることになるのです。
 入来さんは、一時期、引きこもりのようになっていたりもしたそうです。


「裏方の仕事の詳細」も、この本を読んで僕ははじめて知りました。
 地味な世界だし、そんなに給料が高いわけでもないだろうし、モチベーションを保つのが大変だろうなあ、くらいのことは想像していたのですが、肉体的にも「きつい仕事」なのです。


 入来さんは、現役引退後、DeNAのバッティングピッチャーを2年間つとめています。

「死ぬかと思った……。これがバッティングピッチャーか……」
 それがキャンプ初日の、正直な感想でした。


(中略)


 バッティングピッチャーとして選手たちにボールを投げる時間は、1日およそ30分程度です。その時間内は、チームに帯同しているバッティングピッチャー全員が、次々と入れ替わる選手たちに向かって、ひたすらストライクを投げ続けます。
 こう書くとたいしたことがないように思えるかもしれませんが、現役時代との大きな違いが二つあります。一つは投球のペースです。およそ1分間に5〜6球のペースでボールを投げつづけるのです。この計算だと、30分で150球以上をキャッチャーミットに向かって放り込むことになります。つまりは1試合9イニング完投する以上の球数を、わずか30分で投げるのです。
 しかも、自分の意思では止めることができません。選手たちが満足してフリー打撃を終えるまで、ひたすら全身汗まみれで投げ続けることになります。現役時代のキャンプで投げ込みをしたときの疲労度など、かわいいものです。
 そしてもう一つ大きく異なるのは、投球に対する気持ちです。バッティングピッチャーは当然、ただひたすら「打者に気持ちよく打ってもらうこと」だけを考えながら投げ続けます。この「打たれるために投げ続ける」という行為は、選手のころに「打たれないためにはどうすべきか」だけを考え続けてきたのと、まさに真逆です。これは正直、精神的にとてもキツかった……。
「この人たち、キャンプ中に限らず、本当に毎日にように投げ続けているよな……。想像をはるかに超えてハードじゃないか、この仕事!」
 現役時代も、バッティングピッチャーの方々が投げ続けている姿を目にしていたはずです。しかし、まさかここまで体力的にも精神的にもキツイ仕事だとは、思ってもみませんでした。


 さらに、「ただ打者に向かって投げるだけ」ではなくて、練習で使う道具の準備や後片付けなども、バッティングピッチャーの仕事なのです、入来さんは、こんなふうに書いておられます。

 まるで、PL学園野球部時代の下級生に戻ったような感覚です。


 2年間のバッティングピッチャー生活の後、入来さんは「用具係」に異動となりました。
 この「用具係」も、僕のイメージでは、バットやボールを運ぶのが仕事の人、だったのですが、そんな簡単なものではなくて。
 実際は、野球用具の発注や輸送の手配、予算管理、キャンプ中の洗濯物の処理、キャンプ地や遠征先でのさまざまなグラウンドの整備、そして、練習中には選手のキャッチボールの相手や守備練習のサポートなど、事務処理から身体を使うことまで、とにかくいろんなことをやらなければならず、責任も重い仕事なんですね。
 そして、「グラウンドは整備されているもの」「バットやボールはちゃんと届いているのは当然」であり、選手のように「活躍して声援を浴びる」ことはありません。
 失敗して責められることはあっても。


 僕も、「スター選手が、よく裏方をやれるものだなあ」と思っていたのですが、これを読んでいると、裏方には裏方の「やりがい」みたいなものもあるのだということもわかります。


 ちなみに、入来さんは、2015年から、ソフトバンクホークスの3軍投手コーチへの就任が決まったそうです。
 この「裏方経験」が、どのようにコーチ業に活かされるのだろう。


 ずっと超一流で、引退後も監督やコーチ、野球解説者、タレントになれる人は、ごくひとにぎり。
 人生の「セカンドキャリア」への向き合い方について迷っている人は、かなり勇気づけられる本ではないかと思います。

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