琥珀色の戯言

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【読書感想】ぼくは眠れない ☆☆☆


ぼくは眠れない (新潮新書)

ぼくは眠れない (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
ガバッと起きると午前二時、それが不眠生活の幕開けだった。毎夜同じ時刻に目が覚めて、眠れないまま朝になる。七十歳にして探険旅行に挑み、ビールだけは欠かさぬ豪快さの持ち主には三十五年にわたる孤独な「タタカイ」があった。発端となった独立騒動、はかられた精神科受診、手放せない睡眠薬、ストーカー事件のトラウマ、眠気をさそう試行錯誤等を初めて告白。果たして「やわらかな眠り」は取り戻せるのか。

 椎名誠さんに対する僕のイメージは、アウトドア好きで仲間たちと一緒に焚き火を囲んで大宴会をして、カツオをワシワシ食べてビールを豪快に飲み干し、テントで寝る前に、探検の本を少しだけ読んでぐっすり眠る、そんな感じだったんですよ。
 男からみて、「かっこいいオヤジ」だなあ、という憧れもあります。
 その椎名さんが「35年間の不眠とのたたかい」を告白しているのが、この新書なのです。
 「告白」といっても、椎名さんは、著書のなかで、鬱で中沢正夫先生に診てもらっている、という話をときどきされていたので、長年の読者にとしては「腑に落ちた」ところもあったのですけど。

 普段から午前二時ぐらいまで原稿を書いていることが多い。それはぼくの生活サイクルのなかではかなり「いい」ほうだ。仕事が進み、疲れた、と感じたあとは寝入りやすいからである。
 その日、どのように寝入ることができるか、ということが絶えず頭のどこかにある。体が疲れていてもすんなり寝入ることができないのが恐ろしいのだ。なにか毎日、そんな賭をしているようなところがある。
 負ければ、寝入るタイミングを逃して、むなしく本など読んでいるしかない。それ以上原稿仕事を続けるには確実に体や脳が疲れすぎている、ということがわかっているからだ。
 翌日、決められた時間に起きねばならない、ということがないかぎり、それでもいい。でもどこか旅に出るために決められた時間に起きないといろいろまずい、というときは「睡眠薬」を飲む。敗北感のなかで飲む。
 いつごろからぼくは「不眠」になったのだろうか。この本を書くにあたりじっくり考えてみた。

 椎名さんの「不眠」のはじまりは、業界紙のサラリーマン編集長から、物書きとして独立した30代なかばくらいから、なのだそうです。
 それまでは、とくに意識することもなく、よく働き、よく飲み、よく寝ていた、とのこと。
 フリーランスになった当時の不安であるとか、メディア業界での時間感覚の異常さ(午前3時とかに「普通に」電話がかかってくる、というのだから!)、ストーカー被害にあったことなど、生活の変化が、大きなきっかけになったのかもしれません。
 それにしても、35年間、ですからね……


 医者にかかったり、さまざまな眠るための方法を試したり。
 椎名さんによると「お酒を飲んで眠ることを試してみたが、短い睡眠で目が覚めてしまって、かえってよくなかった」と述懐されています。
 睡眠薬も、薬を変えたりしながら、使っておられるそうです。
 

 僕自身は、10代の一時期を除いては、あまり「不眠」に悩まされたことはなく(というか、夜更かししてゲームをしたり本を読んだりするのが好きなので、慢性的に寝不足だから、なのかもしれませんが)、「眠れないなら、起きていて何かすればいいのに」などとも思ってしまうのですが、「眠れない」というのは、当事者にとっては、非常につらいものなのですよね。
 椎名さんのこの新書での告白を読んでいると、「眠れない人というのは、一日中ずっと『今夜は眠れるかどうか』と心配している」ということがわかります。
 

 アウトドアの旅が好きなのは、若い頃からのことで、海、島、山、川、平原と場所はさまざま。期間もほんの一泊から一〜二ヵ月までといろいろである。そういう旅が好きな「理由」というものはほとんどなく、突き詰めていけば「趣味」の範疇に入るのだろう。「好きだから」というやつだ。
 そういう旅のどういうところが好きなのか、とさらに追究されると(よくインタビューなどで聞かれるのだ)吹いてくる風がいい、とか夜の焚き火とそれを仲間で囲んで飲むビールやウイスキーがべらぼうにうまい、その解放感がたまらない、などとほざいていたが、最近になって、そんなキザな理由よりももっと本心で好きな理由があったのに気がついた。「そういう旅では実によく眠れるのだ」

 もちろん、若い頃は、そういうふうには考えていなかったのかもしれませんが、「とにかく、ぐっすりと眠りたい」という欲求が、いかに強いものだったのかが、しみじみと伝わってきます。
 逆にいえば、そこまで「お膳立て」をしなければ、充実した眠りを得ることができなかったのだよなあ。
「不眠」がなければ、椎名さんのさまざまな「冒険」もなかったのかもしれない、と思うと、作家というのはめんどくさい職業だという気もします。

 
 この新書のなかで、椎名さんは、自身の体験や、さまざまな文献などから、「眠り」について語っておられます。
 そして、「眠れなくて困っている人」は、けっして珍しくはないのです。

 ストレス社会の現代、日本人は五人に一人が不眠症という(アメリカでは三人に一人という)。そのなかにはおそらく日常的にストレスの嵐にさらされているサラリーマンの占める率が圧倒的に高いのだろうと見当がつく。

 サラリーマンが本当に多いのか、については、僕がざっと調べた範囲では「肉体労働者よりもデスクワークの人のほうが多いと言われている」ようです。
 僕の経験上も「眠れない」という患者さんは、たしかに多いし、年齢が上がってくるにつれて、その割合は高くなってきます。
 とくに早起きしなければならない理由がなければ、無理に眠らなくても良いのではないか?とも思うのですが、当事者にとっては、やはり「夜ちゃんと眠れないのは苦痛」なんですよね……


 この本のなかに「人は、眠らないとどうなるのか」についても紹介されていました。

 たいていの人は三日間寝ないでいると倒れてしまう。大量の汗が出てきて、頭が混乱し、動作はぎこちなくなり、かなりの割合で幻覚を見るようだ。
 生物の不眠耐久力を調べるためにラットを使って死ぬまで寝かせない実験をした研究者もいた。ラットは断眠実験がすすむにつれてアドレナリンに似たホルモンを大量に分泌し、異様な過活動状態になり、体内の自律神経系の機能が壊れたようで、大量に餌を食べるものの体重は減少し、皮膚をボロボロにして二週間で死んだという。


 カンボジアに行った際に見た、ポル・ポト派が使っていたという、「眠らせない拷問のための椅子」についての話も出てきます。

 その近くの廊下の端にさして特徴のない祖末な背もたれつきの木の椅子があって、それも拷問用に使われた、と書いてある。
 ちょっと見たかんじ小さな椅子でしかないので、素通りしそうになったが、案内してくれたカンボジア人が「これがもっとも確実に人を狂わせる拷問装置です」と教えてくれた。
 いまはもうその拷問用の中心装置は取り外されていたので仕組みはよくわからなかったのだが、人がその椅子にすわって背もたれに縛られると、その人の頭の上にまことに簡単ながら凶悪な力をおよぼす道具がとりつけられる。
 そこには水がいっぱい入っていて、一番下の小さな穴から間欠的に水滴が落ちるようになっているそうだ。拷問をかけられる人が頭を固定されているので日夜絶えることなくずっと頭の一点に水滴が落ちてくる。これをやられるとヒトは完全に寝られなくなるそうだ。一定の間隔で頭の一ヵ所を刺激されると人間は通常の思考ができなくなり、短時間で狂気に陥っていく。雨垂れがそのようにして一定のポイントに水滴を落としていると石でも窪みを刻んでしまうというからこの装置は見たかんじ地味ではあったが残虐さは悪魔的であった。
 短い時間の説明だったのですっかりはわからなかったが、この拷問は大体三日続けると死んでいたという。その多くの死因は寝られないことと、次第に刺激的になってくる一定の水の落ちるリズムに人間の神経のどこか基本的なところが耐えられなくなってしまうからのようだった。


 不祥事のあと、メディアの前で「私は寝てないんだっ!」と発言した社長に「無責任だ」というバッシングが浴びせられたことがありました。
 でも、「仕事で眠らせてもらえないまま、いつ終わるかもわからず、ずっと気が抜けない状態が続く」というのは、当事者にとっては、ものすごくつらいんですよね。
 僕も当直のときとか、精神的に参っているのを自覚せずにはいられません。
「眠れない」ストレスは、体験してみないと、なかなか理解できないし、本人にしかわからない。


 「眠れなくて困っている人のための本」というよりは、「椎名誠さんの告白本」という内容ではありますが、僕は興味深く読めました。

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