琥珀色の戯言

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【読書感想】ボビー・フィッシャーを探して ☆☆☆☆


ボビー・フィッシャーを探して

ボビー・フィッシャーを探して


この本を原作にした映画もあります。

ボビー・フィッシャーを探して [DVD]

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内容紹介
チェスの神童ジョッシュとその父親である著者が、伝説的棋士ボビー・フィッシャーへの憧憬を胸に歩んだ道のりを描く。
6歳でチェスを始め、子供らしい無邪気さでチェスに取り組みながら加速度的に強くなる息子ジョッシュ。
その眩ゆいほどの才能に父親は深くいれ込み、幼い息子はそんな周囲の思いに多感に反応しつつも、
仮借のない勝負の世界を懸命に生き、成長してゆく。
ときに公園の片隅で、ときに世界タイトル戦の場で、さまざまな棋士たちが味わう栄光と悲哀の物語が、
父子の道程と交錯する。そこには、冷戦の構図をはじめとして棋士の境遇や対局の質に影響を及ぼす
種々の社会事情が、色濃く映し出されている。
チェスの高峰を目指す父子の歩みはどこへ至るのか。ライバルたちとの息詰まる対局の行方は?
チェスの奥深さに魅入られた人々の興奮と葛藤をこのうえなく切実なタッチで写し取り、映画化もされた珠玉作。


 2014年9月に日本語訳版が発行されているので、最近書かれた本だとばかり、思っていました。
 タイトルから、『サリンジャーをつかまえて』みたいな、「行方不明になった伝説の有名人の足跡をたどる物語」だと勘違いしていましたし。
 ボビー・フィッシャーは、まさに「探されるにふさわしい人物」ではありますし。
 伝説のチェス・マスター、ボビー・フィッシャー
 近頃、日本ではこの人のことが採り上げられることが多いような気がしています。
 1988年に書かれたこの本の邦訳版が、2014年になって刊行されたのも、ブームのたまもの、なのかもしれませんね。
 映画版のほうは、1994年に日本でも公開され、けっこう話題になったそうです。
 残念ながら、僕の記憶にはありませんが、この本のタイトルを知っていたような気になったのは、どこかで耳にしたことがあったからなのか、それとも、ありがちなタイトルだったからなのか。

 8歳になるずっと前に、ジョッシュは親父とは完全にレベルが違うことを知って、私と指すときに本気になることをやめた。私がありとあらゆる可能性を慎重に読んでいるあいだ、息子は本をめくったり、窓の外を見たり、ガムを噛んだり、母親とおしゃべりしたり、ジョークを飛ばしたり、足をトントンと鳴らしたり、ためいきをついたりした。こういういい加減な態度で指しているときに、息子はたいてい負けた。私はナイトやビショップをただで取った。紐のついていないクイーンを頂戴されても、息子はそれがどうなの、つまんない、と言わんばかりにあくびをした。私は頭にきた。チェスプレーヤーらしい理屈と悪知恵を発揮して息子が言うには、ぼくはまだ7歳なんだから、お父さんに負けてもかまわない、というわけだ。ときどき、息子がうっかり駒損すると、私は堪忍袋の緒が切れて駒を盤から全部払いのけたこともあった。こちらは負かされたいのに、息子がまったくその気になってくれない。あるとき、憤懣だらけの一戦の後で、チェスだけが人生じゃないとよく言っている妻がこう言った。「わからないの? この子はお父さんを負かしたくないのよ」その一言で、私は立ち止まった。勝負に夢中になるあまり、息子が親父をアリのように踏みつぶしてしまうことにばつの悪さを感じているかもしれないとは、思ってもみなかったのである。

 6歳の頃からチェスの才能を発揮したジョッシュという少年の成長を、「チェス・パパ」(ステージママ、みたいなものです)である父親のフレッド・ウェイツキンさんが書いた作品。
 ボビー・フィッシャーは、親子にとっての憧れの存在であり、アメリカでチェスを愛する人々にとっての象徴的な存在なのです。

 若い頃、私はチェスを頭でっかちで退屈な遊びだと思っていて、指し方を覚える気はまったくなかった。ところが1972年の夏、ボビー・フィッシャーとボリス・スパスキーが世界チャンピオンの座を賭けて戦ったときには、午後に何度となく、友人たちとテレビの前に陣取り、ばかでかいチェス盤に向かって、何千マイルも離れた場所で身動きもせずに座っている両対局者の刻々と変化する局面ではなく、まるでそれがバスケットボールのコートみたいに、声援を送り、大声をあげることさえあった。マッチの開始時点では、駒の動かし方すら知らなかったが、それでもそのゆっくりとした難解きわまる戦いを見ていると、最初のうちは自分でもわけがわからなかった興奮と憧れがわいてくるのだった。


 ボビー・フィッシャーは、アメリカに空前のチェス・ブームを巻き起こした大スターだったことが、この回想を読むとわかります。
 でも、チェスで、なんでこんなに……とは思うのですが、当時、アメリカとソ連の冷戦下では、フィッシャーとスパスキーの勝負は「資本主義と共産主義の代理戦争」でもあったんですね。
 ソ連では、チェス・マスターたちに敬意と高額の報酬が与えられており、チャンピオンには体調管理やメンタルトレーナー、戦況を分析する係など、さまざまなスタッフがついていたそうです。
 ボクシングの世界チャンピオンのように。
 当時のソ連では、「共産主義は、人間の頭をよくする」というプロパガンダに、「チェスが強いこと」を利用していたのです。
 そんな「国の威信をかけて、チェスのチャンピオンを生み出している国」に、ひとりで闘いを挑んだのが、ボビー・フィッシャーでした。
 まあ、フィッシャーも、けっして「上品な紳士」とは言いがたい人ではあったのですが。


 ボビー・フィッシャーを生んだ国であるアメリカでは、チェス・プレイヤーは「職業」としては認知されておらず、トップ選手でも「チェスだけで食べていく」ということが難しいということがわかります(1988年の時点では、という話で、2014年にどうだかはわかりませんが、そんなに変わっていないんじゃないかな、たぶん)。
 チェスが強い=頭がいい、というような「神話」はアメリカでも生きており、愛好家は多いのだけれど、日本での将棋や囲碁のような「テーブルゲームの名人は、それを仕事にして食べていける」という状況ではないのです。
 チェス・マスターのなかには、公園で、少額の「賭けチェス」をやって、収入をえている人もいたそうです。


 それでも、父親は、息子のチェスの才能に魅せられ、叱咤激励し、傍からみると「やりすぎ」のようにみえるトレーニングを課す。
 僕は、「子供の才能を伸ばす」という名目で、自分の夢を子供に押しつけようとするような「ステージ親」を軽蔑していました。
 でも、ここで語られているフレッドさんの息子への入れ込みようを読むと、「僕も自分の子供に、なんらかの『才能』があれば、同じような親になってしまうのではないか?」と考えずにはいられなかったのです。
 逆にいえば、フレッドさんだって、偶然、息子のチェスの才能に巡り合わなければ、別の親の顔をしていたはず。
 そんななかで、「息子にチェス・マスターとしての夢を押しつけてしまっている自分」と「そんな食えないことをやらせてしまって、息子の可能性を狭めてしまっているかもしれない自分」への葛藤が、フレッドさんの文章からはうかがえるのです。
 

 ある日の午後、ジョッシュと一緒にクラブを出ようとすると、50年近くもクラブの常連になっている老女が近づいてきた。古風な笑みと薄くなった白髪で、私の祖母を思い出させるこの老女は、ジョッシュの頭を撫でてあたたかい言葉をかけてくれるのかと私はてっきり思い込んでいた。「7歳の息子さんを連れて、またここに来ているのね」と彼女は悲しそうな笑みを浮かべながら言った。「こんな煙草の煙だらけの場所に引っぱってきて、チェスを指させるなんて。この子がチェスキチになっちゃうのがわかんないの? あなたは自分の人生でできなかったことを子供で埋め合わせしようとしているのよ」


 この本に書かれている範囲では、フレッドさんは、けっして、「子供に何でも押しつけ、自分の言いなりにさせる親」ではないと思うんですよ。
 でも、子供の「やりたいこと」には親の影響はあるだろうし、顔色だってうかがうにきまっています。
 だからといって、「本人がやりたいと言っていることを、あえてやらせないようにする」わけにもいかず。
 こういうのって、本当に難しいのだなあ、と。


 そして、ジョッシュも「一直線に強くなっていった」わけではなくて、さまざまな迷いやスランプに見舞われながら、実力をつけていくんですよね。
 この物語(というか、ノンフィクションなんですが)のクライマックス、ジョッシュが全米選手権で優勝を争う場面は、読んでいて、僕も胸が締めつけられるようでした。
 結果は……まあ、よかったら、読んでみてください。
 事実というのは、ときに、フィクションよりも、ドラマチックなこともある。

「フィッシャー時代には、人々を興奮させたのはチェスじゃありませんでした」とジョエル・ベンジャミンが言う。「フィッシャーだったんです。彼は狂人でしたが、それと同時に、たった一人でロシア人を負かせるくらいの名人でした」


 ちなみに、この本のあとがきで訳者が紹介している、ジョッシュとライバルの少年の「その後」も、とても興味深いものでした。
 えっ?というのと、「それはそれで良かったんじゃないかな」というのと。



完全なるチェス―天才ボビー・フィッシャーの生涯

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