琥珀色の戯言

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【読書感想】ラスト・ワン ☆☆☆☆


ラスト・ワン

ラスト・ワン

◆ストーリー
〇中西麻耶は、テニスで国体を目指していた2006 年、勤務先での事故で右膝から下を失う大けがを負う。
だが退院後、障害者陸上に転向するや、瞬く間に100 m走、200 m走で日本記録を塗り替え、事故からわずか2 年で北京パラリンピックに出場、入賞を果たす。
自らの可能性を信じて単身アメリカ武者修行の旅に出るが、
活動資金難からセミヌードカレンダーを製作した彼女を待ち受けていたのは、世間からの手酷いバッシングだった……。


〇ロンドンでの惨敗、うつ病の発症とどん底を味わい、一度は競技人生に終止符を打ちかけた女性アスリートが、再起して世界の頂点を視界に入れ、
リオ、そして2020 年東京を目指すまでの軌跡を、スポーツノンフィクションの名手・金子達仁が密着取材して書き下ろした、感動のヒューマンストーリー。


 キリッとした表情で、鏡の前に座っている、ひとりの女性。
 両手を身体の後ろについて、膝を折り曲げて。
 でも、鏡にうつっている、彼女の左足は、膝の下で、突然丸くなり、そこで途切れてしまっているのです。
 左足以外の彼女の身体は、鍛え上げられていて、完璧な印象を受けるだけに、その「欠落」には、言葉にしがたいインパクトがあります。


 この『ラスト・ワン』の表紙のモノクロの写真は、一度観たら、忘れられないものでした。
 この本を手にとって、このアスリート、中西麻耶さんの生き様と葛藤を「読み物」にしてしまうことに、僕は少し、ためらいもあったのです。
 読み終えてわかったのは、「読むことにためらいを感じるようなノンフィクションだからこそ、この本には、力があり、読む意味があるのだ」ということでした。
 「約束された感動」みたいなノンフィクションの題材になることを、中西麻耶という人は、拒否し続けてきました。
 それは、これからもきっと、変わらないのでしょう。

 2006年9月14日、ソフトテニスでの国体出場を目指していた21歳の中西麻耶は、勤務先の工事現場で事故に巻き込まれた。
 倒れてきた重さ5トンはあるというH鋼は、彼女の右膝から下を奪っていった。
 だが、奪われたのはそれだけだった。取り返しのつかない「それだけ」ではあったが、もっと多くのものが奪われていてもおかしくはなかった。
 明るさ。希望。未来――。
「ちょっと下品な言い方になりますけど、わたしにとって、あの事件は本当に屁でもない事件だったんです。親に内緒で働いていた工事現場で巻き込まれた事故だったんで、そこは親に申し訳ないとは思いましたけどね」
 事故からわずが3ヵ月後、彼女は義足をつけて退院した。
 退院したその足でテニスコートに向かった彼女は、すぐに激しい運動にも耐えうる義足を探し始めた。まだ満足に歩ける状態ではなかったが、標準的な義足ではとてもテニスなどできそうもないことがわかったからだった。
 つまり、中西麻耶は右足を失ったことなど関係なく、健常者としてテニスで国体に出場するつもりだったのである。義足という新しいパートナーは、彼女にとって、傷ついた部分を支えてくれるテーピングやコルセットと同じようなものだった。


 著者の金子達仁さんは、中西選手本人、そして関係者への綿密な取材から、中西選手の人生を再現していきます。
 中西選手が、無名校からソフトテニスの名門高校に進み、そこで主力選手となったものの、名門校のインターハイ連続出場を途切れさせる敗北を喫してしまったこと。
 そのことが、アスリートとしての彼女に重くのしかかり、高校卒業後もソフトテニスで国体に出場することを目指し、競技を続けていたこと。
 そして、そのような「現役アスリート」が突然、不幸な事故で「障害者スポーツ」の世界に入ることになったため、そのカテゴリーでは、圧倒的な成績を残すことができたこと。
 でも、中西選手は、もともと陸上選手ではなく、トレーニングでもそんなに自分を追い込んだわけでもない自分が、競技をはじめてわずが1年でパラリンピックに出場でき、世界の上位に入れてしまう障害者スポーツの世界に、物足りなさも感じていたのです。
「所詮、こんなものなのか」と。
 こういう「他の選手や世間からは、傲慢に思われるかもしれない本音」も、金子さんは、そのまま記しています。
 

 ところが、その2008年の北京パラリンピックの決勝の控室で、中西選手は大きな衝撃を受けたのです。

 自分が間違えていた、それもとんでもない過ちを犯していたと中西が知ったのは、決勝に進出した8人の選手たちが集められた控室――通称”コール・ルーム”だった。
「入った途端、ビクッてなるほど空気が違うんです。太股をパンパン叩いて気合を入れている選手がいる。わざわざ義足を外して、念入りにチェックしている選手がいる。予選の時は気づかなかったけど、よく見ると身体つきも全然違う。これは運動会なんかじゃない、障害者アスリートの世界一を決める真剣勝負の舞台なんだって、その時初めて、気づかされたんです」
 コール・ルームにいる8人の中には、予選で顔を合わせた選手もいた。
 にもかかわらず、顔つきが、雰囲気が違う。中西は戸惑った。
「予選では全力を出してなかった。それだけのことだったんですよね。出さなくても、決勝には進出できるから。わたしはそんなことも知らずに、予選で日本記録を出して、決勝もそこそこ行けるかな、なんておめでたいこと考えていたんです」
 義肢装具士の臼井からは「野獣」と評された中西だが、北京のコール・ルームで感じたのは、猛獣の群れに迷い込んでしまった羊の心細さと、猛烈な後悔だった。
「うわ、この人たち明らかに超一流のオーラ出しているのに、わたしは全然そういう人たちに勝つためのトレーニングをやってこなかった。どうしよう、いまのわたしじゃ勝てるはずがないって……。アメリカのエイプリル・ホームズって選手なんか、もう王者のオーラがビンビンなんです。パラリンピックに対するナメた考えなんか、一瞬で吹っ飛んじゃいましたから」


 運動会に紛れ込んだ本物のアスリートのつもりで臨んだパラリンピックで、中西は、自分こそが運動会レベルの選手だった、運動会レベルの準備しかしてこなかった選手だということを思い知らされた。

 
 それでも、この北京パラリンピックで、中西選手は、100mで6位、200mで4位という、素晴らしい成績を残しています。
 競技を本格的にはじめてわずか1年でこの成績なのだから、中西選手の未来はバラ色、のはずだったのですが……


 その後の中西選手は、競技者としても、人生においても、「迷走」してしまうのです。
 良い成績をあげるためには、そのためにカスタマイズされた装具が必要で、障害者スポーツにはお金がかかるのです。
 しかしながら、世界のトップレベルの選手でも、人気プロスポーツの選手のように、多くの報酬を得ることはできないし、スポンサーもつきにくい。
 そんななか、資金難を解消するために、彼女がとった手段は「セミヌード・カレンダー」の発売でした。
 自分の障害を、失われてしまった足を隠さない写真。
 これは、資金を得る、社会にアピールするという意味では効果があったのですが、その一方で、彼女は大きなバッシングを受けることにもなったのです。

 日本での中西は、誰もやらなかったことをやってしまった人間だった。アメリカでの中西は、誰もやらなかったことをやり遂げた人間だった。カレンダーを出した最大の動機を全面的に否定してきたのが日本で、全面的に肯定してくれたのがアメリカだった。
 中西の中で、日本という国に対する思いが急速に揺らぎ始めていた。そんな状況で出場することになった、日本での大会でもあった。
 そこで――。
「顔を合わすや否や、わたしがカレンダーを出したことでいかに自分が大変な苦労をしたかを延々言い出した役員がいたんです。やれ問い合わせが凄かった、とんでもない迷惑を被ったって」
 それは、アメリカでは断じて出会ったことのない反応だった。思わぬ厭味にたじろぐ中西の背中から、彼女を凍りつかせる一言が聞こえてきた。
「いいよなあ、女は身体を売ることができて――」
 誰が言ったのか、怖くて振り返ることもできなかった。ネット上の悪意は、それでも黙殺できる悪意だった。だが、3ヵ月ぶりに戻ってきた日本で、彼女は嫌悪や侮辱を直接投げてくる人たちと出会ってしまった。
 周りはすべて敵――忘れかけていた感情がぶり返してきた。


 もちろん、日本にも、中西選手の行動を応援してくれた人も大勢いたのです。
 でも、こんなことを直接言う人がいるなんて……


 これらのバッシングもあって、中西選手は鬱を発症し、「競技どころではない」状態に追い込まれていったのです。
 こういう「相手が従順なときには応援しているようにみえるけれど、ちょっとでも自分が気に入らないことをすると、ひたすらバッシングする人」って、いるんだよなあ……しかも、けっこう偉い人に。


 そんな「どん底」から、中西選手は這いあがろうとしていきます。
 一筋縄でいくような簡単なことではないし、人生には、必ずしも、感動のクライマックスが待っているわけでもありません。
 それでも、中西麻耶は、生きていく。


 この本では、東京オリンピックの招致活動の際、最終プレゼンで感動的なスピーチをした佐藤真海選手とのライバル関係の話も出てきます。

 ぜひ聞いてみてくれ、と中西から頼まれていた質問をぶつけると、臼井は愉快そうに笑った。
「そりゃ、似ているからでしょ」
 託されていたのは「なぜ中西麻耶と佐藤真海は仲が悪いのか」という問いだった。
 後に東京オリンピック招致に大きな役割を果たし、日本で最も有名な障害者アスリートとなる佐藤真海は、中西麻耶が出現するまで、短距離走走り幅跳びの日本記録兼アジア記録保持者だった。
 最初の出会いから軋みを感じさせた両者の関係は、やがて、障害者陸上の世界では誰が知る常識になっていく。
 もちろん臼井も、2人の間にある火花が散るような空気は事あるごとに痛感させられてきた。
「まず2人とも、1位になりたいって意識が物凄く強い。ある意味、どちらも唯我独尊。麻耶ちゃんはわかりやすくそうだし、一見落ち着いて見える真海ちゃんも、芯の部分では猛烈な負けず嫌い。根が明るいのも一緒。麻耶ちゃんは動物的な陽性で、真海ちゃんは思慮深い陽性って違いはあるけどね。とにかく、これが男の場合だと、もうちょっとライバルに対して寛容っていうか、寛容じゃないとかっこ悪いって思っちゃうところがあるんだけど、女子の場合はより直接的っていうかね。自分を脅かす者や自分より上にいる者が本能的に許せないんでしょう」
 両者の義足を手がけた臼井は、どちらに肩入れするわけにもいかない、極めて微妙な立場にある。
 だが、時には関係者をヒヤヒヤさせることもある2人の緊張関係を、彼は愉しんでさえいるようだった。


 中西選手も、金子さんも、「障害者スポーツ」というものを、「身体が不自由な人たちがやっているのだから」と過剰に美化することなく、そこにある、競争心や功名心、ライバル意識やお金の問題、競技者の苦悩などを、率直に語っていたことに、僕は爽快感を抱きました。
 人間がやっていることで、みんな「勝ちたい」「良い記録を出したい」と思っているのだから、ドロドロした面や、緊張感に満ちた場面があるほうが、当然なんですよね。
 これは、障害の話じゃなくて、スポーツの、そして、人間の話なのです。
 

 この本には、ラストに、まるで「叙述トリック」のような一文が添えられています。
 興味を持たれた方は、ぜひ、最後まで、自分で読んで、確かめてみてください。
 読み終えたあとしばらく、「もしそれが、中西さんの身に起こっていなければ……」という仮定について、思いをめぐらさずにはいられませんでした。

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