ドキュメント御嶽山大噴火 --生還した登山者たちの証言を中心に救助現場からの報告と研究者による分析を交え緊急出版!-- 【地図付】 (ヤマケイ新書)
- 作者: 山と溪谷社
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 山と溪谷社編
- 出版社/メーカー: 山と溪谷社
- 発売日: 2014/12/01
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内容(「BOOK」データベースより)
2014年9月27日午前11時52分、9月最後の土曜日、素晴らしい好天と絶好の紅葉シーズン、そして昼どきの最もゆったりした時間帯で、多くの登山者でにぎわっていた御嶽山が、突然、大噴火した。そのとき何が起きたのか―。生還した登山者たちの証言を中心に、救助現場からの報告と研究者による分析を交え緊急出版!
あの日、あのとき、御嶽山では、何が起こっていたのか?
それは、予測することは不可能だったのか?
現場にいた人たちの、生死を分けたのは、何だったのか?
僕もときどき山登りをしますし、妻は僕よりもずっと「山好き」なので、あの御嶽山の大噴火は「他人事ではないな」と考えずにはいられませんでした。
紅葉シーズン、好天に恵まれ、登る側からすれば、まさに「今日行かないで、いつ行くの?」という状況下で、突然、あんなことが起こるなんて。
後付けで考えれば、「全く兆候が無かったわけではない」けれど、専門家ですら、「予測は困難だった」と口をそろえています。
この新書では、実際に現場にいて、なんとか生還した人たちの証言が集められています。
妻や友人ら5人で登山していた38歳男性は、山頂から200メートルほど下ったところで噴火に遭遇した。「パーン」と鉄砲を撃ったような音が響きわたり、山頂から灰色の煙が上に向かって伸びたかと思うと、横に広がっていった。最初はみんな写真を撮るなどしていたが、煙が急に方向を変えて雪崩のように迫ってきた。あたりは自分の手も見えないくらい真っ暗になり、500円玉ぐらいの大きさの噴石のかたまりが打ち付けるように降り注いだ。熱風と冷風が交互に襲い、「このまま死ぬのかな」と思ったが、二十分ほどすると少し明るくなったので、転落防止のためのロープにつかまりながら下っていった。
また、35歳男性は、前年計画していた登山が悪天候で中止になったため、この日改めて大学時代の仲間三人で御嶽山を訪れた。王滝口から登りはじめ、九合目付近に差し掛かったとき、突然、目の前で噴火が起こった。黒煙に覆われ噴石が飛んできたので、その場にうずくまって耐えたが、仲間の女性は左足に噴石の直撃を受けてしまった。足は不自然に折れ曲がり、大量に出血していて、女性は「痛い、痛い」と呻き声を上げ続けた。すぐそばに見えている山小屋に運び込もうとしたものの、とても動かせる状態ではなく、119番に電話をかけてアドバイスを受けながら、足をタオルで縛るなどして応急処置を施した。「がんばれ」と励ましながら介抱を続けたが、女性はみるみるうちに衰弱していった。最後に「お母さんと話したい」と訴えたので、携帯電話で母親に電話をかけた。女性は「ごめんね。ありがとう」などと伝えたのち、意識を失った。心臓の鼓動は止まっていたという。男性ともう一人の仲間は、電話で警察に「無事な二人だけでも下山するように」と言われ、やむなく女性をその場に残して下山していった。
この新書を読むと、多くの人の生死を分けたのは、「噴石の直撃を受けたかどうか」だったようです。
早々に山小屋に逃げ込めたり、うまく身を隠すことができた人は、なんとか生き延びることができたけれど、頭部に直撃を受けたり、四肢の骨折などで動けなくなってしまった人は、命を落としてしまいました。
噴火してから、噴石が飛んでくるまでの時間が短く、噴火の際にどこにいたかも、生死を分ける要因となったようです。
「すぐ逃げたら、助かった」というわけでもなさそうです。
それにしても、この女性からの携帯電話を受けたお母さんの心境を思うと、なんとも言えない気持ちになります。
元気に家を出ていったはずの娘が、電話で、まだ会話ができる状態なのに、まさに命を落とそうとしている。
でも、自分には、何もできない……
こういうとき、最後に話ができるというのは、幸せなことなのだろうか?と僕は考え込んでしまいます。
この新書に体験談を寄せている地形学者の男性は、避難した山小屋での様子を、次のように述べています。
五の池小屋到着は12時35分です。すぐにたたきの土間のところには50ぐらいの登山者が避難してきていて、芋洗い状態でした。だけど誰も慌てている様子はなくて、会話がないぐらい静かだったんです。「なんでこんなに落ち着いているのかな」と思ったら、みんなスマホで情報を収集したり、メールしたりしてたんですね。だから会話がない。今の時代の功罪の「功」かもしれませんね。パニックにならなかったのは、会話がなかったことが大きいと思います。
スマホで写真とか撮っているから、逃げ遅れたんじゃない?
そんなことを言っている人も僕の周囲にはいたのですが、こういう災害時に、現場にいる人がSNSで遠くの人から「情報」を得ようとしているというのは、いまの時代の象徴的な光景なのかもしれませんね。
そして、「外からの情報が得られる」というのは、プラスにはたらく面もある。
ただし、この男性は、「『助けて』というメールを打ったって報道もいっぱいありましたけど、写真を写したりメールを打ったりしている暇があったら、一刻も早く避難するべきです。下にいる家族に「助けて」とメールしても、ただ心配させるだけで、なんの意味もありません。まさにそこが初心者だと思うんです」とも指摘しています。
いや、本当にその通りではあるんですよね。
ただ、御嶽山というのは、そういう「初心者〜中級者向けの山」だと認識されていたのも事実で、日本アルプスに登山家が挑むような覚悟と装備で臨めというのも、難しいのではないかとは思うのです。
山岳ガイドの女性は、こんなふうに言っていました。
危機感をもつことと併せて大切なのは自分の身は自分で守る意識、いわゆる自己責任だと思います。山は自分が好きで行くところなので、何かあったら誰かを頼りにするのではなく、自分で解決できる行動をとらなければならないと痛感しました。ひとりひとりの登山者が、そのことをもう一度ちゃんと考えないと今回亡くなった方たちの教訓が生かされないと思います。そして、本当に噴火に巻き込まれたくないと思うなら、火山に登らないことも選択肢のひとつではないでしょうか。もし登るんだったら噴火に遭遇する可能性は考えたほうがいいと思います。
ちなみに、彼女自身は「これで山を嫌いになることはない」そうです。
もともとそんなに山好きではない僕としては、「もう、やーめた」というのが、いまの偽らざる気持ちです。
でも、あれだけ大きな犠牲を出した噴火のあとでも、日本中、世界中の山に、たくさんの人々が、登りつづけているのも事実なんですよね。
それを言うのなら、都会だって交通事故で命を落とす可能性はある。
それもまた、ひとつの考え方ではあります。
これまで御嶽山に登ったことがある人は、「御嶽山は活火山である」ということを知っていると思う(思いたい)が、もしかしたら知らないで登っていた人もいるかもしれない。世界遺産ブームに乗って、近年は富士山に過剰ともいえる多くの登山者や観光客が訪れるようになっているが、富士山が活火山であることを認識している人がどれくらいいるのか、気になるところだ。少なくとも登山者は、これから登ろうとする山が活火山なのかどうかくらいは事前に調べておくべきだろう。
こういうのは、たしかに「その通り」だと思うんですよね。
いま、御嶽山に登ろうという人はいないでしょう(そもそも、登れませんし)。
しかしながら、「それなら、どの活火山にも登らない」というような決断が、できるのかどうか?
明らかに活動が活発になっている場合はやめるにしても、活火山であればすべて登るのをやめるというのは、飛行機が落ちるのが怖いからということで、海外旅行に出かけるのをやめるようなものではないのか?
「運が悪かった」で片づけてはいけないのかもしれないけれど、こういう災害って、「諦める」しかないのかな、とも思うのです。
「諦めない」ところから、防災というのは進歩してきたのは事実なのだろうけれども。