琥珀色の戯言

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【読書感想】ブルネイでバドミントンばかりしていたら、なぜか王様と知り合いになった。☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
ブルネイと日本の架け橋になる!」。堅い決意で赴任したのはいいものの、この国独特の「社会の壁」にぶち当たって仕事は何一つうまく行かず、おまけに上司からのパワハラに遭って、暗い日々の連続。そんな中、ストレス発散で中学時代に熱中したバドミントンを始めたのだが…。下っ端外交官が「世界一の金持ち王国」でなしとげた奇跡と感動の実話。


 よく見かける、「冗長なタイトルの、ブログ発の体験談本」なんだろうな、これ、とあまり期待せずに読み始めました。
 だいたい、「王様と知り合いになった」とか、「有名人と知り合い」とか言うヤツって、僕は嫌いなんだよね……とか思いつつ。


 そういうかなりネガティブな感情からスタートしたのですけど、この本、なかなか面白かったのです。
 著者は外務省のエリートではなく、ちょっとしたきっかけて、経済産業省から、ブルネイに経済担当の書記官として派遣された「腰掛け外交官」のはずでした。
 ブルネイという任地も、とくに本人が希望したわけでもなく。

 東南アジアの南シナ海に浮かぶボルネオ島。その北西部に位置するブルネイは、人口約40万人が住む三重県ほどの大きさの小さな国だ。
 残念ながら、ブルネイのことを知る日本人は少ない(実は私もそうだった)が、この国は東南アジアで、いや東アジアで最も裕福な国である。
 石油・天然ガスのエネルギー資源に恵まれているので、国民は税金を払う必要がない。医療費も、教育費も無料。年金などに関しても政府による手厚い福祉サービスが供給され、この国の人たちは失業や老後の不安と無縁である。
 人口約40万人のうちの約15万人がインドネシアやインド、フィリピンなどからの出稼ぎ労働者らであり、ブルネイ人の人口はわずか25万人程度。国の出費による石油会社や通信・航空会社なども含めると、ブルネイ人就業者の7割ぐらいが公務員という勘定になる。
 ブルネイではサルタン(国王)が絶大な権限を有している。連日地元紙の一面を飾るのはハサナル・ボルキア国王陛下とロイヤルファミリーの方々。
 ボルキア国王は国家元首であると同時に、内政、財務、軍・警察をも司り、全権を掌握している。また、国王は、憲法上、イスラム教の預言者ムハンマドの代理人とされ、宗教上においても絶対的存在とされている。西洋的な分類としては絶対王政ということになっている。

 このブルネイという国で、バドミントンが盛んであることと、上司との折り合いの悪さ、仕事がなかなかはかどらないという状況がミックスされて、「バドミントン外交官」が誕生することになったのです。
 それも、「もともと偉い人どうしが、社交辞令的にバドミントンで仲良しアピールする」のではなく、著者が自分の愉しみのために地元のコートでプレーしていくうちにどんどん人脈が広がっていって、結果的に、偉い人にまで辿り着き、ブルネイの人たちと、ざっくばらんな付き合いができるようになっていったのです。

 1979年、地元の中学校に入学した私は、クラブ見学で先輩たちが華麗なフォームでプレイする姿に憧れてバドミントン部に入部した。
 残念ながら日本ではバドミントンは人気のあるスポーツとはとても言えない。
 そもそもばバドミントンの「ド」を「ト」と間違えて、「バトミントン」と言い間違える人も少なくないくらいだし、たいていの人のバドミントン・イメージといえば、せいぜい学校の休憩時間や、日曜日の公園でのレジャーという感じであろう。

 すみません、僕も「バトミントン」って、ずっと言っていたような気がします。
 というか、「ド」とか「ト」とか、あんまり意識したことがない、というのが率直なところです。
 こういうのって、その競技に思い入れがない人にとっては、すごく気になるのだろうなあ。


 著者の場合、「バドミントン好きが高じて」こうなってしまったのか、「バドミントンによる交流が外交に活かせることを計算してやった」のか、それとも、そのどちらもなのか、読んでいて僕もよくわかりませんでした。
 ブルネイという国は、バドミントンがとても盛んで、ブルネイ国王とインドネシア大統領がバドミントンで交流をしているそうです。
 著者は「偉い人とばかりプレーしようとしていた」わけではなく、慣れない赴任国でのストレス解消策としてバドミントンを再開し、もっと強い相手、もっと違った相手を求めて、各地のバドミントンコートに足を運んでいくうちに、「つながり」ができていって、それが、大臣や王族にまで広がっていったのです。
 ただ、あまりにのめりみすぎてしまったために、一日の睡眠時間が平均2〜3時間とか(そもそも、夜遅くまでバドミントンがプレーできるコートが開いていて、そこでプレーしている人もいる、というのも驚きです)、家族関係がギクシャクしてしまった、という身につまされる話も出てきます。
 そのあたりの葛藤も、けっこう率直に書かれていて、「この人のやっていることは、間違いなく日本とブルネイの国交についてプラスになっているのだろうけど、やりかたとして正しいのだろうか?」と考えさせられました。
 恐るべき粘り強さと、人なつっこさを発揮し、バドミントンを通じての「コネ」をうまく利用して、ブルネイという国の権力中枢に近づいていったのだから。


 とはいえ、外交の世界では「結果的にうまくいったのであれば、それは正しいやり方なのだ」というくらいの「割り切り」が必要なのも事実なのでしょう。
 文化も考え方も違う相手に、自分たちの「常識」や「正義」を押しつけても、うまくはいかないから。


 この本を読んでいると、ここまで、「仕事とプライベートが入り混じっていること」に対しては、「すごいな……」というのと、「なんか違うというか、こういうふうに相手の懐に入っていくのは、ちょっとズルいな……」というのが、両方あるんですよ。
 ブルネイの王様が来日した際に、バドミントンをやりたいという希望を突然出されて、その翌朝に日本の有名選手とのプレーがブッキングされた、というような話を聞くと、僕としては「王様だからって、他所の国でそんなワガママを言うのって、なんだかねえ……」とか思うんですよ。
 いままで、「絶対的な権力者がいる世界」で、生きてきたことがないということもあって。
 逆にいえば「王様というのは、そういうワガママな存在なのだ」というのが自然のこととして受け入れられている国もあるし、「外交」としては、そういうところで「王様を特例として扱う」ことが、日本の「国益」につながる場合もある。
 貧しい人たちに対する援助よりも、権力者に媚を売る(というのは、あまり良い表現ではないのでしょうけど)ほうが、有効な場合も、少なくない。


 それに、ブルネイは「国王に絶対的な権力がある」からといって、悪政が行われているわけでもないのです。

 すでに書いたとおり、ブルネイ王国は広く国民に富を分配している。所得税はなく、教育費は無料で、医療費は「タダ同然」だ。それも王室人気の一因にはなっているはずだが、富の分配イコール王室の人気、という単純な話ではない。
 ある時私は、バドミントンを楽しむために訪れた村で、人々が真剣に議論している姿を目にした。議論のテーマは、村の選挙だった。村長は国王に直接要望を届ける役割を担っているのだから、村人たちが村長選びに真剣になるのは当然だろう。ブルネイ絶対王政の国ではなく「国王制民主主義」の国なのだと、やがて私は考えるようになった。


 もちろん、こういうのは「資源が豊富な、お金持ちの国」だから、ではあるんですけどね。
 なんのかんの言っても、いまの暮らし向きがよければ、政治への不満というのは、表出してこないものですし。


 日本とブルネイとの経済的な交渉をうまくまとめることに貢献したり、ブルネイ潮田玲子選手ら、日本の有名バドミントン選手を招聘した大イベントを開催したり、著者は外交官としてめざましい成果をあげました。
 日本企業の凋落が叫ばれて長くなりますが、著者は、ブルネイという国からみた日本企業の「姿勢」に苦言を呈しています。

 ASEAN諸国に出て行く外国企業の多くは、商品をただ売るだけではない。これを買ってくれたら、我が国の空港を無料で使わせてあげますし、あなたがたの国に公園をつくってさしあげます――といったアプローチをしている。かつては日本企業もそうだった。ブルネイに来て、ガスを買って、それでオシマイということでなく、相手国の利益になる「貢献事業」をセットにして商売をしていた。
「私たちは世界的に有名な大企業で、私たちの商品はこんなに素晴らしいから、この値段で買ってください」
 というやり方はもはや通用しない。そのようにしてブランド力を高めた先人たちは、今の企業にはいないのだ。相手国の側に立って、何をしてあげたら歓迎されるのかをよく考え、共存共栄に資するアプローチをしなければ、諸外国との競争には絶対に勝てないと思う。これからの日本経済が自国のみの努力で復活することが不可能なのは誰の目にも明白だ。
 もちろん法令は遵守しなければならない。しかし現状を見ていると、もう少し自由な発想があってもいいはずだと思わざるを得ない。たとえば相手側の担当者から食事に招かれた時、「本社に確認します」などと返答していたら、うまくいくはずのビジネスもダメになってしまう。悲しいけれども、それを平気で制度として取り入れているのが、今の日本である。

 2014年の3月に放送された池上彰さんの番組で、タイの高速鉄道の入札が予定されており(予算はシステムなども含め、2兆円以上とのこと)、日本の新幹線も入札に参加するらしい、という話が紹介されていました。
 ライバルは中国。
 これまで、日本の新幹線は海外での入札で「1勝1敗」で、台湾で採用され、韓国ではフランスに敗れているそうです。
 台湾では最初劣勢だったのが、大地震で耐震性が重視されることになり、開業以来、乗客に運転中の事故で一人も死者を出していない新幹線の安全性、耐震性が評価され、採用に至ったのだとか。
 新幹線の「事故による死者ゼロの記録」は、開業以来50年以上、現在も継続中。これは本当にすごいことです。
 この番組のなかで、台湾の新幹線の映像が流れていたのですが、駅の表示や乗車券の発売システム、車内の様子や車内販売まで日本の新幹線そのままで、車両だけを売る、というわけではないのです。
 この番組のなかでは、タイでの入札は中国に比べてやや劣勢が伝えられており、池上さんは「日本には、新幹線は優れているのだから、こちらを選んで当然だ、という驕りがあるのではないか。現実的には性能だけで決まるわけではないので、採用されるためには相手国の政治的な事情にも配慮が必要」とコメントしていたんですよね。


 いや、僕もこの番組を観ていて、「そりゃ、大事故を起こしたあと、車両ごと埋めて証拠隠滅しちゃうような中国の高速鉄道より、安全性が高い新幹線を買うべきだろ」って思ったんですよ。
 新幹線のほうが「良い商品」なのだから、迷う必要なんてないはずだ、と。
 

 この本を読んでいて、池上さんのコメントを思いださずにはいられませんでした。
 いくら良い商品でも、相手にもさまざまな事情や商習慣があるし、そもそも「良い商品なんだから、うちのを買うのが当然だろ」というような相手と取引するのは、気持ちの良いものではないだろうな、と。
 日本企業は「自分たちが考える、品質の良さ」を追い求めるばかりで、買ってくれる相手の都合や好みに、あまりにも疎いのかもしれません。


 考えてみれば、僕だって、すべてのものを「品質と価格だけで、どこで何を買うか決定している」わけじゃないし。

 
「バドミントンを通じての、セレブとの交流自慢」みたいな本だと思いきや、「これから、日本人は、どう諸外国とつきあっていくべきか」についてまで考えさせられる、奥の深い本なのです。
 しかし、ここまでやれる人は、そうそういないよね……

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