琥珀色の戯言

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【読書感想】災害とレジリエンス ☆☆☆


内容紹介
私たちはこの土地を離れない! カトリーナ襲来によって廃墟と化した街。目の前の悲惨な状況、政府の大失態と高圧的な態度……。この街を愛するがゆえに、過酷な試練と闘い決して屈せず、コミュニティ再生に懸けた住民と地域リーダーたちの勇気と希望の物語。


アメリカのルイジアナ州・ニューオリンズ
ジャズの「聖地」としても知られるこの年が、ハリケーン・カトリーナによって、大きな被害を受けたのは、2005年8月の終わりのことでした。
ハリケーンそのものによる被害に加えて、十分な強度を持っていなかった堤防の決壊によって、町の大部分に水が押し寄せ、多くの命が失われ、家屋も大きな損害を受けたのです。
この本は、その「カトリーナによる被害」で、もう人が住めなくなるのではないか、コミュニティが失われてしまうのではないか、という危機に直面したニューオリンズの人たちが、いかにして立ち上がり、街を「復興」していったのかが描かれています。


この本の「序文」には、こう書かれています。

 災害における「復興」という言葉には、とてつもなく多くの意味が含まれる。建物自体の再建を指すこともあれば、生存者の一人ひとりが経験する感情や心の試練を指すこともある。また、企業や学校、警察、消防、教会など、何としてもその扉をもう一度開かなければならない組織にも使える。こうした組織には、事業の再開だけでなく、おそらく事業の内容そのものを自ら問い直すことが求められる。災害における復興とは、被災した場所に存在する命のあらゆる側面を復活させることに他ならない。奥が深く、極めて気がかりな難題だ。
 『We Shall Not Be Moved』(原題)はニューオリンズ復興の物語であると同時に、地域社会の物語でもある。本書が伝える真に迫った物語には、読む人を元気づける力がある。同時にユニークであること、悩ましいことも特徴だ。元気づけられるのは、本書に描かれた住民のリーダーたちが、自分たちの街を復興させるためにはどんな苦労も惜しまなかったからであり、住民が一致団結したときに生まれるパワーを彼らの勝利が雄弁に物語っているからだ。ユニークなのは、路面に穴ができればその穴のためにバースデーパーティを開いたり、奇抜な「ダック・ガール」たちがローラースケートで街を走れば褒め称えたりと、ニューオリンズ住民が型破りなことすべてに喜びと美しさを見出す人たちだからだ。悩ましいのは、ニューオリンズで住民主導の復興が実現した背景に、政府の失態があったからだ。それも、地域の力で克服することなど決して望めないレベルの大失態である。


 このニューオリンズという街の「特殊性」、その地域のコミュニティのつながりの強さや、人種へのこだわりのなさ、という点は、たしかに、この「復興」に有利に働いたのだと思います。
 富裕な地域と貧困地域とでは「温度差」があったのも事実ですが、ニューオリンズでは、それぞれの場所で、それぞれのリーダーたちが、住民たちのなかから出てきて、「自分たちは、この街に住み続ける」ことを主張し、そのために必要なことを実現してきたのです。


 ここで触れられている、政府の「失態」について、「訳者あとがき」では、このようにまとめられています。

 たとえば、集中豪雨であなたの暮らす街を走る河川が氾濫し、何か月も水が引かない状態に陥ったとしよう。居住地域への立ち入りが禁止され、何日も家に戻れず避難生活を余儀なくされたとしよう。そのうち、突然、市から「あなたの住む地区は緑地化対象区域になりました。緑地化実施まで、あと4か月あります」と宣告されたら、あなたならどうするだろうか。突然、「あなたの地区は『緑の円』の中にありますから、立ち退いてもらうことになるでしょう」と言われたらどうするだろうか。しかも、その災害がそもそも行政の大失態が原因で引き起こされたのだとしたら?


 そんな「政府の横暴」「住民無視の立ち退き命令」が、いかに理不尽なことなのか。
 そもそも、現場を一度も視察すらせず、「今後の方針」が決められている場合すらあるのです。


 でも、さまざまな場所の災害に関して、僕自身、現場を見ることも、現場の人の声に耳を傾けることもなく、「もう人が住めない場所なんじゃないか」とか「そんな危ないところに住むよりは、みんな引っ越してしまったほうが良いんじゃない?」とか思ったことが、山ほどあるんですよね。
 このニューオリンズに対しても、同じように「効率的、合理的に考えて」多くの人が住んでいた土地からの立ち退きを支持した人が、たくさんいたのです。
 人は「当事者」でなければ、残酷な選択をしやすい。


 その一方で、この本に出てくる主要登場人物のひとりは、「復興に際しては、外部からの意見を聞くことも重要だ。地元民からだけだと、客観的にみることができないから」とも述べています。
 それもまた、実際に「復興」に従事してみての実感なのだろうな、と。


 この本を読んでいて感じるのは、復興というのは、本当に地味な仕事なんだな、ということです。
 いくつかの印象的なものを除けば、この本には、「読者を感動させ、泣かせるようなドラマチックなエピソード」は出てきません。
 関係者への地道な交渉や、復興への試行錯誤、そして、身近な人たちとのつながりといった、「あたりまえのこと」の積み重ねによって、ニューオリンズは「復興」していきました。
 たしかに「本来は政府がやるべきことなんじゃない?」と思うのですが、「政府主導」だったら、たぶん、ニューオリンズは「これまでの住民が追いだされた、綺麗な街」になっていたはずです。
 

 さらに、プランナーが認識しなければならないのは、復興とは単に建物や空間やインフラを復旧させることではないということだ。その場所にあった生活のあらゆる場面をもう一度作り直すのが復興なのである。被災前の生活がどのようなものだったのか。もし変えたいとするなら、今後どのように変えていきたいのか、そうした内容は住民自身が誰よりもよく知っている。ブロードムアの住民はその多くが、「ことブロードムアに関しては、世界一の専門家」だとハル・ロアークはよく豪語していたが、まさにその通りだ。災害復興の計画作りは、彼らのような「専門家集団」を活用しなければ始まらない。


 「政府がダメ」なとき、ただ政府に文句を言い続けるのか、それとも、自分たちで動くのか?
 これを読んでいると、アメリカという国と、そこで生きている人たちの「しぶとさ」というか「最後は自分でなんとかしようとする覚悟」みたいなものが、伝わってくるんですよね。
 そして、そういう仕事は、誰かひとりの「ヒーロー」がやるものではなくて、ひとりひとりが、小さなヒーローになって、やっていかなければならないことも。


 災害の多い国である日本にとっても、学ぶべきところがたくさんある本だと思います。
 正直、「読み物」としては、そんなに盛り上がるところもなく、ちょっと退屈、ではあるのですけど、本当の「復興」って、そういうものなんですよね、きっと。

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