琥珀色の戯言

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【読書感想】月を盗んだ男 ☆☆☆☆


月を盗んだ男 (NASA史上最大の盗難事件)

月を盗んだ男 (NASA史上最大の盗難事件)

内容(「BOOK」データベースより)
NASA&FBI VS天才研修生。アポロ11号が地球に持ち帰った月の石―2002年、アメリカの国家的財宝が盗まれ大騒動に。犯人は25歳のNASA研修生だった!大ヒット映画『ソーシャル・ネットワーク』原案者による傑作ノンフィクションノベル!


「月の石」を盗んだヤツがいる、というのは、どこかで聞いたことがあるな、という程度の予備知識で読み始めたのですが、そんな僕にも、なかなか面白く読めたノンフィクションでした。
 

 この本を読みながら、僕はずっと「なんでこのサドという若者は、こんなバカげたことをしたのだろう?」と考えていたのです。
 彼は優秀な頭脳を持っていたのですが、恋人との「婚前交渉」によって、実家から絶縁されてしまいます。
 彼の実家は敬虔なモルモン教徒で、婚前交渉は「神への冒涜」とみなされていたのです。
 モルモン教徒は、アルコールも、タバコも禁止。
 

 いまの日本で生活し、戒律、なんていうものを自分自身には意識したことがない僕にとっては、「そんな歪んだ環境が、結果的にこの優秀な若者を、こんな愚行に走らせたのではないか?」という答えが、いちばん「わかりやすいもの」だったんですよね。
 でも、それにしても、これはあまりにもバカバカしい話ではないのか、と。

 サドは完璧な志望者になるため、できることはなんでもした。そのあいだずっと、何をしようとも、自分がスタートの時点でプログラムに応募するほかの人たちから数歩も遅れているという苦しい気持ちを抑えようとしてきた。志望者の大半はおそらく優秀な学校に在籍中で、愛情深い両親が資金を出しているだろう。その大半は、二十三歳にしてすでに結婚してはいないだろう。ああ、その大半は二十三歳になってさえいないはずだ。中流階級の家庭の出で、通常の大学生の年齢のはずだ。サドは違う。彼はいつも孤立者だ。
 彼は自分の有能さを証明するために、誰よりも一生懸命に動かなければならなかった。すでに根気強いところは見せてきた。

 サドは優秀な人間、あるいは、優秀な人間を演じ続けるだけの能力がある人間であり、アメリカの、いや、人類のなかでも選りすぐりの才能が集る場所であるNASAの研修生として採用されていました。
 研修生仲間からはリーダーシップを評価されており、上司たちからも将来を嘱望されていたのです。


 もちろん、問題がなかったわけではありません。
 実家から勘当されて、借金がたくさんあったし、若くして結婚した妻との関係も、ギクシャクしていた。
 自分のコンプレックスを払拭するために、無理をして、自分を大きく見せようとしていました。
 とはいえ、世界最高の頭脳が集まる場所で、高く評価され、サド自身も「NASAで仕事をすること」に充実感を抱いていたのです。
 そもそも、そういう「才能が集る場所」では、誰しも、それなりの「背伸び」はするものでしょう。
 人生のトータルとしては、けっして、悪い状況ではない。
 そして、「アメリカの宝、いや、人類の至宝」である「月の石」の価値は、NASAで仕事をしていた彼には、よくわかっていたはずです。
 そんなことをすれば、どんな結果が待っているかも。


 もし、彼に「じっと耐えて、機会を待つ」という能力さえあれば、彼は、正当な方法で、現地に行って「月の石」あるいは「火星の石」さえも、手にしていたかもしれないのに……
 人は、ときに「信じられないような愚行」を犯してしまうのだよなあ。
 どんなに「賢くみえる人」であっても。


 ただ、彼は確かに手癖が悪いというか、モラルに欠けるところはあったんですよね。
 自分のことに関しては、道徳心が麻痺してしまうというか。

 もちろん、博物館で目録作成のアシスタントとして働いていたときに、保管用の棚に運ぶ化石の中からとくに格好のいいものをいくつか盗んだことについては言及しなかった。最初ポケットにひとつだけつっこみ、二日後にはさらに数個が加わった――サドはそれらを居間に飾り、ディナー・パーティーの席に持ち出してソーニャの友人たちを感心させた。だがサドは、これほど貴重な物体を見せびらかすのが何も悪いことだと思わなかった――むしろ、彼にとっては、これらの化石を暗い地下室の箱の中に放置するほうがひどい罪だった。このような歴史的な物体を展示してみせるのが、そもそも博物館の目的ではないか?

 この本を読むと、サドは、お金に困ってはいましたが、「お金」よりも、「誰もやったことがない偉業を成し遂げる」という衝動に駆られて、こんなことをやってしまったようにみえるのです。
 美しい恋人が、熱病におかされたように、彼の「月の石を盗む」という冒険を支持してしまったことも、この犯罪計画の実行につながりました。
 誰か止めてやれよ……


 その一方で、これは「若さゆえの過ち」という類いの話とは言いきれなくて、こういう「平気で化石を盗み、それを自己正当化してしまえるような人間」が、NASAに就職し、宇宙へ行くことにならなくて良かったんじゃないか、とも思うのです。
 内部の人間による「月の石泥棒」は、NASAにとって「汚点」であり「恥辱」でもあるけれど、サドという人間があのままNASAで仕事をしていたら、もっと致命的な事態が起こっていた可能性もあります。
 まあ、「月の石の盗難」以上の致命的な事態っていうのも、あまりなさそうですけど。


 サドと、彼の恋人レベッカは、「冒険者」になったつもりでこの計画を実行し、捕まったとたんに、その悪い夢から醒めてしまったのです。
 そして、サドは、すべてを失った。


 「彼もまた宗教的なプレッシャーの犠牲者なのだ」とかいう気分にもなれないのですが、なんというか、「人間っていうのは、こういう理不尽なことをやってしまう生き物なのだな」と嘆息せずにはいられないノンフィクションでした。
 この本で「興味深い」のは、月の石盗難の顛末よりも、「こんなに才能がありながら、客観的、大局的にみれば、彼自身にも何のメリットもない泥棒に取り憑かれて本当に『やってしまった』人間の姿」だったんですよね。
 著者が描きたかったのは、「事件」の話ではなくて、サドという人間だったのではないかなあ。

 金庫の中には、地球上でもっとも貴重なものがある。想像できないほどの価値のある国家的財宝。これまで盗まれたことのないもの、じつのところ、けっして取替えのきかないものだ。金庫の中身の価値がどれほどのものか定かではない――だが簡単に持ち出せる程度の量だけでも、世界でもっとも裕福になれるだろうとわかっていた。とにもかくにも、彼と彼の共犯者たちは、合衆国の歴史上最大の盗みをやってのけた。
 だがサドにとっては、本当に重要なのは金庫の中身の金銭的価値ではなかった。彼は隣で彼の肩に腕をかけて座っている女性との約束を果たしたかっただけだ。何年ものあいだに、何百万という男が何百万という女にしてきたにちがいない、単純な約束。
 彼は彼女に月を贈ると約束した。
 ほかのみんなとちがうのは、サド・ロバーツは実際にその約束を守った、最初の男だということだ。

 
 

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