琥珀色の戯言

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【読書感想】イスラーム国の衝撃 ☆☆☆☆


イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)


Kindle版もあります。

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

内容紹介
謎の「国家」の正体に迫る


イスラーム国はなぜ不気味なのか? どこが新しいのか? 組織原理、根本思想、資金源、メディア戦略から、その実態を明らかにする。


 後藤健二さんと湯川遥菜さんの拘束で、日本でも大きく報道されている「イスラム国」。
 僕もこの事件の推移を見守っているのですが、これまで、「イスラム国」とは何なのか、ほとんど知らなかったのです。
 「国」っていうけど、独立国家なのか?
 なぜ、そんな組織が誕生したのか?
 そこに住む人たちは、どんな生活をしているのか?


 これらの疑問のうち、「イスラム国」の成立過程や、中東諸国との関係、そして、「残酷」「非人道的」なだけではない、彼らの「メディア戦略」についても、この新書を読むことによって、ひととおりの知識を得られました。
 ただし、「イスラム国」での人々の実際の生活については、ほとんど書かれていないので、「現地ルポ」を読みたい方にはオススメしません。

 米国による「対テロ戦争」の圧力を受けたアル=カーイダが復活した最大の要因は、2003年のイラク戦争だった。サダム・フセイン政権の崩壊とその後の混乱により、イラクに新たな拠点形成と活動の場所が開かれ、アフガニスタンから追われたジハード戦士たちの行き先ができた。イラクの反米武装蜂起に参加した諸勢力の中で台頭したのが「イラクのアル=カーイダ」であり、組織改編や合併、改称をくり返して、現在の「イスラーム国」になった。

 「イスラーム国」というのは、国際的に承認された「国」ではなく、イラクとシリアにまたがった地域を支配している武装勢力の自称なのです。
 現在の「イスラーム国」ができるまでの組織の変遷というのはものすごく入りくんでいて、僕は読んでいて頭がこんがらがってきました。
 興味があるかたは、ぜひ、この新書で確認してみてください。
 

 「イスラム国」というのは、「コーラン」に書いてあることを字面通り、忠実に実行しようとしたり、「カリフ制」の復活をアピールしたりと、「懐古的な集団」だと思っていました。
 ところが、この新書を読んでいると、彼らの政策やイデオロギーは「復古主義的」なのですが、YouTubeSNSを駆使したり、「人質ビデオ」にもさまざまな映像テクニックが用いられたりと、ものすごく「現代的なアピール」をしているんですよね。

 イラクとシャームのイスラーム国」が「カリフ制」の再興と「イスラーム国」を宣言した6月29日は、イスラーム教徒のヒジュラ暦では、この年のラマダーン月の初日だった。全世界のイスラーム教徒が断食を行うラマダーン月は、とくに宗教感情が高まる月である。また、テレビの視聴率が高まる月でもある。ラマダーン月の間、日中は断食をして過ごし、日没後は盛大な宴席が催される。その日々を彩るのは、アラブ世界の各テレビ局が競い合う連続ドラマである。各局は一年かけてこの月のラマダーン・ドラマのための準備をしていると言っても過言ではない。ラマダーン月初日の29日は、まさに各局の連続ドラマの第一回が始まる日であった。「イスラーム国」は、ラマダーン月にテレビ各局が競い合っているとことに「実写版・カリフ制の復活」を投入して最高視聴率の座を奪ったような形になった。

 興味深いのは、考え抜かれた演出・脚本とカメラワークである。「アル=ハヤート・メディア・センター」の公式の経路を通じた欧米人の斬首殺害映像については、実際に首を切るシーンは、カットされていることが多い。今にも切る、という瞬間に画面は暗転し、再び画面に明かりが戻ってくると、そこには、殺害された屍体が横たわっている。前後関係から、明らかにそこで殺害したと分かるのだが、意図して殺害の瞬間を外して編集しているのである。また、そのような編集が可能になるように、処刑人が適切に演技をしているともいえる。
 残酷さが強調される人質殺害映像であるが(そして実際に残酷であるが)、残酷さのみを追求するのであれば、殺害の瞬間の場面を除いて編集するのは、理にかなっていない。殺害の瞬間を外して編集することの効果は、実は大きい。「その瞬間」を映さず、聴衆に想像させるのは、演劇的な手法である。芝居やテレビドラマでは、無数の殺人が演じられるが、そこで実際に殺人が行われているはずはない。しかしある種の演出を施すことで、聴衆は、そこで殺人が行われた、というストーリーを読み取るのである。


(中略)


イスラーム国」の殺害映像は、欧米のテレビドラマ並みの鮮明で洗練された映像で、演技をしているかのように処刑が行われるため、インターネット上で世界の人々がそれを「うっかり見てしまう」、さらに言えば、密かに「享受してしまう」可能性を高める。それが毎日どこかのチャンネルで放映されているドラマのように演出されているからこそ、人々は、それを見ることができてしまう。


 著者の説明を読んでいると、「イスラム国」というのは、周りが全くみえていない「残虐な狂信者集団」というわけではなくて、相手の反応をみて、心理的な圧力をかけたり、自分たちの主張をネットを通じて広めたりしているのです。
 「怖いものを見てみたい」「事件について知りたい」という興味と、「あまりにも残酷すぎる映像は、自分のSNSでは紹介しにくい」という計算と、その隙間みたいなところを、あの「人質殺害映像」はついてくる。
 今回、湯川さんを殺害した、という映像が公開されましたが、そこではは、ここで紹介されているような「人質殺害動画」ではなく、後藤さんが持たされていた写真が『証拠』とされていました。
 いつもの「殺害動画」と違う、ということで、疑念の声もあがっていますが、もしかしたら、あれは「日本人向けに残虐性を抑えた」のかもしれません。
 それはもう、僕には想像することしかできないし、あの写真だけでも、なんともいえない気持ちになったんですけどね。

 
 大部分の人は、「イスラム国」のやりかたに共感はしないと思うのですが、それでも、インターネットで主張を広めることは、「イスラム国」の新しいメンバーのリクルートにも役立っているのです。

 2013年のボストン・マラソン・テロに見られるように、インターネット上で情報を得たのみで、ほとんど組織なしにテロを実行してしまう「ローン・ウルフ」型のテロリストが先進国の若者の間に現れる一方で、2011年以降の中東やイスラーム諸国の政府の弱体化や紛争の激化によって「統治されない空間」が出現した。これはスーリー(元ビン・ラーディンの広報・宣伝担当、「グローバル・ジハード」の理論家)の想定した「開放された戦線」に符号するものである。その最もたるものがイラクとシリアの国境をまたいだ空間である。ここに世界各国からジハード戦士が結集することで、スーリーの構想は、本人の予想より早く現実化する機会を得たのである。

 ネットを通じて影響を受けた人が、組織との繋がりも持たず、「個人的に」あるいは少人数の集団で、テロを行うケースが、出てきているのです。
 ごく普通の市民社会のなかに、突然、ポツンと出現するテロリスト。
 もちろん、ひとりで出来るテロの規模は、そんなに大きなものではないでしょう。
 でも、いつ、どこで起こるかわからない、こういうテロを防止するのは、困難を極めます。


 また、著者は、「イスラム国」の資金源や戦闘員の数や国籍などについても、今わかっていることを紹介しています。

イスラーム国」は、資金面では、(1)支配地域での人質略取による身代金の強奪、(2)石油密輸業者などシリアやイラクの地元経済・地下経済からの貢納の徴収、といった「略奪経済」の域を超えない。
 重要なことは、略奪でまかなえる程度の組織であるということであり、そうであるがゆえに、国際的な資金源を断つ努力も、短期的に大きな効果は生みそうにない。石油などの密輸ルートにしても、「イスラーム国」の台頭の以前から、シリアからトルコにかけて地元業者が汚職高官の黙認を得て行っていたものであり、支配権を奪った「イスラーム国」が、その権益を引き継いだにすぎない。

 2014年9月にCIAが開示した推計では、この年5月から8月にかけて急速に戦闘員を増加させ、2万人から3万1500人程度に達した、としている。CIAは、それ以前に「イスラーム国」の規模を大まかに1万人と推計していたので、6月のモースル陥落の前後から8月の米国による空爆開始時期までに、「イスラーム国」の構成員が倍増もしくは三倍増したと見ているわけである。そのうち1万5000人以上が、80ヵ国の外国からの戦闘員だという。欧米諸国からは、約2000人が加わっていると見ている。
 2014年10月に、国連安保理のアル=カーイダ制裁専門家パネルが提出したレポートでも、1万5000人の外国人戦闘員がシリアとイラクにいると推計しているが、所属する組織は「イスラーム国」だけでなく、他の反体制武装勢力も含めている。

 「イスラム国」の戦闘員の半分は、「外国人戦闘員」なのです。
 ただし、この「外国」の60〜70%は、中東諸国であり、西欧諸国からの戦闘員は、20〜25%とみられているそうです。
 ロシアが800人、フランスが700人、イギリスが400人、などと推定数が紹介されていますが、ロシアはチェチェンなどの反政府組織からの流入があり、フランス・イギリスはイスラム教徒の移民が多い国なので、僕が「西欧人」としてイメージするような白人は、ほとんど含まれていないようです。
 その一方で、「イスラム国」の側は、白人の改宗者をなるべく表に出して、アピールしています。


 「石油の密売と、身代金ビジネス」で財政をまかなっていると聞くと、「なんておそろしい国なんだ……」と思うのですが、著者がここで書いているように「そういう非合法的な手段で、まかなえる程度の規模の組織」だとも言えるのでしょう。
 先日、あるテレビ番組で、戦場カメラマンの渡部陽一さんは「イスラム国は空爆などもあって、勢力を弱めている」と仰っていました。
 僕は、今回の人質事件で、「イスラム国」という存在を意識するようになったのですが、「イスラム国」は前からずっと存在していたのです。

 
 この新書を読みながら、僕は「イスラム国とアメリカをはじめとする欧米諸国、そして日本との憎しみの連鎖」みたいなものを、考えずにはいられませんでした。

 人質にオレンジ色の服を着せてカメラの前で語らせ、処刑するという手順は、イラク戦争後に定着した、いわば「テロの文化」の様式に則っている。9・11事件後の米国の「対テロ戦争」では、米軍は敵性戦闘員とみなした者たちを拘束し、戦争捕虜とも犯罪容疑者とも異なる法的カテゴリーと位置づけ、米国法が及ばないキューバグアンタナモ米軍基地内に設けた収容所に監禁して尋問した。グアンタナモ基地の収容所の写真・映像は広く出回っており、そこで収容者が着せられたオレンジ色の囚人服もよく知られている。また、イラクのアブー・グレイブ刑務所での捕虜虐待の写真が流出した際にも、そこでオレンジ色の囚人服が使われていることが鮮明に印象づけられた。そのような背景から、欧米人を拘束し、オレンジ色の囚人服を着せて辱めてから処刑することが、反米武装勢力にとってのいわば「様式」となって定着していった。


 人質をとっての脅迫や身代金請求、無差別テロなどは許せない。
 ただ、彼らにとっては、「やられたことを、やりかえしているだけ」とも言える。
イスラム国」のようなイスラム原理主義的な武装勢力が台頭してきたきっかけのひとつは、SNSが大きな役割を果たしたと言われる「アラブの春」だったのです。
 中東の多くの国で、独裁政権が倒され、人々の力で、民主化された……と思いきや、政権を握った「穏健派」は軍や旧体制派の強い抵抗にあって事態をうまく収拾することができず、かえって混乱に陥りました。
 中東は、「民主主義」に、あまりにも不慣れだった。
 そこで、あまりにも無力だった「穏健派」に絶望した人たちが、やはり、力が必要なのだ、と「武装勢力」を支持するようになったのです。
 「(比較的)平和的な革命」だったはずが、平和的であったがゆえに、その限界を見せつけてしまった。
 「アラブの春」がなければ、「イスラム国」も、ここまで伸張しなかったのかと思うと、歴史の皮肉を感じずにはいられません。
 「イスラム国」もまた、「歴史の過渡期にみられるひとつの現象」なのかもしれないけれど。


 甘くみすぎてもいけないし、過剰に恐れて、相手の言いなりになるべきでもない。
 「イスラム国」を正しく恐れるには、まず、その実態を把握することが大事なはず。
 これは、そのために必要な知識を得られる、貴重な新書だと思います。

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