琥珀色の戯言

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【読書感想】我が闘争 ☆☆☆☆☆


我が闘争

我が闘争


Kindle版もあります。

内容紹介
いつだって、孤独だった。でも、誰かと分かり合いたかった。それでも、僕は闘い続けてきた。だから今、もう一度「宣戦布告」。


堀江貴文、早すぎる自叙伝。
幼少期、九州での窮屈だった時代、憧れの東京、東大時代、恋、起業、結婚、離婚、ITバブル、近鉄バファローズ買収への名乗り、衆議院選挙立候補ニッポン放送株買い占め、時価総額8000億円、ライブドア事件、逮捕、検察との闘い、服役、出所、そして新たなステージへ……。またたく間 に過ぎた日々の中で僕が直面してきたこと、すべて。
目の前のままならないこと、納得できないこと、許せないことと闘い続けてきた著者が、自分の半生を正直に語りつくす。


「ことごとく抵抗し続けた僕は、生意気な拝金主義者というレッテルを貼られ、挙げ句の果てには刑務所に入ることとなった。
こんなふうにしか生きられなかったので、後悔なんかはしていない。
僕はこれからも納得のいかないものとは徹底的に闘っていくつもりでいる。闘い自体を目的にしているわけではないが、僕がこの限られた人生で幸福を追求するためには、どうしても闘いは付いてまわるはずだ」 【本文より一部抜粋】


 これは面白かった。
 僕は「伝記」、なかでも「自叙伝」ってけっこう好きなんです。
 この『我が闘争』は、「ホリエモン」こと堀江貴文さんが、幼少時から「ライブドア事件」で刑務所に入るまでの半生を自ら振り返ったものなのです(おそらく、堀江さんが全部書いたわけじゃなくて、ライターさんの手も入っていると思います)。
 僕は堀江さんとほぼ同世代で、同時期に九州北部で生きていたこともあって、なんだかすごく「わかるなあ」と感じるところが多くて。
 

 僕は堀江さんの著書をけっこうたくさん読んできたのですが、そのなかでも、この『我が闘争』というのは、いちばん面白かったんですよね。
 これまでの堀江さんの著書というのは、堀江さんの「思考や思想」みたいなものを社会にアジテーションするものが多くて、「でも、僕は堀江さんみたいな『天才』でも『強者』でもないしな……」という思いを抱かざるをえませんでした。
 この『我が闘争』は、堀江さんの「思考や思想」を書くのではなく、「実際にやってきたこと」を、時系列に、むしろ淡々と振り返っているのです。


 僕が最近いちばん印象に残っている「伝記」は、『スティーブ・ジョブズ』なのですが、同じように若くして起業し、大企業をつくりあげ、そして、周囲の裏切りなどもあって転落したふたり。
 堀江さんの今後の人生がどうなるかはわかりませんが、ここまでのふたりの歩みを比べながら、僕はこの『我が闘争』を読んでいたのです。


 物心もつかないうちから養子に出され、ベトナム戦争を背景とした、ヒッピー・ムーブメントの影響もあり、インドに「自分探し」の旅に出たりしながらも、盟友とともに、アップルを立ち上げたジョブズ
 福岡県の田舎で、厳格、というか、子供に愛情を示すのが苦手な両親に育てられ、周囲の子供たちとの価値観の違いに悩み、勉強で自分の居場所を確保し、会社を大きくすることによって、「死の恐怖」を忘れようとしていた堀江さん。
 堀江さんの業績というのは、ジョブズに比べたら、「世界を変えた」とは、まだ言い難いものでしょう。
 ただ、僕と同世代の「周りにうまく馴染めなかった子供」が、インドなんて遠い場所ではなくて、福岡県の久留米市の進学校から東大に進み、麻雀や競馬にハマったりしながらも、コンピュータ、インターネットの可能性に賭け、会社を大きくしていく「立志伝」は、読んでいてワクワクしたんですよね。
 それは、「インドに導師を探しに行く」よりも、僕にとっては、ずっと身近で、リアリティのある「人生」だったので。
 もしかしたら、僕にもあったかもしれない「もうひとつの人生」。
 お前には無理だ、って?
 まあ、良いじゃないですか、そういうのを夢想してみるのも、読書のひとつの愉しみだから。


 堀江さんは、「母親についての記憶」のひとつを、こんなふうに書いています。

 父に比べて母にまつわる思い出は圧倒的に多い。しかしそのほとんどが世間でいう母親の温かさとはほど遠く、母の厳しさや激しさを象徴するエピソードだ。

 厳しいと言っても、たとえば日頃から口うるさく勉強しろというタイプではない。基本的に口数が少ない人だった。そして誰にも相談せずに物事を決めてしまい、それを一方的に告げてくる。僕にはそれを拒否する権利は与えられていなかった。なぜ? なんのために? という疑問は、「せからしか!」(うるさい)で一蹴された。

 高1の冬休みには「年賀状配達のバイトに行ってこんね」。
 僕には一言の相談もなく、郵便局の人と既に段取りをしたよう。抗うすべがないので、翌日しぶしぶ出かけていったのだが、なぜか担当者は不在。しかたなく家に帰ってきたら、「なんで帰ってきた!」と怒鳴られる。
 この時はさすがに理由を説明しようとしたのだが、お得意の「せからしか!」である。それでも僕が釈明を試みると、口では敵わないと思ったのか、台所から包丁を持ち出してくる。
「お前を殺して、私も死ぬ!」
 ちょっと待ってよ、なんでそうなるの? という感じだが、さすがに慌てた。僕にできることは、母の興奮が収まるのを黙って待つのみ。
 今でもそうなのだが、僕はこんなふうにヒステリックになる女性のことが理解できない。理解はできないけど、母との経験があるので、あまりあたふたすることもない。ああ、また怒ってるわ、と思って静かに傍観しているだけで、説得したり慰めたりすることはあまりない。
 一方で自分にも、感情的になりやすいというウィークポイントがあると自覚している。それは母に似たところかもしれない、そんな親子だから、衝突も多かったわけだ。


 いわゆる「毒親」的なエピソードなのですが、この本を読むと、堀江さんにとっての両親、とくにお母さんは、「居心地の悪い存在」だったようです。
 こういう伝記って、親の「厳しさ」を語るときには、バランスをとるように「優しかったときの話」「子供のことを心配していた話」などが書かれているものなのですが、この本では、「毒親的エピソード」ばかりが並んでいます(お父さんは「あまり家では存在感のない人」だったようです)。
 堀江さんは、自らも結婚し、子供の親となってみても(今は離婚し、お子さんの顔もずっと見ていない、とのことですが)、自分の親のことを「赦せていない」ようにみえます。
 そういうのは、他人がとやかく言うことじゃなくて、堀江さんにとっては、そのくらい根が深い、ということなのでしょう。


 ああ、でもこのお母さんも、好きでそうしていたわけじゃなくて、発達障害的なものを抱えていた可能性もあるのかもしれないなあ。
 堀江さんは「他人の気持ちがわからない」なんて批判されることが多いのだけれど、それは、こういった子供時代の愛された記憶の欠乏が、原因のひとつなのかもしれません。


 堀江さんが、この本のなかで語っている「東大に受かったあと、企業に就職してサラリーマンになるのはイヤだけど、さりとて、何かやりたいことがあるわけでもない時代の気分」って、ものすごくリアルなんですよね。
 こういうのって、僕もあったなあ、って。


 それが、昔ハマっていたコンピュータの知識を生かしたアルバイトをはじめた際、そこでインターネットに出会ったことで、堀江さんの「起業への意欲」に火がつくのです。
 「何か」をやり続けないと、生きている実感がない、そんな堀江さんは、働き詰めで会社を大きくしていき、また、「本業」であったコンピュータ関係の仕事以外にも、手を出していくようになります。
 「昔のあなたはそうじゃなかった」と、恋人や創業時からの仲間が離れていっても、堀江さんは、自らを燃やし続けた。
 堀江さんは「新しい経営者像」みたいに語られることもあるけれど、それは服装とかの外見上のことであって、働きかたは「社畜」あるいは「モーレツ社員」なんですよね。
 
 

 これから会社を起こそうという人に、なにかアドバイスをと乞われたら、真っ先にこう言いたい。
 絶対に恋人と一緒に会社を作ってはいけない。

 この「恋人と一緒に会社を作ってしまったことによって、のちに生じてきたさまざまなトラブル」については、この本にきちんと書かれています。
 しかしこれ、よく書いた(あるいは書けた)な……
 

 また、これまではポツリポツリと断片的にしか語られることのなかった「結婚生活」についても、比較的詳細に書かれているのです。

 もちろん疲れている時に妻があれこれと生活の世話をしてくれるのはありがたかったし、子どもの笑顔はこんな僕でもかわいいと思わざるを得ない素晴らしいものだった。
 しかし、僕たち夫婦は生活のいたるところで衝突することになった。
 まず問題になったのは僕の家や子育てへの関わり方だ。
 平日はもちろん目まぐるしく働いているから家のことはなにもできない。会食も多く、帰りは深夜という日もざらである。
 その分、妻から週末は子育てにフルコミットすることが求められた。僕がどうしても外せない案件で出かけようものなら、途端に非難を向けられる。
「私はこれだけ大変な子育てをしてるのに、なんであなたはそれを一緒に分かち合おうとしないの」
 冷静に話し合えるのであれば、分かり合うこともできたのかもしれないが、妻は怒るとヒステリックになって、時には僕に殴り掛かってきた。
 僕は僕でそういう感情をむき出しにした人を相手にするのは得意ではないので、一度揉め出すと事態が鎮静化されるまでに長い時間を要した。
 丸一日口をきかないことで、僕への反感をアピールする妻。仮に仕事を休めたとしても、その妻の前ではまったく気が休まらなかった。
 またお金に関しても、一昔前の多くの家庭がそうであったように、家にいる妻が管理すべきという考えを持っていた。
「あなたの通帳、預かったほうがいいと思うの」


(中略)


 仕事のストレスから抜け出すために求めた場所が、さらなるストレスを感じる場所へと変わってしまったことに戸惑う。
 延期していた結婚式は、彼女に言われるがままの形で、結婚から2年後に軽井沢のホテルで挙げた。
 しかしその3ヵ月後、僕らは離婚した。
 僕がもう精神的に耐えられなくなっていた。そしてその頃、別に気になる女性が現れたということもある。


 この「仕事と家庭、そして育児の話」というのは、ものすごく身につまされました。
「普通」のタイムスケジュールでは仕事をやっていけないのに、疲れ果てて帰ってきた家でも「普通の」あるいは「理想の」夫や父親であることを求められ、それができないと、責められるというのは、ものすごくつらい。
 「家が気の休まる場所ではなくなった」という人は、堀江さんだけではないでしょうけどね。
 というか、堀江さんに「普通の夫や父親であること」を求められても……と思う。
 でも、当時の妻の立場からすれば、それは「あたりまえの要求」だったのだろうなあ……
 こういうのは、一概に、堀江さんが「人の気持ちがわからない人間」だと責めるわけにもいかないというか、「そういう人間だからこそ、できる仕事もあるのかもしれないな」とも感じます。


 堀江さんは、何かに取り憑かれたかのように『ライブドア』を大きくしていきます。
 いや、堀江さんはあくまでも「ライブドアの象徴」であって、側近たちが、どんどん大きくしていった、と言うべきなのかもしれません。


 逮捕後のことを振り返って、堀江さんは、こう述べています。

 宮内氏らの調書を見せられた時は、あまりに頭に血が上りすぎて、めまいがしそうだった。
 思い出すのも嫌なので、ここでは書かないが、あの僕に対する罵詈雑言の数々!
 みなで堀江主犯説をでっち上げ、自分たちはその陰に隠れようという魂胆が見え見えなのだ。仮にもライブドア発展のために共に汗してきた者たちである。どれだけ自分には人を見る目がなかったのかと思わざるを得ない。
 しかし今となれば、彼らが特別に卑怯な人間だったわけではないと分かる。彼らは彼らで身を粉にして働いてきたのだ。それぞれ言い分も立場もあるだろう。そして僕自身の人間性が、彼らを刺激してしまったとも考えられる。

 あの事件の真相については、当事者ではない僕にはなんとも言えません。
 報道されていることや、関係者の証言しか「材料」もないし、誰が本当のことを言っているかなんて、判断しようもないから。

 もしかしたら、堀江さんに欠けていたものは、スティーブ・ウォズニアックだったのではないか?
 僕には、そんな気もするのです。
 
 

 僕はこれからも納得いかないものとは徹底的に闘っていくつもりでいる。闘い自体を目的にしているわけではないが、僕がこの限られた人生で幸福を追求するためには、どうしても闘いは付いてまわるはずだ。
 しかし、40歳を超えた僕は、いろんな闘い方があることが分かってきたし、闘う相手の気持ちも少しは考えられるようになってきた。


 堀江さんは「闘いそのものが目的ではない」と仰っています。
 それは、堀江さんのなかでは「本当のこと」なのでしょう。
 でも、僕には、「堀江さんは、闘わないと生きていけない人」なのではないか、という気がしてなりません。
 それが良いとか悪いとかじゃなくて、「そういう人」も、いる。
 

 ジョブズは、長生きはできなかったけれど、少なくとも晩年は幸せだったのではないか、と僕は思っています。
 堀江貴文という人は、これから、どんなふうに、年齢を重ねていくのだろうか。

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